憲法リテラシー・プロジェクト2023 Part I. 「人類の物語」を振り返る。

去年から始めた憲法リテラシー・プロジェクトの2023年版も前半が終わったので、記録を残しておく。前半はPart I.「人類の物語」として、下記のような五つの章に分けて実施した。

  1. 憲法の歴史
  2. 憲法の理念
  3. 憲法の危機
  4. 憲法の修正
  5. 日本の憲法

こういう章立ては、伝統的な憲法の勉強の仕方とは全然違うので、奇妙に思う人もいるかもしれない。伝統に反抗しているわけではなく、一回のウェビナーにつき、たった2時間で5回だから、全部で10時間しかない。その10時間で憲法という人類の壮大な思想的構築物を味わってもらうためには、かなり工夫しないと収まらない。ああでもない、こうでもないといじくり回した結果、こういう章立てになった。

この憲法リテラシー・プロジェクトを一般人向けにする目的は、なんらかの試験準備であるとか、あるいはなんらかの方向に思想的な誘導を行うとかいうものではなく、やがて問われるかもしれない憲法改正の是非について、すべての国民が自分の頭で考えて納得できる決定をできるようになること。英語では、informed decisionという言葉がよく使われるが、それが意味するところの”十分情報が与えられて分かった上での決定”を一般の国民が出来るようになることを目的にこの憲法リテラシー・プロジェクトを作った。

この下に、各回ごとの感想を載せているが、そこに正解も間違いもない。僕自身が同意するものもあれば、そうでないものもある。しかし、そんなことはどうでもいい話だ。このウェビナーシリーズが目指しているものは、まさに次の感想に書かれているようなことだ。

最後の宿題の質問までたどり着いた時、自分なりの答えが口から言葉で出てきたのには驚きました。 社会のことに全く疎い私が、憲法についての質問(とても短い質問だけれど)に、自分の頭で考えた答えを返答することができている!ちょっと驚いてうれしかったです!

次のクラスでの答え合わせが楽しみです。間違っていても、解答用紙を白紙で返さないですむのはうれしい。

憲法リテラシー・プロジェクトっていったい何をやってるのかと少しでも思った人は、下の感想を読んでみることをお勧めしたい。元々の知識レベルも背景もまったく違う人たちが参加しているのが分かると思う。そして、それぞれのポジションからこのウェビナーを聴講して考えたことが書かれている。僕にとってもとても興味深いものばかりだった。

Part II.「改憲の議論〜憲法から教義へ」は、8月27日に始まります。Part II. の申し込みはこちら

1. 憲法の歴史

現代用語で憲法と言えば、ヨーロッパ・アメリカに始まる近代憲法のこと指すが、近代になって憲法がいきなり登場したわけではない。そこに至るまでアジア、中東、アフリカからアメリカ大陸に至る広い地域で長い前史があった。欧州近代から始まるのではない、数千年の人類の知的歴史を、1. 憲法の歴史で扱った。

現在の日本国憲法を「米国の押し付け」「他国の憲法のコピペ」という言説ががいかに間違っているか、それを憲法の歴史から説き起こす内容に感嘆します。 改憲が話題になるときに9条だけに注目する傾向がありますが、ワイマール憲法の例を見ても、何としても止めるべきは「緊急事態条項の追加」だと思っています。一人でも多くの人にこれを知ってもらうために何ができるか、自分自身が問われています。

杉下 麗

最初に世界と日本の年代に違いがあることを説明していただけたのは全体を俯瞰するうえで良かったと思います。

今回は地球規模で流れを把握するという意味があったと思いますが、年代ごとに世界各地に話が飛んだので、地域ごとの流れが自分の中で繋がりませんでした。

しかし紀元前から憲法と言う概念があったことや、現在使われている憲法の考え方が啓蒙思想によるところが大きいと言う事、また「自由権」「参政権」「社会権」がどんな過程で憲法に盛り込まれることになったのか、ぼんやりとではありますが分かったことは大きな収穫です。

2回目以降で個別のより深い話はあると思いますので、また楽しみにしております。

骨抜き

以前見たはずとはいえ、かなり内容を忘れてしまったので、復習になってよかったです。ワイマール憲法の緊急事態条項のためナチスが好き放題できるようになってしまった点は、我々が歴史に学ぶべき点だと強く感じました。

よしさん、今日もありがとうございました。

昨年に続いて改めて憲法の成り立ちを学んで、啓蒙憲法について考えました。

啓蒙思想が出てきて科学的な考え方による世界の進歩は、今の社会に住む人々にとって恩恵を受けていない人はいないと思いますが、政教分離については現在においても曖昧で、その部分が人々の考え方や価値基準に影響を与えていて、自由権、参政権、社会権、憲法上の全ての権利、これらを全部含む人権について、よりはっきりとした認識を持つことを阻んでいるのではないかと思いました。当然、それは教育にも反映していて、未来に渡って影響を受ける可能性があると思います。

宗教は人の内面において作用する、国家の権力と結びつかない、というものはまだ完全には実現されておらず、更に、実現するというのはどのような状態であるのかまだ想像できないと思いました。

個人的には、今自分が生きている啓蒙的憲法下で科学的な思考を通した人間の進歩を希求することを土台としつつ、人間が長くその精神と性質をもって生きてきた信仰を日々の生活の一助とする形が理想ではないかと今回の講義で思いました。次回も楽しみにしています。

