BRICS の核にあるもの

これは、最近 note で始めたメンバーシップのメンバー限定記事として書いたものですが、一つ目なので、サンプルとしてメンバーでなくても誰でも見れるようにしました。

BRICS サミットが昨日、10月22日始まった。ロシアのカザンで三日間行われる。カザンは、タタールスタン共和国の首都だ。タタールは漢字なら韃靼(だったん)と表記される。

井上靖の西域ものに出てきたと思うが、それが『楼蘭』だったか、『敦煌』だったか、『蒼き狼』だったか思い出せない。井上靖を読んでいたのは高校生の頃だったので、中身は全部忘れたが、中国の果てにある土地を想像して、わくわくして西域ものを追い求めてたことは覚えている。

一度行ってみたい。
やっぱり日本人みたいな顔の人達が住んでいるのだろうか。

本題はそこではない。BRICSの話に入ろう。

BRICSがなんであるかは、調べてもらえば分かると思うので詳しくは書かないが、ブラジル(B)、ロシア(R)、インド(I)、中国(C)、南アフリカ(S)の最初の文字を繋げてBRICSという。読み方は、ブリックス。

ブラジル、ロシア、インド、中国の4カ国がサミットを始めたのは、2009年で、その頃は、BRICだった。もしくは、小さいsを付けて、BRICs。

2011年から南アフリカが参加し、BRICSになった。正式加盟国以外にも、多くの国がBRICSサミットには参加するので、今では+を最後に付けて、BRICS+と呼ぶこともある。

2024年1月1日から、イラン、エジプト、アラブ首長国連邦、エチオピアが正式にBRICSのメンバーになったので、現在では全部で9カ国が正式なメンバー。

その4カ国と同日に、アルゼンチンとサウジアラビアも正式加盟国になる予定だったが、アルゼンチンは大統領が代わり方針が変更、サウジアラビアはまだ検討中と報道されている。

新規加入の4カ国以外にも、30カ国以上がBRICS加盟に関心を寄せているらしい。例えば、以下のような報道が出ている。
2023年11月23日:パキスタンがBRICSの加盟を正式申請。
2024年5月28日:タイ政府はBRICSに加盟申請すると発表。
2024年6月4日:トルコのフィダン外相は「トルコはBRICSへの加盟を望む」と発言。
2024年6月18日:マレーシアのアンワル・イブラヒム首相はBRICSに加盟申請。

拡大に従って重要なことは、BRICSがいっしょに集まってぺちゃくちゃ喋る単なる仲良しグループではなくなったということ。BRICSは今では多国間協力の組織体としてみなされるようになった。つまり、国連とかEUみたいな定常的な組織へと進化していく道を辿っている。

「日本ではBRICSのニュースなんてほとんどないよ」とX上で言われたことがある。いくらなんでもBRICSサミットがありましたくらいのことは、表面だけでもさらっとニュースになるだろうと想像しているのだけど、そういう取り扱い自体が日本における海外情報の歪み方を示している。

まるで、国際社会が今、大きな転換期を迎えていることを認めたくないかのように、旧態然たる世界観の中に日本は押し込められていると感じる。

「転換期」という言葉を使ったが、これに関しては、実はアメリカのメディアには、それを否定したがる傾向がある。なぜなら、ここでいう「転換期」とはアメリカの覇権主義が別のものに取って代わられるということを意味するからだ。アメリカ人がそれを意識的にせよ、深層心理的にせよ、認めたくないのは人間の性としてしょうがないのかもしれない。

しかし、何かが変わってきているということを歓迎はしないまでも、メディアが話題にすることはあるし、そのようなコメントをする学者の話をメディアに出すこともアメリカ人は恐れてはいないようだ。

CNNの昨日(10月22日)の記事に、こういう見出しがあった。
The West wants Putin isolated. A major summit he’s hosting shows he’s far from alone, CNN, Oct 22, 2024.

「西側はプーチンを孤立化させたがっている。(しかし)彼が主催する首脳会談(BRICSサミットのこと)は、プーチンがぼっちではないことを示している」のような意味だ。

単に、he’s not aloneと書かずに、he’s far from aloneと書くと、「一人ぼっちとか孤立なんてとんでもない、それどころじゃないよ(人気者じゃん)」みたいな大袈裟感が出る。

「西側は」と書いているが、実はそれはアメリカ自身のことでもある。「ふん、プーチンなんて世界のよけ者になればいいんだ」という気持ちを主語をアメリカにせず、ひとごとのように、The West wants Putin isolated. で表している。これを正直に見出しにしているところはアメリカ的な率直さでもある。

記事は、このサミットがどこで開催され、誰が出席しているとかの一通りの説明で始まるのだが、次の一節は、このサミットの性質をうまくまとめている。

Set to be by far the largest international gathering the Russian president has hosted since the start of the war in February 2022, the gathering of BRICS and other countries this week spotlights a growing convergence of nations who hope to see a shift in the global balance of power and – in the case of some, like Moscow, Beijing and Tehran – directly counter the United States-led West.

