Live 48「19世紀の国際環境」レビュー

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Yoshilog Live 48は、「日本の近現代史シリーズ」のNo.11です。テーマは「19世紀の国際環境」です。

日本の近現代史なんだから、明治維新頃からやれよって思う人も多いと思います。しかし、尊王攘夷がどうしたこうした、文明開化がどうしたこうしたって話が意味を持つのは、その文脈を理解した上でのことです。真空の中の論争は不毛なだけです。

そしたら、その文脈ってなんなのか。ここでは、江戸時代の末期、明治初期の日本人が見ていた、聞いていた、読んでいた、感じていた日本の外の世界をその文脈の大きな部分と想定して、それを見ていきます。

なので、A国とB国がどうしたとか、個別の話をするのではなく、あくまでも環境としての国際社会がどうなっていたかという話になります。

レビュー

毎度のことですが、今回も地球全体を俯瞰する歴史の見方を改めて提示していただき、改めて歴史の見方が偏っていたことを思い出させていただくことができました。

質問は、三角貿易がなぜ400年も続いたのか、です。
見せていただいた俯瞰的な年表に、以前見せていただいた『人権の歴史』を重ねて考えたいと思いました。機会があれば、そういう講義もお願いしたいです。やる方は大変だと思いますが、その際は是非、Intermissionを何度もとっていただきながら、3時間バージョンでお願いいたします!

け〜たん

植民地主義の影響が今もなお残っていることを改めて知ることができました。ありがとうございました。

日本が開国を余儀なくされた幕末。そこに至る国際情勢の数世紀に渡る変遷について話を聞き、江戸幕府は何をやっていたんだろうと思いました。二百年以上に渡り、情報を手に入れようとすればできたはずなのに、外国船がすぐそこに近づいてくるまで何も具体的な手を打ってこなかった。それ以前の信長や秀吉、家康、伊達政宗の頃までは、世界の趨勢にもっと敏感だったにもかかわらず。
しかし、そうした感想はすぐにいまの自分たちに向けられます。

30年前は経済や社会のITの活用、女性の活躍、夫婦別姓、移民の受け入れなどにおいて日本と似たり寄ったりのレベルの国は珍しくなかった。その後、30年間に渡り、情報を手に入れ、自分ごとして考えることができたはずなのに進化をやめてしまい、30年経って国際社会の変化の波がすぐそこに来ているのに、いまなお拒み続けている。

二百数十年にわたる江戸幕府に対する批評の矛先は、現代の私たちに向き、いまを考えさせられる内容でした。

歴史上のさまざまな事象というのは、それがいつ始まったかだけを教わって、いつまで続くか、をあまり教わらないように思う。「○○は〇世紀初めまで続いた」とか授業で聞くと、印象的で覚えているからである。何かの終わりに特定の意味があれば、暗記事項的に教えられるけど、「○○の時代」の終わり、また変遷とか波及とかについては、例えば高校の世界史の授業でも、今思うと、やる範囲としては限られていたと思う(世界史の成績はいつも学年で1-2を争っていたので、教わったかどうかは正確なはず)。

今回のLiveではそんなことを考えさせられた。例えば16世紀に書かれた「ヴェニスの商人」、これが19世紀の国際環境にどう関係するか。講義は種明かしを見ているようで、世界がひとつの時間軸のもとに発展・停滞・後退・再生を行っていることがよく分かり、歴史の脈動を感じた。また、当時の交通や通信の状況、遠洋航海に投資するヨーロッパの人々、を何百年の時間の経過を頭に入れながら想像するのは興味深かった。奴隷貿易や「発見された」土地の人々が経験した悲惨さ、それにそれらが当然、現在の世界に大きく影響していることを思うと、情緒的なことだけで満足すべきではないけれど。

とても内容が面白く、刺激的でした。 ありがとうございました。

今までのレクチャーもとても知的刺激が多く考えさせられるのですが、 今回は、扱う概念が比較的絞られ、それらを軸に歴史が取り上げられ、聴き手として、照準を絞りやすく理解を深めやすかったです。 キーとなる概念の理解が深まると色々なことが積み上がって行き、リテラシーや考える力がつくように感じました。

yoshiさんは、レクチャーの最後に確か、重商主義・植民地支配から成る帝国主義と、 近代になって生まれた日本のような(後発の)帝国主義とでは、発生の経緯と世界に与える影響が異なる、その点が何か今後の展開に影響を与えられるのではないか、という旨のことを言っていました。個人的にその点のyoshiさんの考えをもっと知りたいと思いました。