よしさん、お疲れ様でした。ありがとうございました。

限られた時間の中でわかりやすく充実した内容、とても良かったです。

資料のpdfも助かります。 復習も兼ね時間の関係で割愛した箇所などもしっかり読み込もうと思います。

次回を心待ちにしております。

一年前の前回の講義のノートを見返しますと、忘れていたことの多さに驚きました。 普段の生活に関わりのない事を覚えていることの難しさを感じました。

世界の先人たちが考え抜いて勝ち取って来た現在の憲法の大切さを改めて痛感し、この勝ち取った自由を無くし、基本的人権を侵す安易な自民党の憲法改正案をみると、日本が非常に危険な衆愚政治の段階にあることを実感しました。

アリストテレスの循環論では衆愚政治の後はまた君主政治になるという事ですが、現在の衆愚政治から民主政治に戻すにはどうすればいいのか?それは可能なのか?今もう一度アリストテレスに問いたいです。

次回の憲法リテラシーの「憲法の理念」も期待しています。 ありがとうございました!

翔空

最近友人との話で、テクノロジーは時間を逆行しないことは承知していたのですが、民主主義は古代にもあったし新旧の問題ではないと知ったところでした(私は理工系、友人は法律と政治学のバックグラウンド)。アリストテレスの循環論が興味深かったです。この循環が正しいとすると、堕落後の、程度を抑えるのか時間を短くするのか、もしくは回避することができるのかを考えてみたいと思いました。今の日本は衆愚政Oclocracyのまだ入口なのか只中で改善に向かえるのかのフェーズにあると考えています。今日は遅れて参加をしたので、録画を楽しみに待って、もう一度じっくり見ようと思います。

高校の世界史の僅かな記憶を呼び戻しながらの聴講となりました。 憲法は、長い時間をかけた先人達の知恵の結晶 なのだと感動しました。

国がこんな有り様になるまで、その事を実感できなかった自分を恥ずかしく思います。 おそらく私が一番低レベルな受講者だろうと思っていますが、もっと憲法を理解したいという意欲が増しました。

余談ですが、オルテガの講義は気づいた時には申込み期限が過ぎていてとてもがっかりしました。なるべくまめにツイッターをチェックしようと思います。 次回も興味深い講義を楽しみにしております。

匿名希望

明快かつ明解な「憲法」の解説。感動的ですらあった。この講座の目的は、来るかもしれない”改憲の判断を迫られた時”に個々が自分で判断できるようになる為だと。一人の国民として、自分に恥じない責任を果たしたいと思わされた。知らなくてはなるまい。今後ともどうぞよろしくお願いします。(以下は質問というか、ぼやきかも・・です。「運営の評価」は何を評価すれば良いのでしょうか・・・?)

どうすれば良い国が作れるかを真剣に考えるとき、過去に人類が考え試したこと、発見したものを取り入れるのは当然のやり方だと思った。現在の憲法は、これまでの人類の知恵を積み重ねたものと改めて認識した。人類は時代を超え、地球上の各地で、憲法を追求するプロジェクトを進めてきた。時間をかけて手に入れた知恵が、自分達の憲法にどう盛り込まれているか、人類の歴史を意識しながら見つめていきたい。ありがとうございました。

■昨年に続き2回目の受講です。自分の中でうやむやにしてそのまま1年経ってしまった事が、頭の中から湧き出てきました。

①「法治主義」は理解できますが、「法の支配」は今ひとつ分かりません。両者の違いが明らかに分かるような実例はありませんか?同じ事件なのに、裁き方で結果が反対になったというようなサンプルがあると二つの違いを理解できると思うんです。

②「全ての人間は平等で、誰にも奪われない固有の基本的権利を持っている」という自然法の概念は、私を大きく勇気づけてくれるものです。ですがそれに対し「そんなの他人さまの国のこと、他人さまの考え。私たちには関係ない」と言われたら、私はどうやって答えたらよいのだろう?

■早々に資料のスライドを送ってくださりありがとうございました。気持ちと記憶が薄らぐ前にタブレットに落とし、タッチペンでアンダーラインを引いたり書き込みをして、忘れないようにしました(安物のペンゆえ、他人は解読困難)。もし事前に送って頂けるのなら、講義を受けながら書き込みができるなあと思うのですが、ご負担であれば無理して頂くには及びません。

■今日はよしさんのお顔が見えず、物足りなさが残りました。スライドに集中しているのだからどうでも良い筈ですが、そこは人間。やっぱりよしログ、じゃなくてアナログにできているなあと思います。

ありがとうございました。次回もよろしくお願いします。

Lovizoomer

内容が濃いので、もう少し早くintermissionがあると良かったと思います。話の流れも非常にスムーズで、久しぶりに学生時代のようにメモを取りながら参加しました。改憲論議の中で、日本人が自分で書いていないから、という話が良く出てきますが、今日の講義を聞けばそれがいかに的外れな指摘であるか良く分かると思います。今の憲法は紀元前からの思想史の延長にあって、人類の試行錯誤の蓄積なのだから。何人だろうが、憲法を理解していない人間、改憲勢力に勝手なことを書かれては困る。次回も楽しみにしています。オンラインフォーラムの立ち上げもよろしくお願いします。

