『カブール・ノート増補版』が紙の本で読めるようになりました!

『カブール・ノート増補版』が紙の本で読めるようになりました。下はそのための「あとがき」です。

Amazon Print On Demand 版へのあとがき

『カブール・ノート』増補版の電子書籍化を今年(2023年)8月にやっと実現したら、紙の本で読みたいという要望を思いのほかたくさん受け取った。それなら、既刊のオリジナルの『カブール・ノート』を読んでもらえたら良いと思ったが、増補版は大幅に増量していて、もうオリジナルとはかけ離れているので、AmazonのPrint-On-Demandを利用してペーパーバックが購入出来るようにした。

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2023年12月の今「まさかこんなことになるとは」という思いが1日に何度もやってくる。世界の片隅の一点で、呆然とする中で時間が過ぎていく。

「早くしないと!」という言葉が頭に何度も出てくる。しかし、いったい「何を早く?」いったい「何をしないと?」とっくに退職したにもかかわらず、職業的な習慣が衰えた脳の隅っこで蘇っている。

『カブール・ノート』が出版された22年前、たくさんの感想をもらった。この本を指定して感想文大会を行った高校もあった。入賞した感想文を読ませてもらったが、恐ろしくレベルの高いものだった。高校生がこれなら日本の未来は明るいと思った。そう、日本の未来は明るいと?!

いくつももらった感想の中に「この著者は徹底的にアメリカと国連を嫌悪している」と書いているものがあった。思わず自分の顔が軽い笑みでほころぶのを感じた。ある側面をちゃんと読んでくれたことに感謝したい。しかし、もう少し踏み込んだ言い方の方が正確だったかもしれない。僕は嫌悪していたのではなく、苦痛を感じていたのだった。

カブールの後直ぐに僕はイラクに行くことになった。アメリカがまた戦争を持ってきたからだ。国際公務員としての”正しい”行い、”正しい”言葉遣い、”正しい”思考方法を実行する毎日は、アメリカという国が代表するものと交錯したり、乖離したりしながら過ぎていく。そして、現実で起きていることが徹底的にその正しさを嘲笑う。

ほら見たことかと言える立場で冷笑に耽ることが出来れば、この厨二病のような苦痛は少しは軽減されたかもしれない。しかし、我々にそのオプションはなかった。建前を本音として生きる、全てを真に受けたように生きる。そんな quixotic な時間が続いた。

アメリカという大きな国、巨大な経済力と軍事力、無限とも言える人材、これらをもってアメリカが達成したのは、お金持ちで自由で民主的な国ではない。彼らが達成したのは、「正しさの占有」であった。

それは魔法のようにすべての異論を封じ込める。パックス・アメリカーナとは、「正しさが占有された」言語空間から人類が逃れられず、懊悩呻吟してきた時代とも言える。国際公務員としての苦痛の源泉はそこにあった。

今年(2023年)、サウジアラビアとイランが国交を正常化した。サウジアラビアと言えば、日本がアメリカのポチだと言われる以上に、アメリカ追従だと見做されてきた国だ。オサマ・ビン・ラディンの怒りの根源はそこにあった。アメリカのポチであることに納得できない人々は熱狂的に彼を支持した。アメリカの基地がサウジアラビアに造られなければ、9・11を巡る全ての言説は用意することが出来なかっただろう。

そのサウジアラビアがアメリカの仇敵であるイランと国交を正常化した?このニュースを見た時、僕は地面が揺らぐような衝撃を感じた。

そしてその数ヶ月後、アルゼンチン、エジプト、エチオピア、イラン、サウジアラビア、アラブ首長国連邦 (UAE)の6か国が2024年1月1日付で正式にBRICS(ブラジル・ロシア・インド・中国・南アフリカ)加盟国となることが発表された。*1

遠く離れた日本からは、この6つの国名を聞いてもピンとこないかもしれないが、これら6カ国は、それぞれの地域の大国なのだ。地域覇権国と言ってもよいBRICSの5カ国に、この6カ国が加わる。最強のイレブンだと思った。地面が揺らぐような地殻変動は確実に起きるだろう。いや、起きなければいけない。

