LIVE 65 盗まれたスポーツ II レビュー

LIVE 65 盗まれたスポーツ II は、2024年4月29日に実施しました。参加して頂いた皆様、有難うございました。前回のLIVE 49 盗まれたスポーツと今回のLIVE 65 盗まれたスポーツ II の話を書き起こして電子書籍として出版する予定です(ペーパーバック版も需要があれば出版します)。発売日が決まりましたら、Newsletter で告知いたします。

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スポーツハラスメントZERO協会

ハラスメントのないスポーツ環境をつくることを目的に、平尾さんと仲間が結成された協会はこちらです。

Contents

参加者によるレビュー

参加者の感想などをアンケートへの記入がありしだい、ここに随時掲載します。一番下にオリジナルの参加案内があります。

【思い出したこと/御礼】 はるか昔、高校球児だった私は、夏の大会に負けた翌日、「監督が涙を浮かべていた」と地元紙に書いてあって、「ずっと一緒にいたけれど、泣いたのを見ていないなあ」と違和感を持ったのを覚えています。

それからしばらくして、私は新聞記者になるのですが、高校野球の記事を書く側になって、そうした美化をする「お手軽さ」に罪悪感を感じつつ、ある程度はやっていたと認めざるを得ません。突き詰めて言えば、事実関係を言葉に移し替える際の倫理の問題で、分野を問わないのですが、スポーツというコンテクストになると、その倫理の「タガ」が極端に簡単に外れてしまうのだと思います。

本日ご指摘の社会への影響を考えると、極めて深刻な事態だと改めて思いました。ご教示、ありがとうございました。

Koichi IITAKE

今回も興味深いお話をありがとうございました。ヨシさんが言われていたように、お話を伺いながらスポーツだけでなく芸術や学問にも当てはまるなと感じております。そして特に共感したのがスポーツに対するメディアのあり方でした。感動の押し付けや勝手に物語を作ってしまうなど私がスポーツをテレビで観なくなったきっかけです。

それともう一つ過度な期待といいましょうか、なでしこジャパンや侍ジャパンなど変な名前を付けたあげく「絶対負けられない戦い」と煽り、挙げ句の果てにドラマの様に演出してしまう。結果勝ったら感動話にし、負ければ執拗なまでに繰り返す失敗シーンなど観てて嫌な気持ちになります。

時折、オリンピックなどでは金メダルを取れなくて申し訳ありませんと、涙ながらに謝罪する競技者の姿をみかけます。誰に対して謝っているのか観ていてさっぱり分かりませんが、私にはそれだけメディアやそれを鵜呑みにした大衆や政治家によって追い詰められているのではないかと居たたまれない気持ちになります。私は勝手に競技者の人権無視なのではと考えていますが、その辺りは平尾さんはどう思っているのか機会があれば聞かせていただけると幸いです。

maki

モノ言うアスリートの実態把握を! かつてウインブルドンで女子テニスプレーヤーが男女の賞金格差是正のために署名活動をしていたこと等日本では大々的に報道されていなかったように思う。

N.Tetsu

ナラティブを作ってしまう、そして信じてしまうというホモサピエンスの特性を理解して最も巧みに人々を操作しているのがメディアと広告代理店だといつも思っていましたが、「メディアスポーツ」がこれほど顕著に利用されているとは。

普段スポーツはプロスポーツもオリンピックもほとんど見ないのですが、平尾さんのお話を聴いて改めて視座を上げて観ないといけないなと思いました。アスリートによるアクティビズムの話から広がり、全ての市民にアクティヴィズムが必要だという話には深く頷きました。

スポーツ推薦の入学者の苦悩についてはこれまで知ることがありませんでしたが、十全たる自分を無視した一芸教育の弊害について考えさせられました。これは学業一点突破の受験競争や、芸術系専攻者にも同じチャレンジがあると思います。やはり子供は満遍なくのびのび遊んで学んで育つのがいいなあ。