Norihide Furukawa

シリーズ1に参加して習いきれていない残尿感のようなものがすごくあったので、今回はおさらいもできると聞いて受講をきめました。

仕事の終わった後の時間なのでどうしても睡魔との闘いになってしまうのですが、後日いただける動画と資料で自分のペースで習っていけるところが私にはとても助かります。

情報量が多いけれど、その中から自分なりに要点を探しひろっていくということも学びなので、今回は根気よくやってみようと思っています。

「人の支配」から「法の支配」へと移行していく歴史の部分が今回もやはり心に強く残ります。 完璧な人間などいないのに、人が人を裁こうとしている様子は自分の周りでもSNSでもよく見かけるし、自分自身にもそういう危うさがあるんじゃないかと思うので、憲法の勉強だけにとどまらない学びが憲法リテラシーの中にはあるなあ思っています。

2週間ごとにこのボリュームの新しい内容がやってくると思うと消化できるかなあと思ってしまうけれど、挑戦! 資料の最後のホームワーク「自由の反対語は?」は、あいかわらずしびれる悩ましい課題! よろしくお願いします。

前回に引き続いて参加しています。何度聞いても良いです。人間が、憲法というもの、あるいは上位法の概念を得て、それを社会に実装していく過程、またその内容の特色とか変化とか。人間社会のここまでの進歩発展、また今後の見通しについても、素朴な感動や希望を抱きます。

各時代の各国の憲法の発展は、その国家体制の変遷と表裏一体で、ざっくり言うと憲法の近代化とは、民主主義の発展を裏書きするもののひとつでもあると思います。国ごとの経緯を見ていると、それだけでなんだかワクワクします。その過程は多くの人の血が流れた、苦難の歴史であったことは分かっているとしても。

その意味で日本国憲法は、第二次世界大戦に至る誤った道と、その敗戦との引き換えに制定されたものであり、日本が敗戦後、世界の一員として生きていくための誓約でもあったはず。よって日本は日本国憲法に宣言されている精神を守らなければならないし、国民は国の拠って立つところとして、誇りに思って良いものだと考えます。

このようなことを自分の中で確認した第一回でした。次回以降も楽しみです。よろしくお願いします。

昨年に続き2回目ですが、1年前の記憶が恐ろしいほど曖昧だったので新たな気持ちで受講しました。 ただ、昨年の「憲法リテラシー」から「憲法とは」「人権とは」・・・といったことを常に意識するようになったことで、今回の受講内容の受け止め方がずいぶん変わったように感じています。 何千年もの歴史が積み重ねてきた結晶である憲法の重みを意識しながら、次回の受講を楽しみにしています。

Yukiko

※欧州在住で時差があるためリアルタイムで参加ができず、今後も録画を拝見して勉強させていただきます。質問や議論はチャットスペースでできるという理解でよろしいですか?

・今回一番のtakeaway: 憲法は近代以降に突如発生してできたものではなく何千年の歴史の中で積み重なった人々の知恵と努力の結晶である。

・細かいtakeaway

– アリストテレスの循環論について、どのシステムが良いか悪いかではなく、運用が良いか悪いかにかかっている点が興味深いと思った。日本人や西欧諸国の国民が民主政が正義で独裁が悪といった愚直な二項論・信者に陥り、しかもそれを押し付けがちなのはなぜだろう。

– 古代ローマの君主制・共和制・民主制の組み合わせの仕組みが様々な国の政治構造の原形になっていることも興味深かった

– 理性、経験論、進歩、自由、宗教への批判、ヒューマニズムなど啓蒙思想の中身を改めて学べたこともよかった。高校の世界史では具体的に学ばないし、当時はこれらの価値や人権の価値は当たり前のこととしか思わなかったが、その当たり前の自由や権利のない人々のことを考える機会や広い社会との接点が10代の学生の頃にあればよかった

・全般的な感想:世界各地、特にアジア、アフリカ、南米、東欧と、日本人が学ぶ世界史の中では主流ではない国々まで触れていただけたのがよかった。

藤田 綾
2. 憲法の理念

現代の憲法を見ると、それが様々な理念のブロックを積み上げた構築物であることが分かる。自由という理念、個人という理念、人権という理念その他様々な理念というレゴブロックのようなものが憲法という構築物には含まれている。2. 憲法の理念では、それらの理念がどうやって出来てきたのか、それらが憲法の設計図にどのように組み込まれているのかを見て行った。

完全なる自由を恐れるメンタリティが全体主義を生み出すとの言葉に深く頷きます。日本はこのメンタルから脱却できないまま、それを一部の宗教団体や政党に利用されていると思えます。国家の主たる任務は国民の自由の確保であって、なるべく社会に干渉すべきでないという部分、それに続く自由放任主義による経済格差が人の支配を生み出し、国策による経済生活への関与が期待されるという部分で、ある政治家の街宣を思い出します。

「思いっきりあんたの人生、生きてくれ。困ったときは国が助けるから。こんな国があったら最高じゃないか。」 現行の日本国憲法にはこの精神が現れていて失うべきではないと痛感します。