メディアは、BRICSの購買力平価によるGDPの合計がG7のそれより大きいとか、自然資源がBRICSの方が豊富だとか、脱ドル化がやってくるとか、あくまでも経済的覇権の変化、あるいはそれに伴う軍事的・政治的な覇権地図の潜在的な変動を語る。それら全てが、BRICSを「脅威」とする目線で語られる。そこにオリエンタリズムの変異形を見る人も多いだろう。

そのような経済的、軍事的あるいは政治的地図の大きなシフトの予測を否定するわけではないが、今起きつつある変動の本質はそこにはない。それが衝撃であるのは、「正しさの占有」が崩れることにあると僕は思っている。

ウクライナとガザは、メディアに登場する日本の著名人たちが、極めて少数の例外を除き、世界で起きていることが何も見えていなかったことを雄弁に語っている。

人類が構築してきた秩序という制度が略奪と強姦と殺戮によって破壊されている時、「正しさの占有者」たちは、沈黙によってその破壊に加勢していた。つまり、近代文明が達成したと説明される一切の救済が全ての人に同等に存在するわけではないことを「正しさの占有者」たちは証明した。

奪われ、犯され、殺される人々に残されたのは、リヴァイアサン的な自然状態への回帰だけだった。沈黙していたあの「正しさの占有者」たちは、不正な略奪・強姦・殺戮を非難するのではなく、それに対する抵抗を声高に非難することによってまた「正しさ」を捏造する。

第三次世界大戦が起きるかもしれないという人は珍しくなくなった。それは、言い換えれば、我々の世界がまたもう一度文明による救済の無い世界、ホッブスが描いたような万人の万人に対する闘争の世界に戻るかもしれないという直感的な恐怖だろう。それは危機を察知する人類の能力の一つでもあるかもしれない。

「正しさの占有」は、国際社会の独裁制を作り上げた。ガザで毎日惨たらしく殺されている人たち、たくさんの子どもたちは、その失われた命でそれを人類に知らせている。我々はその彼らの最後のメッセージを受け取るべきだ。

世界中で多くの人たちがそれを受け取り、立ち上がり、街に出て抗議行動に参加する。最強イレブンの結成は、それ自体が人類史の軌道修正を促している。光の方向は見えている。しかし、同時に、確実に旧「正しさの占有者」たちがそのような動きを破壊しにくる。

後世の歴史家から見れば、今はおそらく、かつてローマ帝国や、ビザンツ帝国や、オスマン帝国や、ペルシャ帝国や、モンゴル帝国や、中華帝国や、大英帝国や、その他多くの巨大覇権国家が興隆し衰退し消滅していったような人類史の転換点の一つとみなされるだろう。

凋落する帝国が過去に戻って巻き返しを図ろうとした例はたくさんある。しかし、それに成功した国は一つもない。その巻き返しは醜く残忍な形で現れ、そして必ず敗れる。

あらゆる独裁制国家が結局のところ無惨に崩壊したように、国際社会の独裁制もいつかは崩壊する。パックス・アメリカーナだけが例外である理由はない。

『カブール・ノート』には、あちこちに20数年前の「正しさ」の苦痛が現れている。しかし、当時、その苦痛がこんなに悲惨な展開になることを予想していなかった。今、我々に何が出来るのだろうか? 毎日この瞬間にガザで失われている子どもたちの命、その親たちの命が人類に伝えていることを受け取ることから始めるしかない。

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ペーパーバック版を編集し始めて、出版済みの単行本、文庫本、電子書籍の三つの間に様々な異同があることが分かった。それを精査し、統一した上で、このペーパーバック版とKindle版両方に反映するという大変な作業を杉本奈緒子さんにして頂いた。心から感謝します。(既にKindle版を所有されている方はUpdateすると修正が反映されます)。

(2023年12月25日、ハノイ)

*1:2023年12月29日、発足したばかりのアルゼンチンのミレイ政権は、BRICSに加わらない考えを正式にBRICSに伝えたことが報道された。ミレイ政権は、前政権が重視してきた中国やブラジルなどとの関係を見直し、親米路線をとると報道されている。

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購入が可能になりました。印刷コストを抑えるために字を小さくし、ページ数を減らそうとしたのですが、それでも350ページになり、販売価格が高くなってしまいました。申し訳ないです。

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