匿名希望

日本のスポーツはとても異常な環境下にある様な気がしました。

アマチュア選手に対して求める異常なほどの清廉潔白さや、女性選手のメイクにまで口を出す外野。プロになっても朝青龍や白鵬に対して見られた根強いムラ社会精神、年俸や時に選手の活躍より飼っているペットと配偶者の相性まで特集を組む執念。

選手に対してそこまでの厳格さや神聖さを求めておきながら、ワイドショー的な芸能やエロ、公営競技と同等に扱うスポーツ紙。スケートの町田樹さんが競技は大学卒業まで、その後は大学院に進学すると公言した際の不思議キャラ扱い。

最後に平尾さんが仰られたように、名声という貯金が枯渇した後の第二の人生を考えて広い世界をみること、教養を身に付けること、学ぶこと、これを同時に選手に伝えていくのは彼らの人生にとっても本当に重要だと思いましたが、スポーツを鑑賞する側の民度はどうすればいいのでしょうね。

afro

普段、主にスポーツ報道(スポーツの中継やニュースの中でのスポーツ報道)に対して感じていたモヤモヤ(が綺麗に言語化されてすっきりしました。

「メディアによって(感動する)物語がつくられている」というお話、本当にその通りだと日々感じております。たまたま私が高校生の時に国語の授業で扱った題材・本の中でも似ている話があったな、と思いながら聞いていました。

ぜひまたよろしくお願いします。

匿名希望(よろしくお願いいたします)

「アスリートはスポーツだけやってれば良い。社会や政治について発言なんかするな」という社会的な抑圧は昔からあったと思いますが、スポーツが資本の論理(消費者にエンタメを提供し利潤を追求する構造)に強力に組み込まれるようになった結果、現代ではアスリート一人ひとりの人格や意思というものが昔とは異なる形で一層軽視されるようになっているのではと感じています。

また、メディアや企業(そして国)がエンタメとしてのスポーツを強調する一方で、我々一般人もまた「わかりやすくてエモい物語」を(大なり小なり)アスリートに求めていることが問題を深刻化させているとも思います。

論理が飛躍しているかもしれませんが、単なる資本主義的な搾取ではなくそれによって生じる人権侵害が「盗まれたスポーツ」の問題の本質なのでしょう。

本日は貴重なお話本当にありがとうございました。またこのような機会があれば是非参加したいです。

内田雄介

平尾さん、よしログさん、興味深いお話をありがとうございました。私自身は何事であっても勝ち負けにこだわる性格ではなくスポーツもやらないこともあって、勝つことを前提としていたり対戦相手をリスペクトしていないこの国の報道や風潮に普段から違和感を抱いています。スポーツを純粋に楽しめるようになれば良いなと思っています。

匿名希望

学生と言う身分が終わると同時にスポーツも終わったと言う気分。今は、一年のスケジュールにあるような大会がニュースで放送していれば見るぐらいです。外国の同年代の選手の筋肉や背丈が違いすぎて、日本人はスポーツに向いてないどうやって競争して勝利できるか技術はどうすれば学べるか、強く強くなりたい人はそう思うと推測します。

競技という文脈に日本のスポーツ界は華やかな星へと選手を発展させたがりますが、人がやり育てることです難しい水もののようです。対等のパートナーですと勝利、技術共に素晴らしい競技に出会いたいものです。万人の観衆の声援が埋め尽くした会場は、現在の 年老いた人間にはたぶん、みえない世界だと思います。なぜかスポーツをそうみてしまいます。何か欠けてしまうのが日本だなと思う。

盗まれたスポーツですね。

ありがとうございました。

次回、あるのを楽しみにしています。

k_kyo

1回目は参加していなかったので、話についていけるか少々不安でしたが、全く杞憂でした。

盗まれたものはなにか?とふと思ったときに、あまりにも「盗まれた状態」が常態化しすぎて何をとりもどせば、本来の状態になるのかしらと考えてしまいました。本来のあるいはこうでありたいと思う状態を見聞きしていないので、見たことないもの、知らないものをめざすってとても難しいだろうと思いました。