杉下 麗

よしさん、今日もありがとうございました。

憲法の理念について学びました。

箱の外、上位概念について考えました。キリスト教の神が全ての人に与えたとされる自然法、人間界を超越した概念における人権が、日本では天賦人権という言葉で表されてそれはほぼ同意で、王権神授説と啓蒙思想の対立や葛藤が長い間時間をかけてなされて克服されてきたヨーロッパと比べて、明治維新後の日本の王権神授説と天賦人権説との併存は矛盾をはらんだまま克服できない状態で敗戦をむかえたことがわかりました。そのことは、戦後の人々の思想的な考え方にも影響していて、戦前教育の現人神としての天皇が人間でありながら神でもあるという国家神道的思考が日本国憲法下においてさえも意識無意識にも引き継がれているのではないかと思いました。キリスト教の神は上位概念になるけれども、日本の神道における神は、天皇のような人を神に据えることもあることから、自然法のような上位概念を認識しずらいのではないかと思いました。

日本においてそれらを克服するためには、昨年の憲法リテラシーの感想でも書きましたが、憲法を義務教育をはじめとした学校教育でもっとしっかり教えるべきだと思います。そしてそれは、日本国憲法条文としてだけでなく、前回の憲法の歴史、今回の理念、そこから学ぶことで、憲法が人類の歴史でどんな位置にあり、自分の人生においてどれだけ重い土台になるか、ということをこれから生きる全ての人に教える必要があると思います。少なくとも私はそのような教育を受けなかったし、子供達も受けていません。動物の中でも人間として生きている私たちが憲法をきちんと学んでこなかったというのは、上の世代が下の世代に責任を負う教育の怠慢だと思います。何とか今後の教育システムに組み込めないか考える必要があると思いました。

よしさん、今日もありがとうございました。お疲れ様でした。

 いつも学びをありがとうございます。

 中学3年の公民で初めて知った憲法に記載されている基本的人権ですが、自然法のことや、どのように人権という概念が認識されるようになったのか、歴史を一緒に学ぶことで理解が深まるんだとYoshilog Liveに参加するようになってから感じています。(まだまだ理解が足りないと思いますが。。。) 

 中学や高校でも同様の授業があれば、人権や統治について理解が深まり、共通の認識を持って現政権が進めている法律や改憲について自分で考えることができ、また、議論ができるのではないかと思いました。 また、現国会議員の方々も理解はできていないのではないかと感じます。(法学部出身が多いと思うのですが。。。)

 まだまだ、知識が足りないので、本を読んでいこうと思います。 今年に入ってから『リヴァイアサン』という言葉を目にするようになりましが、まずは解説書から読んでみたいと思います。(いつの日になるのやら。。。)

 次回もよろしくお願いします。

前回、人の支配を排し法の支配への転換という歴史の流れに、時代を生きてきた「民」の知力を思い感動した。今回は、一方で、今の日本での法案が成立するプロセスを見ていると、法の支配と法治主義は同一ではないことをしっかりと理解して、“悪法“に対処しなければいけないと思わされた。また、“自由“については、個人レベルから視野を広げて、社会的集合的レベルで自由を考えなくてはならないことに気付かされた。※学校の授業で聞いたことのある用語が、新鮮な意味を持って新しい理解になっていくことにワクワクの連続です。

社会が自由であるかを考えるときは、自由を平等に置き換えてみます。身近な人間関係も、平等かを確認すれば、いくぶんか判別しやすくなると思う。消極的自由、積極的自由、他者との連携を求めるが故に究極的に全体主義につながる、自由を恐れるメンタリティがあることも分かるようになってきたと思う。重商主義から産業革命を経て、貧富の差、社会国家・福祉国家、生存権・社会権の流れもだいぶ分かるようになりました。自然状態から社会契約論、平等によりよく生きたい一般意思の存在も分かるようになってきたと思います。今は人間の本性をよく観察し、人間本来の価値観を理解して納得したいです。今週もありがとうございました。

憲法と人間の関わりを理解してこなかった。社会のシステムについて、どの瞬間でもいい、人生の中、終わりでも自分自身を目覚めさせ、憲法の中にある人権や社会契約説などを読んで政治を正しく観察するすべを掴めば良いと思う。

幽霊が寝言を言っているかの日本は、 無理をかりたてている。 マスコミの弱さが際立ちます。

スライドありがとうございます。

次回楽しみにしています。

Mi1204kyo

「自由」の反対語は「運命」でした。

私は「義務」かな?と思っていたので、残念ながら外れてしまいました。

「自由」の同意語は全然分かりません。

産業革命後の貧富の差が増大した後に生存権・社会権が出てきたと言うのは、ちょっと意外でした。 マルクスの理論もこうした時代の流れの中で考えると必然だったんですね。

日本ではやたら共産主義はバッシングされますが、この流れからすると共産主義というのも民主主義の中の一つの流派みたいに考えられなくもないですね? 問題があるとしたら一党独裁ってとこなんだろうな、、、

吉野 俊行

今日の内容を中学と高校で6年間かけてじっくりと学べば、市民としての基礎のかなりの部分がカバーできるのではないでしょうか。それを経ずに大人になってしまうのは不幸だと思う。もっと若い世代にリーチできる方法はないものでしょうか。

Norihide Furukawa

今回は画面や音声が全部意図した通り共有されて、100%楽しめる感じで参加できました…文字通り楽しかったです。前半は「人権」部分を一気に90分。学生時代、講義一コマの90分間はつらかった長さですが、今は集中して聴ける。これは、年数が経って自分自身に持久力がついたのもさることながら、講義そのものがとても面白かったので、引き込まれて聴いていたことが一番であることは間違いありません。

