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Part 1. 解説
目次
- Part 1. 解説
- 歪な軍拡
- なぜ「私たちは皆ひとつの人類だ」が危険なのか
- 多極化は本当に世界を不安定するのか
- 歴史はそうは示していない
- 最悪の戦争は“兄弟殺し“だ
- アメリカ一極支配は戦争を減らさなかった
- リベラルはなぜ不寛容になったのか
- Foreign(外国/他者)が消えると、戦争はなくなるのか
- 普遍主義は、唯一の正しさしか認めない
- 多極化は戦争の原因ではなく、抑制をもたらす
歪な軍拡
日本の政治家たちは、「安全保障環境の急激な悪化」という言葉を繰り返している。その背景には、依然として19〜20世紀型の勢力均衡論がある。中国・ロシア・北朝鮮の軍事的影響力の増大を脅威として捉え、それへの対抗策として、対米依存と軍備拡張をさらに強化するという構図だ。
しかし、その一方で、日本の安全保障は極めて歪な形で進んできた。21世紀型安全保障――経済安全保障、技術主権、サプライチェーン、情報空間、AI――への制度対応は遅れたまま、政治的にもっとも見えやすく、支持も得やすい「軍事対応」に重心が偏って来た。
結果として、半導体製造装置・材料ではなお強みを持ちながら、先端半導体、AI、クラウド、OS/プラットフォームではアメリカ依存、レアアースでは中国依存、エネルギーでは中東依存という構造ができあがった。
単純化して言えば、
武器はある。だが、それを動かす燃料・半導体・AI・供給網は他者依存である。
という、歪な安全保障である。
こうした強硬路線に対し、2026年5月3日の憲法記念日には、全国200カ所超、8〜10万人規模と推定される反戦・反改憲デモが行われた。近年の日本では珍しい規模である。
だが、ここで一つの問いが生じる。
「反戦」の論理は、本当に十分だろうか。
例えば、「私たちは皆ひとつの人類だ。だから戦争をやめよう。」は、直感的には美しく、疑いようのない考えに思える。しかし、それこそが戦争を生み出す論理なのだ、と主張する論者がいる。
アルノー・ベルトラン(Arnaud Bertrand)だ。
なぜ「私たちは皆ひとつの人類だ」が危険なのか
今回取り上げたい主題は、この反戦の論理についてだ。
アルノー・ベルトラン(Arnaud Bertrand)が最近(2026年5月10日)、
“The Tyranny of “We” – Why “We Are All One Humanity” Is The Most Dangerous Idea On Earth“ というタイトルの論考を発表した。直訳すると、『「私たち」の暴虐 – なぜ「私たちは皆ひとつの人類だ」が地球上で最も危険な考えなのか』とでもするしかないが、このままでは中身が分かりにくいので、この内容を紹介しようと思う。
タイトルにあるような「私たちは皆ひとつの人類だ」という考え方は、そのまま「だから、戦争なんかやめよう」という反戦の論理になりやすい。しかし、そのような直感に反して、それは戦争を導く論理になると言うことをベルトランは、論証していく。
5月3日に行動に出た推定8〜10万人の人々の中には様々な動機、考えの人がいただろう。しかし、その中で「反戦」は、共通項として機能したのではないだろうかと思う。そうであるなら、「反戦」を進めるための論理は非常に重要になる。しかし、その論理が共有されてるかどうかは怪しい。

そこで、ベルトランのこの論考を要約することにした。以下は、なぜ「私たちは皆ひとつの人類だ」が危険なのかという問題を念頭に置きながら読んでほしい。
多極化は本当に世界を不安定するのか
現在、国際政治学では「多極化(multipolarity)は世界を不安定にする」という考え方が広く共有されている。中国、ロシア、インドなど複数の大国が並び立つ世界は、相互不信と誤算によって戦争が増える、という理屈だ。ウクライナ戦争やイラン戦争も、その始まりだと語られる。
しかしアルノー・ベルトランは、この通説に真っ向から反論する。
彼の方法は単純だ。数学でいう「反例(counterexample)」を探すことだ。もし「多極化=戦争増加」が本当に法則なら、歴史上の多極時代は、一極・二極時代より一貫して暴力的だったはずである。

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