日本語に訳すと以下のようになる。原文が参照しやすくなるかと思い、該当する英文を日本語に挟んでいったが、これがかえって見にくければ、次回からこの方式はやめる。

2022年2月の開戦以来、ロシア大統領が主催する国際会議としては最大規模となる(Set to be by far the largest international gathering the Russian president has hosted since the start of the war in February 2022)、BRICSをはじめとする国々の集まりは(the gathering of BRICS and other countries)、世界のパワーバランスの変化(a shift in the global balance of power)を望む — そして、モスクワ、北京、テヘランなど一部の国々では米国主導の西側諸国(the United States-led West)に直接的に対抗する(directly counter) — 国々の結束の高まり(a growing convergence of nations)を浮き彫りにしている。

この記者が「パワーバランスの変化」と表現しているのは、上で書いた「転換期」と同様のことが意識にあるからだろう。そして、ロシア、中国、イランがアメリカをリーダーとする西側諸国と「直接的な対抗」をしていると、この記者は想定する。アメリカには、これを軍事的な対抗とみなす勢力がおり、この3カ国、ロシア、中国、イランとの軍事的対決をしきりにけしかける。

しかし、この3カ国には西側諸国に戦争をしかけるメリットはまったくないし、動機が存在しない。それでも、仮想敵国を作り、敵意を剥き出しにする勢力がアメリカには存在する。その理由の一つは、アメリカが常に絶対正しいという根拠のない信念に基づく世界認識の歪みであり、もう一つはアメリカという国が戦争を続けることによって成り立つ構造になってしまったことにある。

後者に関しては、古くは軍産複合体の問題として研究されてきたし、最近はディープ・ステイトの問題として語られることが多いが、名称がなんであろうとあまり意味がない。

軍需産業依存が高い国は、人を殺せば殺すほど儲かる仕組みから抜け出せなくなり、次から次にビジネスを求めて人殺しの機会を渉猟せざるを得ない。そのような麻薬中毒のような体質を国家が作ってしまうと、政治の独立性は極めて弱くなる。しかも軍需産業の裾野は広く、最終プロダクトを製造する産業の統計は全貌を表さない。風が吹けば桶屋が儲かる式に経済全体にこの病巣が広がっていく。

つまり、アメリカは常に次の戦争を求めざるを得ない体質になっている。それがこの記者のほんの短い表現にも表れる。親米奴隷国としての恭順の意を示さない国家は、戦争という色眼鏡で見てしまう。

(余談だが、トランプはそのような古い軍産複合体の体制の外から登場したはぐれ者であった。彼が大統領時代、現代アメリカで戦争を起こさなかった唯一の大統領であるのは偶然ではない。)

それでも、この記者は見出しにした主題、つまりプーチンは孤立化しているのか、もしくはプーチンを孤立化させられるのか、ということにフェアに対峙している。次の一節は興味深い。

Alex Gabuev, director of the Carnegie Russia Eurasia Center in Berlin. “The message will be: how can you talk about Russia’s global isolation when (all these) leaders … are coming to Kazan.”   
ベルリンにあるカーネギー・ロシア・ユーラシア・センターの所長、アレックス・ガブエフは言う。「カザンに(これらの)指導者たちが来ているのに、ロシアの世界的孤立について語ることができるのか?」と。

どこかのアカデミストを引っ張り出してきて、結局、プーチンは孤立しているどころの話じゃない、こんなに世界のリーダーが集まってるじゃないかと言わせて記事にしている。これがこの記者の観察結果ということだ。

この記事は、他にも多岐に渡ったトピックに言及するのだが、見出しに現れる彼が選んだ主題だけで、今、国際社会の核にある問題が、世界秩序のあり方の大転換であるということは見て取れるのではないだろうか。今、それを抜きにしては国際社会の話は何も語ることはできない。日本の政治家には、それが世界の通奏低音として流れていることが見えず、武力均衡論や核の抑止力などという陳腐な言葉をこねくりまわして、徹底的にトンチンカンな話をして、日本を世界のはぐれ者の位置に引っ張ってきてしまった。

話を元に戻して、それでは、この転換とはいったい何なのか。経済力のシフトなのか、軍事力のシフトなのか?それ以外の何かなのか?

ここでもう一つの記事を見る。

Maduro lands in Kazan for BRICS Summit, MercoPress. Oct 22, 2024.

ベネズエラのマドゥロ大統領がBRICS サミットに出席するためにカザンにやってきたという記事だ。

到着早々、マドゥロ大統領が記者に囲まれてしゃべっている動画がXにも出ていた。その一部がこの記事に引用されている。彼の言葉に今ここで話題にしている転換が何から何への転換なのかがよく表されている。下に、この記事から、彼の言葉(元はスペイン語)の部分を英語訳と日本語訳で抜き出してみる。

We are already part of this engineering of the multicentric and pluripolar world that is being born and we come to share the experience of the historical struggle of the Venezuelan people.
私たちは、誕生しつつある多中心的かつ多極的な世界の構築の一部となっており、ベネズエラ国民の歴史的な闘争の経験を共有するためにやって来た。

