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#Overseas #近現代史
目次
- まえがき
- なぜヨーロッパは燃えているのか
- 1968年――世界が同期した時代
- 一極支配という幻想
- 反乱は何を残したのか
- ロックだ、ロック!
- 内から、そして外から
まえがき
2026年10月20日に配信されたJudging Freedomで、ミアシャイマー教授がパリの騒乱から1968年の世界的に広がった学生運動を想起する。もちろん1968年と現在では、国際秩序という文脈が全く異なる。1968年が東西冷戦という国際秩序の下にあったことを理解しない人はいないだろうが、現在の国際秩序に関しては、西側諸国の間で理解していない、もしくは理解することに抵抗している人たちがいる。この無理解もしくは理解の拒否が、現在の世界の混迷の原因となっているとミアシャイマー教授は指摘する。これは、西側の一員と自負する日本にとっても他人事ではない。
1. なぜヨーロッパは燃えているのか
パリの騒乱の様子は日本語のSNSでも動画がよく出てくる。そして、それに対するコメントで「だから、移民は・・・」系の「移民悪玉説」を展開する人を見るのは珍しいことではない。
トランプも同じように、フランスの暴動を移民政策の失敗に結びつけているから、現在の日本国民の多くとトランプには親和性があるのかもしれない。
ナポリターノ判事は、ミアシャイマー教授にパリの暴動をどう思うか尋ねるのだが、教授は抗議運動の主体はフランス国民であり、移民問題に還元することはできないと言う。
ミアシャイマー教授によると、フランスで発生している抗議運動の背景には、賃金の停滞、インフレ、経済的不平等、将来への不安がある。とりわけAIの発達による雇用喪失への恐怖が、若者や労働者の不満を強めている。こうした社会不安はフランスだけにとどまらず、ヨーロッパ全域、さらにはアメリカへ波及する可能性があり、1968年の大規模な抗議運動を想起させると言う。
そこで、ミアシャイマー教授が、ナポリターノ判事に、あなたも覚えているでしょうと言うと、判事は何かを思い出すような遠い目で、覚えていると答えてる場面が印象的だった。
2. 1968年――世界が同期した時代
若い読者には、1968年と言ってもピンとこない人がいると思うので、まず少し付け加えておく。
1968年(昭和43年)は、世界中で若者たちが既存の政治体制や社会秩序に反旗を翻した、激動の年だった。フランスでは、学生の抗議運動が労働者の大規模ストライキと結びつき、ドゴール政権を揺るがす「パリ五月革命」へと発展した。
アメリカでは、ベトナム反戦運動、公民権運動、大学改革を求める学生運動が広がり、「スチューデント・パワー」が時代の合言葉となった。映画『いちご白書』(1970年公開)は、そうした大学闘争を描いた作品であり、『イージー・ライダー』(1969年公開)は、既成の価値観を拒絶するカウンターカルチャーの象徴となった。
日本でも「東大闘争」「日大闘争」が激化し、各地の大学で「全共闘」を中心とする学生たちがバリケードを築き、機動隊との激しい攻防を繰り広げた。1969年1月18〜19日、東大安田講堂に立てこもった全共闘系の学生たちと機動隊が激しく衝突、機動隊による放水、催涙ガスの使用、学生側の投石や火炎瓶による抵抗など、その攻防はテレビで全国に中継され、1968〜69年の学生運動を象徴する光景となった。
東欧では、チェコスロバキアの民主化運動「プラハの春」がソ連軍を中心とするワルシャワ条約機構軍の侵攻によって押し潰された。
つまり、1968年とは、パリから東京、ニューヨークからプラハまで、若者たちが権威と体制に異議を唱え、世界を変えようとした時代の象徴でもある。
私はこの年が日本が世界と同期した最後の瞬間ではないかと思っている。日・米・欧の若者が連絡を取り合って、全体計画を練り上げて、世界的な反体制運動を起こしたわけではない。それでも、若者の不満が一斉に吹き出した。語り合わずとも、彼らの運動は同期した。
今、日本には全くそのようなものは感じない。ニューヨークで、ロンドンで、パリで、ベルリンで、数十万人規模の反ジェノサイドのデモが起きていても、日本ではほぼ無風の状態が続く。
*
私は、今日何を食べたか思い出せないことが珍しくない年齢になったが、その頃のことは妙にはっきりとした映像として記憶に残っている。1968年、私は10才だった。私の通う小学校は街の中心部を東西に走る大通りに面して、デスマッチのリングのような金網で運動場と大通りは区切られていた。ある時から、小学校の敷地の西側三分の一くらいを警察署の建物が占めるようになった。
大通りを警察署とは逆方向に、つまり東に数百メートル進むと、大学にぶち当たった。大学は小学生たちの遊び場でもあった。大学で会うお兄さんやお姉さんたちはみんな優しかった。彼らは、超人のように速く走り、超人のように速く泳ぎ、超人のように鉄棒をくるくる回るので、私たち子供は圧倒されていた。その大学は、将来、先生になる人が行くところだとは、その頃は知らなかった。
小学校の前の大通りには、大学生のデモがしばしば行進していた。ヘルメットを被り、タオルのようなものを顔に巻き、角棒を持ち、何かを叫びながら歩く集団を運動場から金網越しに私たち小学生は見ていた。テレビで見る東京の大学で起きているような学生と機動隊の暴力的な衝突をここで見た記憶はない。このデモをしている大学生たちが、あのお兄ちゃんやお姉ちゃんたちなのかどうかは分からなかったが、なんとなくそう思い込んでいた。
その頃、駅前に出来たスーパーというところに母と買い物に行くことがよくあった。スーパーというのはスーパーマーケットの略だが、その街ではそれが最初のスーパーで、まだその一軒しかなかった。そんな買い物へ行く途中にも、デモに出会うことがあった。ある時、母が私に訊いたことをまだ覚えている。
「あんたも大きなったら、あんなんする?」
と母は訊いた。
私は、なんと答えようか迷ったことをはっきり覚えている。
自分の中にデフォルトである母を喜ばせる答えをすんなり出せなかった。あのお兄ちゃん、お姉ちゃんたちは自分の味方だし、自分も味方だと思ってほしいという気持ちが、母の期待通りの答えを止めてしまった。
「うーん、分からへん」
これだけで、十分に期待外れだっただろう。それから数年して、私はことごとく母の期待外れの言葉を連発し始めるのだが、全部忘れてしまった。この最初の一回だけを鮮明に覚えている。

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