また、LIVEでも話がでていましたが、これはスポーツだけの話ではない、というのは本当にその通り!と画面の前で声出してしまってました。

貴重なお話をありがとうございました。

匿名希望

スポーツにせよ勉強にせよ、「ここでトップを目指すことがすべて」という教育、考え方が大変問題だと思います。周囲も、「あの子、あの人は特別な人」と見るようになり、身近なところから、すでに物語が生まれてしまいます。また、本人達も自分たちは特別な存在であると確信していき、そこにメディアが絡んで、巨大なビジネスに利用されています。

LIVEの中でも話されたように、このような現象はすべての分野に共通するものであり、結局のところ、一人ひとりの個人が尊重されない社会、一人ひとりの市民が未成熟であることが、根本に横たわる原因ではないでしょうか。

上手にできること、勝つことだけを重視すれば、一部の才能のある人だけが成功し、付いていけなくなった者は、気が付いた時には、そのスポーツ自体を好きでなくなっています。生涯にわたって人間を育てるためのスポーツであるためには、人間を大切にする教育、考え方が必要ではないかと思います。

しかし、日本人が今の土壌から脱却することは、なかなか大変であると感じます。十人十色の心の世界を持ちながらも、表面的にはイワシのように群れで動くことで安心する日本人にとっては、主体性を持って意思表明することのハードルは、非常に高いのだと思います。(そんな環境は、イワシでない人にとっては苦痛でしかありませんが)

経済格差が大きくなっている現在では、大人は生活のために時間を奪われ、子どもも、とりわけ道具にお金のかかるスポーツを続けることは難しくなっています。ますます、スポーツが一般市民から離れてしまうことに危機感を感じています。

ひろぴ

参加案内

参加案内(終了済み)

ちょうど1年前に平尾剛さんをゲストに行ったLive 49 盗まれたスポーツの続編をやっと実施します。その時は、すぐ第二弾をするようなこと言いましたが、あっという間に1年も経ってしまいました。その間、平尾さんは、予定通り『スポーツ3.0』を出版されました。

「する」「観る」「教える」をアップデート!
根性と科学の融合が新時代をひらく。

元アスリートとして、声を上げつづけてきた著者の到達点がここに。

勝利至上主義、迷走する体育・部活、コロナ下の五輪強行、暑すぎる夏、甲子園の歪さ、ハラスメント、応援の過熱、アスリート・アクティビズム、テクノロジーの浸透…
それでも、もう一度全身で、スポーツを楽しみたい! そう願うすべての人へ。
「3.0」は、根性と科学の融合となる。レジリエンスとしての根性を認め、心技体の心得に再び息を吹き込まなければならない。
「スポーツ3.0」の試みが、いま求められている。
――本文より

●目次
序章 アスリートのことば――なぜ、あのとき嘘をついたのか
第一章 スポーツ3.0
第二章 東京五輪はスポーツになにをもたらしたのか
第三章 「するスポーツ」と運動
第四章 勝利至上主義への処方
第五章 応援とテクノロジー
終章 元アスリートのことば――テクノロジーとの融合を

平尾さんは、同志社大学、三菱自動車工業京都を経て、神戸製鋼に所属し、1999年、第4回ラグビーW杯日本代表に選出、2007年に現役を引退されたラガーマンです。現在は、神戸親和大学教育学部スポーツ教育学科教授。さらに詳しくは、こちらをご覧ください→源流の人 第23回 ◇ 平尾 剛

このライブは下記の日程で行います。参加をご希望の方は、参加申込フォームに必要事項をご記入して下さい。

実施要領

実施日:2024年4月29日

実施時刻:午後4時 – 6時

実施方法:Zoom

定員:80人

参加費:無料

注:荒らしを防ぐためにスクリーニングを行います。SNS上で過去に反人権的な発言が発見された場合は参加をお断りします。申込は開始時刻24時間前に締め切ります。入室情報は、開始6時間前を過ぎたら、ここに記入されたメールアドレスに送ります。

投げ銭

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