つまり、向かうところは、「多中心的かつ多極的な世界(the multicentric and pluripolar world)」であるということ。そして、彼の言う歴史的な闘争とは、ベネズエラ政府を転覆させ、親米政権を植え付けようとするアメリカに対する戦いのことを指している。

Maduro said. He also hoped the world would soon transition past colonialism, hegemonism, and imperialism, where countries “from the Global South” could embrace “independence, development, and prosperity.”
マドゥロ大統領は、世界が間もなく植民地主義、覇権主義、帝国主義を乗り越え、「グローバルサウス」の国々が「独立、発展、繁栄」を享受できる時代に移行することを願っているとも述べた。

どこから転換するのか。それは「植民地主義、覇権主義、帝国主義(colonialism, hegemonism, and imperialism)」というものであり、それこそアメリカが象徴している。

そして、どこへ向かうのか。それが「独立、発展、繁栄(independence, development, and prosperity)」である。ここで使われているtransition という言葉を「移行」と訳したが、上で「転換」と言っているのは、この「移行」のことだ。

“We have the possibility of accessing another economy not based on sanctions, blackmail, hegemony, but based on cooperation, truly free trade, shared investment and technology,” Maduro underlined.
私たちには、制裁や恐喝や覇権主義に基づくのではなく、協力、真の自由貿易、投資と技術の共有に基づいて、他国の経済にアクセスする可能性がある」とマドゥロは強調した。

ここで、彼は「制裁や恐喝や覇権主義(sanctions, blackmail, hegemony)」ではなく、「協力、真の自由貿易、投資と技術の共有(cooperation, truly free trade, shared investment and technology)」によって、経済を運営できるようになることを望んでいるのが分かる。

つまり、BRICSがもたらそうとしている新しい世界秩序は、アメリカ一極世界ではなく、多中心的かつ多極的な世界であり、植民地主義、覇権主義、帝国主義から解放され、独立して発展を目指し、繁栄する国家であり、制裁や恫喝や覇権主義に強制されるのではなく、協力と自由と共有によって他国との経済交流を行える世界ということだ。

アメリカの一極支配の世界は、彼ら自身が吹聴する「自由と民主主義」とは程遠く(far from it)、「植民地主義と覇権主義と帝国主義と制裁と恫喝」の世界であることが認識されている。

この認識を共有する国が、ここから「多中心的かつ多極的で独立・協力・自由・共有」が得られる世界へ移行しようとして集まっている。それががBRICSの核にあるものだ。

BRICSをトータルで見た経済力や自然資源量や軍事力で、旧世界のG7と比較するだけでは、BRICSが人類史にもたらす流れを完全に見失う。

18世紀後半から始まる民族自決の戦いは、20世紀の植民地独立の戦いに受け継がれ、長い時間をかけて世界の被抑圧民族は少しずつ自由で独立した地位を獲得してきた。被抑圧民族というのは少数民族ではない。地球上の人間の中で圧倒的多数を占める非西欧白人全てを含む。

BRICSが引き起こしつつある転換はその被抑圧民族の200年以上に渡る闘争の延長線上にあるものだ。これは古臭い覇権争いでも、単なるパワーバランスの移行でもない。西欧白人社会による世界支配から被抑圧民が解放されるための新たな段階として位置付けられるものだ。

そして、注目すべきことは、BRICSが抑圧者との「闘争」という路線ではなく、自分たちの「成長」という路線によって抑圧・被抑圧の関係を無効化しようとしていることだ。なぜなら、彼らこそが、力による抑圧に決して屈せず生き残ることによって、力で抑えつけることが結局は無効であることを証明してきたからだ。

いまだに「植民地主義、覇権主義、帝国主義」に固執し、制裁や恫喝で欧米白人国家が支配する「旧世界」を、今まで頭を小突かれ、背中を押され、けつを蹴られ、言いなりにされていた非白人アジア・アフリカ・中東・東欧・南米国家が、200年以上の闘争を経て、ようやく自分の力で立ち上がり、世界を再構築しようとする。それを世界の転換とこの記事では呼んでいる。

BRICSの核にあるもの、それは「全人類の自由と平等」とも言い換えられる。古代ギリシャの民主主義が、膨大な数の奴隷階級の上に立つ少数の貴族階級のみに適用されるものであったように、アメリカが世界に向かって叫ぶ「自由と民主主義」は、国家間の徹底的な不平等の上にのみ存在する。

欧米白人国家は貴族階級に属し、それ以外は奴隷階級に属す。アメリカの言いなりにならない奴隷階級の国家は、謀略と戦争で破壊される。ベネズエラ、チリ、ウクライナ、アフガニスタン、イラク、リビア、パレスチナ・・・と例を挙げていけばキリがない。

日本は今、世界のどこに居場所を見つければいいのかは、もはや考えるまでもなく、明らかだろう。しかし、世界の政治家の中で、それを最後まで理解せず残っているのは、日本人だけという悲劇に我々は見舞われている。

読んで後味の悪い記事にならないように、最後に写真を一枚付け加えておく。日本にも一人だけ、人類史の現在地を理解している天才政治家がいる。

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山本太郎 れいわ新選組代表

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