子どもが成長するある段階で、たいていは10代半ばくらいで、自分の子どもが何を考えているか分からなくなる。何を訊いても、明瞭な返事が返ってくるわけでもなく、自分から親に話すことも極端に減る。親たちはそれまで持っていた圧倒的な威信を失ったことに気づき、中には強権を発動して毒親初級くらいの資格を得る親もいる。
10年くらい前の話になるが、子どもの学校に中高校生のためのカウンセラーが悩める親のために講演にやってくることがあった。カウンセラーの話に印象に残ったことが二つあった。
一つは、子どもたちにとっての音楽の重要性だった。今の10代が聴く音楽は僕にはもうほとんど分からないが、自分が10代の頃、毎日聴いていたロックやポップスが自分の情緒に与える影響がとても大きかったことを思い出す。そのカウンセラーは、一曲のポピュラーソングが一人の10代の若者の命を救うこともあると言っていた。このカウンセラーが、学校という”真面目な話”の場の中心に、子ども達の聴く音楽、それも親たちがまともに取り合わないような音楽を持って来たことに僕は好感を持った。
二つ目は、秘密の重要性。子どもが秘密を持つことを極度に嫌う親がいる。しかし、このカウンセラーは、子どもが自分だけの秘密を持つことが、大人へ成長していくための不可欠の第一歩だと力説していた。この時、出席している父母たちがややざわついたことも印象に残っている(ほらほら)。カウンセラーは子どもが自分の秘密を持つことによって、自律/立のための核が出来ていくというようなことを言っていた。面白いなと思った。このカウンセラーは、音楽と秘密という、親たちの期待をきっちりと裏切った話をして帰っていった。良い人だ。
自分が10代の頃といえば、社会というもの、体制というもの、世界というもの、そのほとんどをほんの一部しか知らないはずだが、いや、それ故に、それらを僕は憎悪していた。敵意を持っていたというか。そして、厄介なことに、父親というのは、その象徴として存在していた。彼こそがそのようなものに正当に憎悪する資格があっただろうに10代の僕はそれを理解していなかった。その頃の自分の父親に対する態度は、そんなものと言葉を交わすのは穢らわしいとまで言わんばかりの態度だったろうと思う。僕は徹底して会話を避けていた。
自分の子どもたちが10代半ばになり、ほとんど僕と口をきかなくなった頃、そんな10代の自分を思い出し、僕は少し安堵したーーー順調に成長している。自分は今、子ども達の最も憎むべき存在なのだろうなと。自分の父親の心境がやっと理解でき、痛烈な痛さとおかしさを感じ、父に無性に話しかけたくなったが、もう他界した後ではなんともしようがない。
今も僕は自分の子どもが何を考えて、どこへ向かっているのかさっぱり分からない。間接的に、散発的に、偶然に聞く彼らの言葉が乾燥し切ったのどに落ちる一滴の水のように感じる。あー、そうかー、そうかーと一人心の中で頷く。
以下は、ショート・フィルム『 The Fool 』(2022)に関する ONLYCHILD の記事を大雑把に訳したものだが、ここで僕は、自分の長男が表現しようとしていたものを知り、僕の知らないところでの彼の受難を想像し、自分の父親の苦痛をやっと理解した時と同様の痛みに呻いた。自分の父と息子、自分の上の世代と下の世代、それぞれが乗り越えなければいけなかった苦痛を理解するまでにかかった年月の長さに呆れ返る。
ダリウス・ルービン監督と山本凱也 (ヨシヤ) 監督による作品『 The Fool 』(2022) が、ニューヨーク・ショートフィルム国際映画祭に正式に選出された。(上の画像は、『 The Fool 』が取った賞を示す。)
この作品は、”Made in New York City”というタグで終わっている。
MADE IN NEW YORK CITY, AND FOR NEW YORK CITY.
(メイド・イン・ニューヨーク、そしてニューヨークのために。)
タイムズ・スクエアも、五番街も、エンパイア・ステート・ビルもない。しかし、3つの行政区にまたがる『 The Fool 』が捉える街のエネルギーは、ランドマークがないにもかかわらず、直感的で力強い。それは写真を通して常に存在している。私たちは、この街の冷たさ、人通りのなさ、そしてこの街がどれほど孤独を感じさせるかに気づく。あるいは、エネルギー、ダイナミズム、そしてその影響が、自分自身についての教訓の生き方や学び方に影響を与えていることもわかる。
『 The Fool 』 の冒頭には、カール・ユングの言葉が引用されている ー
“愚か者は救世主の先駆けである”
この短編が展開するにつれ、私たちはあまりにも見慣れた光景を目の当たりにすることになる。成長する過程で、ある青年は人とのつながりを求めて必死になるが、彼が承認を求めている人たちからあからさまに利用されるのだ。若者の目に見える絶望は、必然的に不満と孤独の感情をもたらす。
人がこれほど自由に与えるとき、他人が奪うのは明らかではないだろうか?
ルービン監督と山本監督は、人と人とのつながりや関係性にインスパイアされた物語を創るという目的のもと、それぞれの作品について語り合った。ルービン監督と山本監督は、21世紀の人間関係について、それぞれの視点から語っている。
“They are designed to be easier to foster and maintain, with the increase in connectivity, yet it appears that people feel more alone than ever – without the ability to be honest about the way we feel, not even to closest friends. As we all know, the weak finish last. Too embarrassed to voice, and too worried to be perceived as weak, we let our frustrations and insecurities out in other ways. By placing our definitions of self in the hands of others, no matter how close we think we are to people, we’ll always be chasing something foreign and unnatural, falling short and unhappy.”
「人間関係はより簡単に育まれ、維持されるように設計されている。しかし、人々はかつてないほど孤独を感じているようだ。誰もが知っているように、弱者は最後に終わる。恥ずかしくて口に出せず、弱いと思われるのが心配で、私たちは不満や不安を別の方法で吐き出す。自己の定義を他人の手に委ねることで、どんなに親しいと思っている人でも、私たちは常に異質で不自然なものを追い求め、不足し、不幸になる。」
この短編が展開するにつれ、私たちはあまりにも見慣れた光景を目の当たりにすることになる。成長する過程で、ある青年は人とのつながりを求めて必死になるが、彼が承認を求めている人たちからあからさまに利用されるのだ。若者の目に見える絶望は、必然的に不満と孤独の感情をもたらす。
人がこれほど自由に与えるとき、他人が奪うのは明らかではないだろうか?
ルービン監督と山本監督は、人と人とのつながりや関係性にインスパイアされた物語を創るという目的のもと、それぞれの作品について語り合った。ルービン監督と山本監督は、21世紀の人間関係について、それぞれの視点から語っている。
『 The Fool 』 は、ダリウス・ルービン監督と山本凱也監督の最初のコラボレーション作品であり、彼らは年末にリリースされる複数のプロジェクトで引き続き協力する予定である。
ダリウス・ルービン:Instagram
山本凱也 (ヨシヤ):Instagram
『 The Fool 』 :Instagram 。予告編はこちら。
Comments
List of comments (1)
凱也氏の次の作品が楽しみです。