例えば内容からひとつだけ挙げるとしたら、憲法とは先ず「人権」と「統治」の二つでできている、ということを、大半の日本人は知らないように思います。中学校あたりで心ある社会の先生が教えることはあるとしても、教えるべき内容として教育指導要領に入っていることはないような気がします。もし基本的な内容として教えられていたら、日本人の人権意識はここまで低くないように想像しますが、これは楽観的過ぎるでしょうか。

いずれにしても、今回のような内容はもっと小中高で教えてほしい。これらを知るだけでも、過去、人類や人間社会のあり方がだんだんに改善・発展してきたことが分かるし、これから長い人生を生きる子供達が、自分の将来や人類の未来について、少なくとも何らかの明るい希望が持てる要素のひとつになるのではないか、と思うからです。

そして、われわれは歴史に学んで未来を変えられる、と気が付けば、健全なデモクラシーの発展に寄与するところはとてつもなく大きいし、また、人類の叡智を次世代に引き継いでいくループを、途切れずに繋げていくこともできると思います。

第二回のメモとして、日本の初中等教育で教える内容は超過激に改善すべき。それまでに一度、現在の与党体制を完膚なきまでに解体する必要はあるけれど。

今回もありがとうございました。

いつもご指導ありがとうございます。日本国憲法が崩せない枠組みなんだと言う事がやっとずっしり腑に落ちました。改憲する事で方向性を変えなければいけない事。自民党案では近代的となり得ない事がじわりじわり分かって来ました。しかし長年の植え付けで融合した感じではないです。予想不能な考えの及ばない他者に従えないとは本当だなと思いました。少しずつ人権の土台が築けるようにこれからも頑張りたいと思います。よろしくお願いします。

みほ

先週のクラスからちょうど1週間ほどすぎました。いただいた資料を毎日少しずつ読んで頭の整理をしました。簡単に頭に入る内容ではないので、講義内容を思い出しながら、それでもわからない言葉などは自分で調べながらなんとか、資料を最後まで読み終えました。

最後の宿題の質問までたどり着いた時、自分なりの答えが口から言葉で出てきたのには驚きました。 社会のことに全く疎い私が、憲法についての質問(とても短い質問だけれど)に、自分の頭で考えた答えを返答することができている!ちょっと驚いてうれしかったです!

次のクラスでの答え合わせが楽しみです。間違っていても、解答用紙を白紙で返さないですむのはうれしい。

今回何度も読み返したのは、社会契約と立憲主義の部分です。 「孤独で、貧しく、厄介で、残忍で、短い」営みしかできないただの野生人間に退行しかけている今、それを食い止めることできる手段の1つが憲法についてよく学ぶことなのかなと考えたこの1週間でした。

法による支配と自由や安全は、これまで矛盾してるようにしか私には聞こえなかったけど、なんとなく少し理解したように思います。 法は文明化する力、本当にそう思います。

たくさん考えさせていただける内容をありがとうございました。

自由の反対が運命とは衝撃でした。人権に付いての理解も全く浅く、つくづく勉強が足りていないことを思い知らされました。何度も録画を見直しながら、憲法について学んでいきたいです。

3. 憲法の危機

憲法には危機がやってくる。外からも内からも。そこから身を守るために憲法にも安全保障のシステムが存在する。どのような危機があり、どのような安全保障装置があるのかを、伝統的にはいくつかの異なったトピックとして紹介されるものもここでまとめて一つの大きな危機対応システムとして説明した。

・憲法裁判所は何でも閣議決定で決まってしまう今の日本には必要だと思いました。

・最後のナチスのところもう少し詳細に聞きたいと思いました。

吉野 俊行

今日はいくら良い憲法を作っても、受け取り側の解釈によって利己的なものになってしまう怖さを改めて感じる内容でした。いざという時の為に今後頂ける資料をゆっくり見て頭の中を整理しつつ自身の考えをまとめていきたいです。ありがとうございました。

3回目の今日は『憲法の危機』

10年位前だったか麻生太郎が憲法改正論で「ナチスの手口を学べ」とか言ってたのを思い出した。まさにナチスを手本に彼らは動いてるのだろう。

国家緊急権は『白紙の小切手をあげてしまうようなもの』よしさんの今日のこのひと言が名言だった。まさにそれだ!って思う。 ひとりでも多くの国民に『白紙の小切手を渡してしまう恐ろしさ』に気付いてほしい。

今日も興味深い学びが盛り沢山でした。 

ありがとうございます。 感謝します。

憲法を無視する暴政を行う政府が今まさに日本に登場している状況であり、違憲審査の最終判断を委ねられた最高裁判所の判事がすべて安倍政権によって任命されていることに強い危機感を覚えます。内閣法制局も安倍政権下でトップが変わり集団的自衛権という曲解を通してしまった。自民党の改憲への執念は強いものですが、通してはいけないと改めて思います。

コロナ禍の緊急事態宣言によって国民は「緊急事態」という文言に慣れてしまい、自民党の思惑に有利に働く恐れがあります。今の状態で資金力のある自民党が改憲に向けてテレビCMを展開したらどうなるか。「緊急事態条項」がいかに危険であるか、まったく報道されず何も知らない国民も少なくない状況を打開しなければかつてのドイツと同じ道を日本も辿ることになるでしょう。

