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目次
- 芥川にとっての脱亜入欧・富国強兵・文明開化
- 反戦物語としての『桃太郎』
芥川にとっての脱亜入欧・富国強兵・文明開化
前回の【本の旅-14】芥川龍之介『支那游記』を読む(1)では、芥川が中国を訪問した時代を世界史の中に位置付けようとした。当時、中国と日本は同じように、内部には旧帝国的な農本主義・封建制・儒教に基づく統治制度の限界を抱え、外からは西洋帝国主義に基づく新帝国が襲来するという二重の重圧に晒されていた。

一方で中国(清)が激しい抵抗を試みるものの欧米列強に食い荒らされ続け、清は徐々に「崩れていき」、他方で、日本は「欧米並み」国家の建設を急いだ。その道程は、脱亜入欧から富国強兵へ、そして文明開化へ至るものであったが、それは、日本自らが帝国主義国家に「成り上がる」ということでもあった。
「崩れゆく中国」と「成り上がる日本」が交差する歴史の瞬間が、芥川が中国を訪問した時代であった。この「崩れゆく中国」と「成り上がる日本」の出会いがやがて日中の全面戦争へと繋がっていく。
前編の最後に、いくつか引用した芥川の言葉には、「崩れゆく中国」の姿に対する怒りと寂寥、「成り上がる日本」に対する嫌悪が現れていた。生涯にわたって、中国から学び、中国を理解し、中国を尊敬し、中国を慈しんでいた、飛び抜けて繊細な芥川だからこそ、そのような感情を持ち得たのだろう。
少し長いが、『支那游記』の中の一節「十二 西洋』を引用するので、彼の痛烈な皮肉とユーモアと哀しみを味わって見てほしい。芥川が現地にいる日本人と交わした会話をまとめたものだろう。[問]を発するのが不特定の日本人で、[答]とあるのが芥川(古い表現や難読漢字は現代語に直した。以下引用する場合はすべて同じ)。
問。上海は単なる支那じゃない。同時に又一面では西洋なのだから、その辺も十分見て行ってくれ給え。
公園だけでも日本よりは、余程進歩していると思うがーー
答。公園も一通りは見物したよ。仏蘭西公園やジェスフィールド公園は、散歩するに、持って来いだ。殊に仏蘭西公園では、若葉を出した篠懸(すずかけ)の間に、西洋人のお袋だの乳母だのが子供を遊ばせている、それが大変綺麗だったっけ。だが格別日本よりも、進歩しているとは思わないね。ただここの公園は、西洋式だと云うだけじゃないか?何も西洋式になりさえすれば、進歩したと云う訳でもあるまいし。
問。新公園にも行ったかい?
答。行ったとも。しかしあれは運動場だろう。僕は公園だとは思わなかった。
問。パブリック・ガアデンは?
答。あの公園は面白かった。外国人は入ってもよいが、支那人は一人も入ることが出来ない。しかもパブリックと号するのだから、命名の妙を極めているよ。
問。しかし往来を歩いていても、西洋人の多い所なぞは、何だか感じが好いじゃないか?比も日本じゃ見られない事だが、——
答。この間、鼻のない異人を見かけた。あんな異人にあう事は、ちょいと日本じゃむずかしいかも知れない。
問。あれか?——あれは流感の時、まっささにマスクをかけた男だ。――しかし往来を歩いていても、やはり異人に比べると、日本人は皆貧弱だね。
答。洋服を着た日本人はね。
問。和服を着たのは、なお困るじゃないか?何しろ日本人と云うやつは、肌が人に見える事は、何とも思っていないんだから——
答。もし何とか思うとすれば、それは思うものが猥褻なのさ。久米の仙人と云う人は、その為に雲から落ちたじゃないか?
問。じゃ西洋人は猥褻かい?
答。もちろんその点では猥褻だね。ただ風俗と云うやつは、残念ながら多数決のものだ。だから今に日本も、素足で外へ出かけるのは、卑しい事のように思うだろう。
つまりだんだん以前よりも、猥褻になって行くのだね。
問。しかし日本の芸者などが、白昼往来を歩いているのは、西洋人の手前も恥入るからね。
答。何、そんな事は安心し給え。西洋人の芸者も歩いているのだから、——ただ君には見分けられないのさ。
問。これはちょっと手厳しいな。仏蘭西租界なども行ったかい?
答。あの住宅地は愉快だった。柳がもう煙っていたり、鳩がかすかにささやいていたり、桃がまだ咲いていたり、支那の民家が残っていたり——
問。あの辺は殆ど西洋だね。赤瓦だの、白煉瓦だの、西洋人の家も好いじゃないか?
