僕のいないクリスマス

 これを書いたのは2005年だから、もう20年近く経った。その頃の精神状態は『カブールノート』を書いていた90年代後半から2000年代初頭とは全く異なっていた。


 9.11があり、アメリカがアフガニスタンとイラクで戦争を始め、その二つの場所で勤務した後、1年間教職についた後だった。極めて暗い時代の始まりだったのだけど、ある種のお祭り騒ぎのようでもあった。酷いことが起こっていると憤慨する世界のメディアが、僕にはどうしてもはしゃいでいる子供のようにも見えた。


 自分も確実にその中に巻き込まれていたのを感じていた。洗濯機に掘り込まれてかき回されているように、テレビに出て、新聞、雑誌のインタビューを受けて、講演にひっぱりだされていた。分かったのは誰も何も聞いてないということだけだった。彼らがやっていたのは、自分も世界で起きている”パーティ”に参加しているつもりになるということだったのだ。


 アホらしい。その頃から全ての依頼を断ることにした。喋るのも映るのも書くのも。「ハードコアの生活に戻ろう」というのが1年間の教職の後に考えたことだった。行先はどこでも良かった。


 2004年、三年ぶりにカブールに戻ると、状況はすっかり変わっていた。人道援助という”パーティ”に参加したい若者たちが世界中から集まってお祭りをやっているようなものだった。かつての人道援助のプロが集まった職人の世界は完全に消えて無くなっていた。


 僕は予定通り仕事だけに専念する生活を始め、読者が10人くらいの極めて私的なブログだけを書いていた。これはそのうちの一つだ。

僕のいないクリスマス

「サンタさんに矢印を作った」
「・・・そうか、サンタさんに矢印を作ったのか。それは良かった」

子どもと話をしていると、何を言っているのかすぐには理解できないことがしばしばある。しかし、そこには必ず何か私の知らないこと、知らない文脈 がある。 お前の言っていることはさっぱり訳が分からない、なんて言うのは論外であるとしても、それを、つまり自分の理解していないものをなんであるかを直接聞き出そうとするのも、まずほとんど例外なく訊問のようになってしまい、子どもとのコミュニケーションの小さな入り口であるかもしれない瞬間をぶち壊しにしてし まう。

異文化の人々との後悔に満ちた経験を重ねた後、私は子どもに出会った。私はおそらくまた子ども相手に同じ失敗をしでかし、苦い後悔を繰り返すだろうということを覚悟しながらも、なるべく小さな後悔ですむように願っている。そして、鈍った感受性を補完するために、私はしばしば時間をかせぐ手に出る。

「で・・・」と私が言いかけた時、子どもはすかさず「サンタさん、ちゃんとプレゼント持ってきた」と言ってくれた。矢印とサンタとプレゼント。この三つを私は素早く繋がなければならない。矢印がサンタさんを誘導してくれたのか?

「あのね、バルコニーにね、矢印をつけておいたから、サンタさんが来た」
「そうか、良かったな、それでサンタさんはちゃんとプレゼントを持ってこれたのか」
「うん」

おぼろげながら、彼の言っていることがのめてきた。
彼はクリスマスに自分の欲しいおもちゃをサンタ・クロースが持ってきてくれるかどうか、かなり長い間深刻に心配していた。私はそれが仮面ライダーブレイドの使うブレイドブラウザーという武器であることを知っていた。12月初旬に日本を発ち、クリスマスも正月も日本には戻れないだろうということが分かってから、 私は日本を発つ前にそれを買って自分の部屋に隠しておいた。クリスマス・イブの夜に妻がそれをクリスマス・ツリーの前に置いておくという手はずであっ た。

カブールへ行く途中に立ち寄ったニューヨークから家に電話をした時も、カブールに着いてから電話をした時も、そのおもちゃの名前を知らない息子は何度も私にそれがどんなものであるか説明しようとしていた。それは実際かなり説明の難しいものなのだ。トランプのカードがその武器のカードトレイに入り、そしてどういうわけかそれが武器でもある・・・私にもさっぱり分からない。

分かった、ちゃんとサンタに伝えておく、というのが 私のお決まりの返事になっていた。そして、やがて私はカブールで家族のいない仕事だけの生活に徐々に没頭し始め、彼は日本で父のいない生活の中でサンタ・ クロースが自分の欲しいおもちゃを確実に持ってこれるように一人で考え込んでいたのだった。

彼はある日サンタ・クロースがどこから来るのかと妻に訊いたそうだ。玄関のドアから来ると思っていた彼は、そのカギを開けておかなければいけない、ということに気がつき、心配になってきたのだ。妻 は、サンタ・クロースはバルコニーからやってくると答えた。すると、彼は別のことが心配になった。集合住宅のバルコニーは外から見ればどこも同じに見えるということに思いがいたったのだ。彼はサンタに自分がどこにいるか知らさなければいけない。彼は画用紙を取り出し、子どもの絵を描いた。それは自分だ。そして、それを指す矢印を大きく描いた。それはここに自分がいるという表示であった。その画用紙を彼はバルコニーに面するガラス戸に貼り付けて、クリスマスを待ったのだった。

しかし、彼はそれでも安心しなかったらしい。一人でクリスマス・カードを作り始めた。サンタ・クロースに宛てて。

そして、自分のおもちゃを一つ取り出し、それを紙で包んで、クリスマス・カードと共にクリスマス・ツリーの前に置いたのだった。それは彼からサンタ・クロースへのプレゼントだった。彼はサンタ・クロースがやってきて、自分へのプレゼントがなければ怒って帰ってしまうとでも思ったのだろうか。それとも、自分が欲しいプレゼントをもらうためには、自分も何かあげなければいけないと考えたのだろうか。

子どもは何を考えてどういう行動をとったのかなど、すすんで説明しようとはしない。私はただ電話でそういう成り行きを妻から聞いただけだ。子どもが考え、そしてその考えのもとにとった一連の行動を話しながら妻は楽しそうに笑っている。私も笑った。確かにおもしろい。5歳の彼は目に見えないサンタ・クロース、まったく手のうちの分からないサンタ・ク ロースを相手になんとかして自分の意思を伝えようとしていたのだ。私は胸のあたりが少し苦しくなるのをこらえながら、雪の降り始めたカブールで妻の話を聞 いていた。

2004年の大晦日。雪が解けてぐちゃぐちゃになったカブールの路地。

(2005年1月1日)

投げ銭

  • Copied the URL !
  • Copied the URL !

Comments

To comment

This site uses Akismet to reduce spam. Learn how your comment data is processed.