国会中継は放送されず、国政も地方政治も投票率は下がり続け、組織票を持つ自民党が有利な状況が続くのか、報道も有権者も意識を問われていると思っています。

杉下 麗

今日も沢山勉強させて頂きまして有難うございました。

「抵抗権」のことを調べましたら、憲法「第九十九条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」というものがあります。これであきらかに閣議決定で憲法解釈を決めるのは99条違反だと思われます。 まず閣議決定自体は合憲だとしても、使われ方が「法的拘束力があるように用いられている」ことが憲法違反です。権力の乱用です。三権分立に違反しています。

非常に危うい独裁体制を作る道具に閣議決定は使われています。 此の侭では閣議決定で憲法改正についてもどんどん進められてしまいます。 そこで独裁を止めるために、国民の『抵抗権「国民の共通の利益に反する行為や国民の安全を脅かす政府を変更または廃止する権利」』を使うべき時が来ています。 国民は自分達を守るために抵抗権(革命権)を持っています。 こういう事を国民は今こそよく知り、知識を武器に国民を脅かす政府に対抗しなくてはなりません。

翔空

 よしさん、今日もありがとうございました。

 憲法リテラシー3 憲法の危機でした。「憲法の危機」というまとまりで憲法を学ぶ、というのはあまり見られないとのことでしたが、骨組みから憲法を理解するのにとてもわかりやすく、自分の頭の中が整理されてよかったです。

 昨年の同じ回について自分の感想を読み返したら、「戦う民主主義」について書いてて、今回もそのことについて自分の興味のアンテナが反応したので驚きました。民主主義を放棄する自由の制限、憲法擁護義務について知り、憲法は存在意義そのものが民主主義なのではないかと思いました。そうすると民主主義そのものである憲法に対して「憲法改正」を言う時、改正とは、民主主義をさらに先に進めるものであるはずで、これまでの人類の知の蓄積の成果として存在する憲法の次の蓄積のひとつとなることが前提になるのではないかと思いました。よって、その逆の民主主義の破壊、後退になるような内容を含む改憲案は、憲法の改正とは言い難く、ふさわしくないと、ごく自然に理解できることになります。そして、今の現存する憲法を無効にするための動きに対しては、過去のナチスの台頭への軌跡をたどり、同じ過ちを繰り返さないよう、どんなことが人々にとって危機になるのかを知り、国民ひとりひとりが自覚をもって把握し、主権者として毅然と阻止することが求められると思いました。  

 昨年の感想にも書きましたが、憲法の改正は、人間の尊厳や人権という上位概念に立ち返り、そこの部分に問題がないか十分に検証することが大事と改めて思います。今後、主権者教育がいかに行われるかということは、将来を決める何より大事な課題のひとつになるのではないかと、今日の講義を聴いて思いました。

 よしさん、ありがとうございました。お疲れ様でした。

本日初めて参加させていただきました。バラバラで心もとなかった知識を、新鮮な切り口で整理し直していただいたうえ、大幅に補強していただきました。ありがとうございました。

大変満足しましたが、評価をすべて「9」にしたのは、受講する側にも工夫する余地があるだろうという点を踏まえたものです。また、しいて申し上げれば、予定されているご説明を一気にご説明いただいたうえで、後から全体を俯瞰した方が、時間の節約になったような気がいたします。

冒頭にご指摘のあった「パラドックス」で世論が混乱しているうちに、緊急事態だからいいだろうとトンデモナイ条項が設けられる危険を感じました。「歴史の転換点」を口実に、軍備増強や原発回帰に突き進む岸田政権の恐ろしさを改めて感じました。

また、「解釈」は色々あっていいのだけれど、その意図が憲法を形骸化するものだと、それは「憲法違反」そのものだと認識いたしました。 ありがとうございました。

Koichi IITAKE

政治、自治体の役人主義がちょっとだけでもわかる道すじを見つけられる。平和ではない 先にまだボケが蔓延りそうですが。

ありがとうございました。

憲法には革命への期待が内在する、というのが最も印象に残った点です。 その視点で聴講し、頂いた資料を復習してみているけれど、まだ難しい。

今回、パラドックスという言葉を習ったけれど、憲法の中にも、憲法を論じる時にも、そこに隠れているカラクリみたいなものを見破る力がないこと、それが私たちが直面している危機ということなのかなあとか。 その程度までにしか私はまだ考えられていません。 それが正解かどうかすらもわからないまま復習を続けているところなので、感想をまとめることもできるかどうかわからないまま書いています。

意図せずして昨日から読み始めた坂口安吾の『堕落論』にあった、“そして人のごとくに日本もまた堕ちることが必要であろう。堕ちる道を落ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である。“、を読んで、77年前の人と今の私たちが日本という国に感じることが同じだということに驚いています。

政府に期待せず国民が自分で自分を救うという選択肢があることを学校で習った記憶がない。

いつも感じるのは、ここで習ったことを現実の日常の暮らしの中でどう活かしていけるだろうかということです。

私ひとりが理解したかどうかということはとても些細なことで、今まさに憲法、日本の危機なんじゃないかというのがそこにある時に、どう自分なりの役割を務められるんだろうと考えます。

未来を生きていかなければならない子供をもっているからそう考えるのかもしれません。 自分の命のことだけ考えるのならば、日本の危機かどうかなどどうでもいいかなあと思ってしまうのが私の本質だと思うからです。

産んでしまった責任として、彼等の未来を考えてみている自分がいます。

“何物かカラクリにたよって落下をくいとめずにはいられなくなるだろう。そのカラクリをつくり、そのカラクリをくずし、そして人間はすすむ。堕落は制度の母胎であり、その切ない人間の実相を我々はまず最もきびしく見つめることが必要なだけだ。“、という『堕落論』の一節が、何か私にヒントをくれているような気がするけれどよくわからない。