答。西洋人の家は大抵駄目だね。少くとも僕の見た家は、ことごとく下等なものばかりだった。
問。君がそんな西洋嫌いとは、夢にも僕は思わなかったが——
答。僕は西洋が嫌いなのじゃない。俗悪なものが嫌いなのだ。
問。それは僕ももちろんそうさ。——
答。嘘をつき給え。君は和服を着るよりも、洋服を着たいと思っている。門構えの家に住むよりも、バンガロオに住みたいと思っている。釜揚うどんを食うよりも、マカロニを食いたいと思っている。山本山を飲むよりも、ブラジル珈琲を飲み——
問。もうわかったよ。しかし墓地は悪くはあるまい、あの静安寺路の西洋人の墓地は?
答。墓地とは、また窮したね。なるほどあの墓地は気が利いていた。しかし僕はどちらかと云えば、大理石の十字架の下より、土饅頭の下に横になっていたい。いわんや怪しげな天使などの彫刻の下はまっぴら御免だ。
問。すると君は上海の西洋には、全然興味を感じないのかい?
答。いや、大いに感じているのだ。上海は君の云う通り、とにかく一面には西洋だからね。善かれ悪しかれ西洋を見るのは、面白い事に違いないじゃないか?ただここの西洋は本場を見ない僕の眼にも、やはり場違いのような気がするのだ。
不幸で無様なことに、この問答で問を発してるのが、中国を見下し、侮蔑することを覚え始めた日本人だ。日本のほぼ全て、文字も、学問も、思想も、宗教も、技術も、芸術も、統治制度も、何もかもを二千年以上に渡ってそこから学び続けた、あの中国をだ。西洋に食い散らかされ、疲弊し、抵抗する中国を日本人は嘲笑った。それが芥川の見た日本人の姿だった。
そして、さらに驚くべきことは、現代日本人の姿だ。
アヘン戦争に始まるたかだか百年余りの、帝国主義の侵略がもたらした中国大陸の大混乱と屈辱の中に落とされた中国像に固定されて、百年の屈辱から80年後の中国の凄まじい変貌振りを理解できない日本人が、この現代にさえ相当数いる。この度が過ぎた無知と教養の欠如こそが、今や日本という国家の根幹を侵蝕し始め、日本の安全保障に脆弱性の穴を拡大しつつある。
これは何を意味するのだろうか。
一つは、明治の日本人が持った西欧白人国家に対する凄まじく根深い劣等感をいまだに現代日本人の多くが(意識する・しないは別にして)引きずっているということだろう。いや、現代はもっと悲惨だろう。明治の日本人には、少なくとも西洋に対抗する東洋、もしくは日本という価値体系の知識があった。しかし、今はない。あるのは、劣等感の上に無知と無教養がこねあげた「日本すごい」観だけだ。
滑稽なことに、いまだに “西洋の白人みたいな自分“ に快楽を見出している日本人がいるのは、明治時代に覚えた、中国を見下すことによって、西洋劣等感を乗り越える欺瞞の気持ち良さから逃れられないのだろう。
本当に劣等感から自由になるためには、正当な歴史認識が必要になる。明治日本は欧米列強を出し抜き、植民地化を免れるどころか、自ら帝国主義に成り上がる初の有色人種国家になったことは事実だ。それは、「誇り」と同時に「屈辱」の要素も包含する。
なぜなら、脱亜入欧、富国強兵、文明開化というスローガンが痛々しいほど露骨に示すのは、日本という極東アジアの小国が生存するために直面したジレンマでもあったからだ。
日本が誰にも侵されないためには、
・どうして脱亜しなければいけないのか?
・どうして入欧しなければいけないのか?
・どうして富国しなければいけないのか?
・どうして強兵しなければいけないのか?
・既に東洋文明があるのに、どうして西洋文明の導入を文明開化と呼ばなければいけないのか?
アフリカから中東、アジア、中南米まで全ての植民地化された土地で、当時同じ問いが発せられただろう。日本人の多くも問うた。しかし、明治政府は、この近代における西欧帝国主義の根元的な正当性の欠如を不問に伏した。生き残るために。
ここで、後世の安楽な位置から、歴史の審判者にも弁解者にもならずに言えることは、全速・全力で、西欧並みになることーーそれが明治日本の生存戦略だったという事実と、にもかかわらず、それはアジアにとって不当なものであったという事実、しかし、それは欧米帝国主義のアジア侵略の不当性を免除するものではないという事実だ。三つの立場があるのではなく、この3点セットが同時に並列していたのが日本の近代史の幕開けだった。
日本の生存戦略はひとまず成功したと言えるだろう。日本は立派に、あるいは過激に帝国主義の体面を整えることに成功した。だからこそ、明治の日本へのアジア各国からの留学ブームさえ起きた。
しかし、日本の成功とは、具体的には、西欧国家並みに、非白人種の領土を食い散らかし、搾取し、収奪し、凌辱し、破壊し、殺戮する側に参加したということだった。その延長線上に大東亜戦争はあった。
ところが、帝国主義という人類史上稀に見る大罪の一部である日本を切除しただけで、帝国主義の大罪そのものが帳消しになるわけではない。世界中に転移済みの帝国主義という悪は消えていない。それが今我々が見ている世界が悲惨な大混乱に堕とされている理由だ。
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