【野良猫文庫】無料期間のお知らせ:2026年5月31日〜6月4日

以下の2冊は、2026年5月31日から6月4日の間、無料です。
もちろんKindle Unlimited メンバーの方は、上限冊数に達するまではいつでも無料です。

『伊丹万作選集ー戦争と政治』

日本人はなぜ戦争を止められなかったのか。

真珠湾攻撃の直前から敗戦後一年で
亡くなるまで、伊丹万作が書き残した
戦争と政治をめぐる随想六篇。
『戦争中止を望む』『戦争責任者の問題』ほか
収録。各作品に執筆時の時代背景解説を付す。

 ここに収めた伊丹万作の6つの作品は、1941年(昭和16年)12月8日の真珠湾攻撃によって始まる太平洋戦争の約3ヶ月前から、1945年(昭和20年)8月15日の玉音放送によって国民が日本の敗戦を知らされた日の約8ヶ月後までの5年弱の間に書かれている。

 この5年間に日本の社会は激動する。軍でも政府でもないところにいる一人の映画人が見ていた日本が、それぞれの作品に映し出されている。伊丹万作の残した作品は、歴史教科書が描かない一般人の見た日本を知ることが出来る貴重な記録の一つとして読むことが出来る。しかし、それ以上に、伊丹のように透徹した目で時代の流れを見続け、だまされない位置に留まった日本人がいたという事実がこれらの作品群によって現代人が受け継ぐべきことだろう。

 1900年という19世紀最後の年に生まれた伊丹万作の生涯は、日本が欧米列強の半植民化に抵抗し、同時に急激に自らが帝国主義国家になることに成功し、そして滅亡するまでの短い時期と一致している。

 伊丹が生まれる5年前の1895年(明治28年)、日清戦争の勝利の果実として、日本は台湾を併合した。帝国主義国家としての外形を見せ始めた第一歩だ。伊丹が10歳になった1910年(明治43年)、日本は韓国を併合した。その翌年、列強との不平等条約が完全に撤廃された。これによって、日本は名実ともに帝国主義列強の一員として認められたと自負するようになる。

 この帝国主義に成り上がりあがった日本の延長線上に、1931年(昭和6年)の満州事変が起きる。伊丹が31歳の時だ。

 伊丹は、1928年(昭和3年)に設立された片岡千恵蔵プロダクションに脚本家兼助監督として入社し、1932年(昭和7年)には『國士無双』を監督。「これまでの日本映画監督が持っていなかった〈散文精神〉を作品の中に盛り込んだ」と絶賛され、キネマ旬報ベスト・テンに第6位でランクインした。この頃、伊丹の映画人としての評価は確立し始め、同時に不幸なことにも病臥に伏せがちになる。

 もっと不幸なことは、一人の映画人として円熟期を迎える時期が、帝国主義にやっと成り上がることが出来た日本が過信と増長で急激に自滅へ向かう時期と重なったことかもしれない。

 この時期に起きたことを列挙してみよう。
・1932年(昭和7年):五一五事件
・1933年(昭和8年):国際連盟脱退
・1934年(昭和9年):天皇機関説問題
・1936年(昭和11年):二二六事件、日独防共協定
・1937年(昭和12年):盧溝橋事件/支那事変/日中戦争
・1938年(昭和13年):国家総動員法
・1939年(昭和14年):ノモンハン事件
・1940年(昭和15年):紀元2600年、新体制運動、大政翼賛会成立。日独伊三国同盟
・1941年(昭和16年):治安維持法改正(思想弾圧強化)

 この選集には、こういう時代を生き延びた後に伊丹が書いた下記の6作品を収めた。各作品には、時代の文脈を映し出すために解説をつけた。
◾️1941年(昭和16年)『思い――情報局の映画新体制案について――』
◾️1944年(昭和19年)『映画と民族性』
◾️1944年(昭和19年)『戦争中止を望む』
◾️1945年(昭和20年)『一つの世界――私信――』
◾️1946年(昭和21年)『政治に関する随想』
◾️1946年(昭和21年)『戦争責任者の問題』

 伊丹万作は、戦中から死ぬまで一貫してだまされていなかった。伊丹の言葉がまさに必要な局面に現在の日本はまた来てしまった。しかし、彼はそれを予感し、前回のような失敗を繰り返さないために、これらの作品を書き残してくれたのかもしれない。


『新しい憲法のはなし』

あの時、日本は子ども達に何を伝えようとしたのか。

日本国憲法公布直後、文部省が中学生に届けた
“最初の憲法教育”。
現代の親と大人のための解説を付した復刻版。

日本の再出発

『あたらしい憲法のはなし』が出版されたのは、今から79年前の1947年(昭和22年)の夏だった。その年、日本の義務教育は6年から9年に延長された。尋常小学校の6年に新制中学校の3年が付け加えられたのだ(実は戦時中に既に義務教育の延長は議論されていたが、もちろん実行できるはずもなかった)。

僕が子どもの頃、親たちの会話にはまだ”新制中学校”という言葉が時々出て来たのを覚えている。彼らにとって、僕が行く中学校こそが、新制中学校だったとはその時は知らなかった。

その年、1947年(昭和22年)4月から新制中学校は始まったが、新たに登場した「社会科」の科目は、教材の準備や教員の講習等に時間がかかり、実際には9月からのスタートになった。そこで教科書として文部省が作ったのが『あたらしい憲法のはなし』だった(後に副教材となる)。

『あたらしい憲法のはなし』の再販

79年前の日本の大人たちが、日本の政府が、子どもたちになんとか伝えようとした日本国憲法の理念は何も変わっていない。将来、日本が独立した主権国家として生き直そうとした時に、思い出すべきものとして、今の子どもたちにも知っておいて欲しいことが、すべて『あたらしい憲法のはなし』には書いてある。

『あたらしい憲法のはなし』は今までなんどもいろんな出版社に出版されて来たし、今も手に入るものもある。青空文庫なら無料のKindle版もある。ただ手に入りにくかったり、表記法が古く読みにくかったり、高価だったりする。

出来るだけたくさんの人(子どもも大人も)に読んでほしいので、原文の古い表記を現代かなづかいに変えて、難しい漢字にはふりがなを付けて、子どもに大人がこの本が出版された背景を説明できるように「大人のためのまえがき」を書き加えた。

『あたらしい憲法のはなし』を書いた人は、浅井清という学者さんで、彼は後にこのように記しています。

嬉々として学校へ通う子供達の姿を見るにつけて、彼等の将来の幸福のために、正しい憲法の知識を持たせる唯一の機会が与えられたことに感を覚えた。

END

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