私たちがよく見ていなければ、国外から行われる占領と同じことが、政府という国内から独裁という別の呼び名で為されてしまう、ということなんだろうか…

まとめきれないままの感想文ですみません。 あきらめないでもう少し考えてみようかなと思います。 いつも貴重な資料をありがとうございます。

昨年も受講しましたが好きな回です。虚構の世界での思考実験とか仮説とか、あるいは前提が崩された上でどんな手段が取れるかとか。歴史的事実に驚嘆したり、あるいは自分ならどうする、と考えてみたり。

近未来SF小説に出てきそうな設定とか、取りようによっては思考の可能性に挑戦中の中二病っぽい要素もあって、つまりは面白いのですが、面白いで済んだらいけないことばかり。

憲法の自殺を禁止する、また民主社会の根幹をなす原則を否定する方向への改憲を禁止する条項は、いまの日本国憲法にもあっていいと思います。大多数の国民を犠牲にして、ごく一握りの人々が特権を享受するような国や社会にしないために。

今回もありがとうございました。

時代や文化などを背景にして、各地域(各国)で生み出された「憲法」の進化発展を学ぶことで、「憲法」の本質に触れている気がする。これから、日本国憲法が私の目に、どう見えてくるのか、楽しみです。

4. 憲法の修正

憲法はいったん出来たら変えてはいけないというものではない。改正、修正、変更が必要になる可能性はある。それがなされるとしたら、どのような文脈でなされるのか、その様式にはどのようなものがあるのか、そのような改正、修正、変更には限界はないのか(なんでも変えれるのか)などをこの4. 憲法の修正であつかった。

日本は敗戦を認めた以上、ポツダム宣言を受諾せざるを得なかったのであり、民主主義的な憲法も受け入れる必要があった。確かにその意味において「現憲法は押し付け」とする意見があるのは理解できないわけではない。

しかしながら日本という国が、それまで行ってきた天皇を中心とする専制主義的な流れが否定されたのであり、大東亜共栄圏と言う名の元における植民地支配を真摯に反省することが求められ、国として生まれ変わらなければならない状況であったのであれば、民主主義の受け入れはむしろ当然の流れであり、不可逆的なものでなければならなかったはずだ。

にも拘らず、今日の様な改憲論議が起きていることは、戦争に対する十分な反省がないまま、A級戦犯岸がその後日本の首相になり、今の政治に繋がっていることが大きな要因だと思う。憲法の押付けよりも戦犯を政治家にするという米の策略の方がよほど問題で、こうした政治体制の日本への押付けや米による司法への介入が日本の民主主義を徐々に壊す土壌を築いてきたと言っていいと思う。

憲法改正の際にここだけは変えてはいけないとする部分が日本国憲法にもあるとは思っていなかった。自民党草案で前文は完全に壊され、97条が丸ごと削られており、政治家自身が憲法をどう変えてもいいと思っている節があったからだ。

投票法は改正する必要がある。そのための行動をとって行こうと思っている。

吉野 俊行

国民投票法がザルになってしまったことが悔やまれます。自民党は長年かけて憲法改変のため着々と手を打っており、国民がそれに気づかないまま今に至っているのだと思います。

有権者の過半数はおろか総投票数の過半数でさえなく、有効投票数の過半数で憲法を変えることができる、しかも最低投票率の規制もない。安倍政権になってから投票率を下げるための愚策がいくつも実施され、これにも気づいていない人が多いと思われます。

以前なら選挙公報は防災無線で何度もアナウンスされていましたが地域によってはこれが全くなくなり、投票締め切り時間が繰り上げられるなど、民主主義の根幹を揺るがす事態が生じています。また、白票に意味があると信じる人が多いことが懸念されます。

白票は無効票にしかなりませんが、投票したい候補がいないことの意思表示、賛成でも反対でもないことの意思表示と、いい大人が信じ込んでいる状況は打開が難しいでしょう。

国民投票に持ち込ませない、そのためには発議させないことが重要になるでしょう。どう行動したら止められるのか考えなければなりません。

杉下 麗

日本国憲法の”修正”に関しての守りの厚さを知り、権力者に認めさせた民の権利等の重要性と脆さに気付かされ、これらを忘れることのないようにという先人たちが後世の私たちに残したメッセージを受け取ったかのような気持ちになった。最近の国会でのれいわへの懲罰動議など、悪いシナリオへの布石、予行演習のようで気持ちが悪い。戦争に向かいたくない個々の思いを、どうやったら繋げて、輪にして、広げていけるのか・・。

とりあえず、「個」としての私は、身近な人々に、この講座で学んでいることを伝えていこうと思う。

これまでの回の憲法の基礎的な内容から、今回で現在の日本の課題に近づき、改めてこのトピックをどう広められるか考えています。友人同士の会話では、憲法の話であっても改正となると政治にかかわるので会話しにくいのですが、歴史の話、例えばドイツのヒトラーは合法的な手続きで独裁者になったなどの話は響くことはありました。この憲法リテラシーのような内容を横展開できたらどこが可能かと考えています(いまだいいアイディアはないですが)。昨年開催時に、テキスト化のような話を聞いたような気がしています。