カブールノートの最後の章で「行け!ジャパニーズ」と叫んだ人たちのことを思い出しました。

以下、感想と考えたこと、連想です。

・大航海時代・重商主義・植民地支配の変遷が興味深く、実は歴史が非常に長いことが  大変、興味深かった。(戦国時代よりもだいぶ前なんですね)

・スペイン・ポルトガルの世界分割が現在の世界で使用されている言語に与えた影響を確認できてとても勉強になった。また、レクチャーで、スペイン・ポルトガルの世界分割、そしてそれに対するイギリス側の動きも少し述べられていたが、日本の鎖国政策に少なからぬ影響を与えたイギリスの三浦按針(みうら あんじん)のことを思い出した。

戦国時代末期に、海外との貿易に前向きだった徳川家康が海外の使節団が江戸湾内の測量を許可したことに対し、家康に重宝されていた三浦按針が、測量は日本への侵攻を見据えた軍事目的であるため、慎重になるべきだと指摘した。

三浦按針は現在の日本で、外国と日本の架け橋になった人物として美化され過ぎているきらいがあるが、按針の功績(?)の一つとして、スペイン勢力を排除し、日本でのオランダとイギリスの自由貿易体制を作ったことが挙げられ、三浦はイギリスの狙いを日本で体現した人物とも考えられる。 https://kutsukake.nichibun.ac.jp/obunsiryo/wp-content/uploads/50597e70ac9f48e3342eca4516dcd274.pdf

・日本が鎖国政策を実施した経緯は、宗教的な脅威の排除だけではなく、宗教・政治・軍事・経済がパッケージになって経済的・政治的覇権を広げていたスペインやポルトガルへの牽制として理解できた。ただ、日本はあまりにも鎖国した期間が長過ぎて、異質なものと触れる機会が少な過ぎて、一般レベルで、海外への免疫力が弱くなった面も否めない。

そして、それが江戸末期と明治期における、短期間での無理な近代化に耐えられなかった要因の一つになってしまった気がした。異質と思われるものとは、少しずつでも関係を続けた方が結局は良いのだと考えさせられた。

・近年の研究で、確か北陸諸藩(奥羽越列藩同盟)と明治新政府が戦った戦地の跡地の発掘調査から、海外で生産されていた弾薬が多く発見されている。また、資料研究からも米国の南北戦争終結後、米国で大量の弾薬と兵器が余り、それが日本に流れ込んで、使用されていた事実が明らかになってきている。

幕府側と明治新政府側の双方に、列強の大量の武器・弾薬が売り込まれていたが、海を隔てた日本の土地においても帝国主義や軍事産業、海外の列強の影響があったことを思い出した。

・また、重商主義や植民経営、帝国主義が、日本の近代化に与えた影響を考えざるをえなかった。

日本の近代化や近代国民国家の形成は、江戸末期・維新期に、海外列強の経済・軍事・政治力の影響を受けて行われた面が強い。

日本は、近代になって、神道から国家神道を人為的に作り、公家の天皇に軍服を着させたりして、なんとか国家としての枠組みやナショナルアイデンティティを急造して、国家の枠組み・議会、経済を短期間で形成しようとしたように思う。

このとき、薩摩・長州・土佐の藩閥政治を主体とした明治新政府主導で「上」からの近代化が行われているので、あまり下や中間の層からの動きを待つ余裕はなかった。

日本は、国の「枠組み」や「箱」は急造したものの、箱の中身、つまり市民社会の生成に関しては、おなざりになっているのかもしれない。(大正デモクラシーや、それ以外のものはあったのかもしれないが、弱い。。)

近代化の過程は、国や地域によって随分と異なるので、日本やアジアなりの市民社会、民主主義、そしてアイデンティティの形成過程の途上にあるのではないかと思った。

TN

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