Naoko

憲法改正の限界である永久条項を全てゆうゆうと超えて来る「自民党の憲法改正案」は違憲そのものなのに、それを平然と国民に出してくるような与党は存在自体が憲法違反です。

もう抵抗権の行使しか考えられません。

翔空

憲法は他人ごとではなく自分が生きていくのに深くかかわっていることなので、みんなこれを見たほうがいいと思う。私みたいに今まで勉強したことのない人でも、とても分かりやすい内容でした。

今回は、憲法が自身を守るためにどのような仕掛けをしていたかが非常によくわかった。

出来れば、日本国憲法でどのような例があったかを一個ずつでもいいから各分類上で例があったのか知りたかった。 そうすればより理解が進んだと思う。 あとは、時間ですが休憩時間は、休憩時間として もし予定時間にプラスされる形でも良いと思うのですが 例えば 1時から3時までなので もしびっちりと話す時間を2時間とするなら+10分をして1時から 3時10分までトータル時間として10分を休憩にしてほしい。そうすれば、内容が濃い場合は5分休憩として2時間5分は話ができるのでお互いにwinwinになると思うので

5. 日本の憲法

日本はこれまでに二つの近代憲法を持った。大日本帝国憲法と日本国憲法。どうして日本は大日本帝国憲法を持とうとしたのか、それはどうやって出来たのか、その内容は日本国憲法とどこが違うのか、また日本国憲法はどうやって出来たのかなどを5. 日本の憲法で扱った。

戦争の責任の所在をはっきりさせなかったことが今日の日本の民主主義後退(戦前回帰)の原因だと考えると、天皇制を残したことは非常に罪深い。 松本案が出てきた背景もその辺にあるのではないだろうか? 日本は生まれ変わってなどいない。 大日本帝国を引きずったままだ。

吉野 俊行

件の日本国憲法押し付け論の誤りが的確に判ったので、ホッとしました。

Roux

自分は明治時代に生きていた当事者ではないけれど、憲法制定、議会開設、という事項に自分でもよく分からない高揚感を覚える。しっちゃかめっちゃかですったもんだの幕末から明治初期が終わって、近代国家としての針路を日本が手探りながらも取っていた時代のひとつのゴール。

ただ、理念の上でも歴史教育の上でも、それらは最終ゴールではなく、近代国家としてのスタート地点にすぎない、ということを、われわれはどれだけ理解し、どれだけ教えているだろうか、と考えると怪しい。出来たものをどう使い、発展させていくかが重要で、作っちゃったらそれで終わり、あとは知らない、であれば、作った意味がない。現代日本における箱物行政と同じ。立派なホールを作っても使い道がなくて、せいぜい「のど自慢」と「笑点」の中継に使って終わり、あとは維持費だけが税収から飛んでいくみたいな。

そうならないために、また、作ったものを発展させていくために必要なのは、旧来の陋習に囚われない天地の公道であり、独断でなく議論である。日本人は十七条憲法の昔に既にその必要性を述べていて(『十七に曰く、それ事は独り断むべからず。必ず衆とともによろしく論ずべし』)、同じ精神が明治維新の「五箇条の御誓文」にも表れていた(『一、広く会議を興し、万機公論に決すべし』)、のが講義の中で見て取れて、とても印象的だった。

日本人は少なくとも、いざという時には必要なお題目をきちんと盛り込むことはできたし、いわゆる「上からの改革」であっても、その辺の田畑で毎日の勤労に汗を流す、国の構成員たる民衆が為政者にちゃんと見えていたように思う。 これが現代日本の為政者にできるか、というと、はっきり言ってできないし、昔はこうだったのに今はなぜこうなのか、とげんなりするところでもあるな、というのも講義中に思ったことだった。

上級国民が安泰であれば下級国民はどうでもよくて、搾取され、生き血を吸われることも是とされ、そんな扱いやそんな人生であるのは本人の努力が足りないから、ですべて片付けられる。まして政治に関心など持ってはいけない。下級国民は自分の権利や価値に気が付いてはいけない。基本的人権や国民の権利なんていう概念は可能な限り削っていくべきだ。

下級国民に発言する権利などないのだ。 …というような理念でもって国を運営しているとしか考えられない政権や政府にあって、国民の権利を保障してくれているのがいまの日本国憲法。これに書かれていることを、増加や発展ではなく削除や退行の方向で改憲(改悪)しようとするなど、絶対に許してはならないのだ。

今回もありがとうございました。

人類の叡智の結晶のような日本国憲法、それを生かしきれないばかりか手放そうとする国民の愚かさには絶望しかないけれど、、何とかして護りたい。そんな決意を新たにした今回の憲法リテラシーでした。もう、全国民に見てほしい!

いつもありがとうございます。 毎回のことですが、このイベントで教えていただいている内容を過去の義務教育の範囲で教えられた内容と比べると、今の私たちの危機感の欠如も当たり前だと思わされます。

私は私たちの憲法を知らなさ過ぎでした。歴史的な流れの中での日本国憲法や諸外国と比べての日本国憲法を知り、日本国憲法の何が大切で重要なのかが見えてきました。このイベントのおかげで、少なくとも私は感覚的に憲法改正に反対するのではなく、きちんとした理由をもって憲法改正反対を言えるようになりそうです。

日本国憲法の中に既に存在している”ひとりひとりが尊重され大切にされる社会”の価値を知らないまま、この憲法を失いたくありません。

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