タイの海岸を歩く(2):バンプー(Bang Pu)――賭けに出た日本

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Day 1

日本軍が上陸した地点の一つ、バンプー(Bang Pu)に行ってみた。
バンコクの中心部からBTS(スカイトレインと呼ばれたりする)のスクンビット線に乗って終点のケハ(Kheha)駅まで1時間弱。そこから車で10分くらいでバンプーの海岸に着く。

その日バンプーに向かう前、物理的に壊してしまったMacBookの修理のためにApple Storeに行った。そこから一番近いBTSのチットロム駅からバンプーに向かったのだった。

ちなみに、壊れたMacBookは、取り替えるしかないパーツがディスプレイと本体の両方に及んでいることが発覚したことで、もう正確な見積もりをするまでもなくなった。修理をすれば新品を買うのとほぼ同じか、それ以上の値段になるからだ。2022年に買ったM2を修理するために、現行の新品M5と同じ金額を払うのは、いくら手垢の染みた自分の持ち物に愛着があったとしても、常人にはなかなか出来ない。仕方ないから、修理は放棄した。

壊れたMacBookの中身はピンピン動いているので、Apple Storeの店員さんに、ディスプレイを借りて、その”壊れもの” に繋ぎ、中のデータを全部外付けSSDに移すことにした。時間がかかるので、その間、飯を食いに行って戻ってきたら、データ移行は完了していた。バンコクのApple Store の店員さんは、みんなフレンドリーで、かつ英語が流暢で助かる。ニューヨークのApple Storeの店員さんも気さくで、わりと英語も喋れたが、日本でもそうなのだろうか。

交通費:
BTS:BTS チットロム(Chit Lom)駅からケハ駅まで、65バーツ(325円)
Grab:BTSケハ駅から桟橋まで、114バーツ(570円)
往復計:179バーツ(895円)X 2 =358バーツ(1,790円)
(注:この記事では、1バーツ=5円で計算している)

ケハ駅の周りには道路以外なんにもなく、高架線路が途中でプツンと切れている。これから延長していくのだろうか。高架線の下を走っている道路に降りると、タクシーが数台獲物を待っていた。私が見ている限り、BTSから降りてきた人は誰も餌食にはならなかった。

いつも感じることだけど、東南アジア全域で大体どこに行っても、一つのアプリ、Grabで車やバイクやデリバリーを頼めるのは、便利だと思う。各国で類似の配車サービスアプリはあるけど、国境を跨ぐたびにそれらを全部入れるとスマホがアプリだらけになるので、私はそれは避けたい。それにしても、日本仕様のウーバーは昆虫の死骸の抜け殻のようなもんだ。ウーバーの本当の威力はあんなものではないのだが。

ケハ駅の下の路上で、Grabの車を呼んだ。直ぐにつかまったが、アプリ内のチャットでなにか連絡してきた。

「スクタ橋(Suk Ta Bridge)の入り口までは行けるが、通行止めになっていて先端までは行けない、それでもいいか?」と言う。

これは自動翻訳だ。どこの国でGrabを使っても、チャットが英語で入ってくるが、向こうは現地語で入力していると思われる。会ってみたら、全然英語を喋らないからだ。

元々、スクタ橋を歩いてみるつもりだったので、もちろん「いいよ」と返信した。

予め調べて分かっていたことだが、日本軍上陸を想起させるようなものがここには何も残っていない。ただ85年前、日本軍が歩いた場所、見た風景を自分で私は訪れてみたい。それは私の終活の大きな一部分を占めている。公式の記念碑や、慰霊碑や、博物館などを訪れてチェックマークをつけて帰るのが目的ではない。

現代人のライフ・サイクルは残酷なものだ。たいていの場合は学業が終われば、直ぐに働き始め、ほとんどの人は青い鳥が見つかる前に試合終了になる。そこから健康寿命が尽きるまではあっという間。その「あっという間」が10年あったとしよう。その間にも知力、体力、気力が確実に衰えて行く。それを意識しながら、我々は認知能力の最後の瞬間に向かう。その後はもう自分には分からない世界に入る。まったくどこにでもある話だが、全ての個人にとっては、それは空前絶後・前人未到の未知の世界なのだろう。そこに入る前にやっておきたいことが尽きるわけがない。終活は忙しい。

Suk Ta Bridge(スクタ橋)は、日本軍がおそらく上陸したであろうと考えられている場所にある。形状としては、bridge というよりpier(桟橋)のようなものだ。その先端には、現在は、Bang Pu Recreation Center と呼ばれるものがあるが、かつてそんなものはなかっただろう。この中を少し覗いたが、閑散とする空間の中にお土産物が並んでいた。興味がないので、すぐに外に出た。

海岸沿いはマングローブ林になっている。その中を歩けるように、木で作られた歩道のようなものが海面の上に続いている。自然を観察する観光地なのだ。海はコーヒー牛乳色に濁っていた。こんな汚い色の海には入りたくないと思ったが、海の色は変わる。この海も季節によっては真っ青に輝く時もあるのかもしれない。85年前、日本からはるばるやって来た日本の兵隊さん達がこの海に入った時、この海はどんな色だったのか気になる。それよりも、彼らはどこに来たかを知らされていたのだろうか。

確かに日本軍は、バンプーの海岸に上陸した。近衛師団のほんの一部がこの任務に充てられた。この部隊の上陸時に現地のタイ軍とも誰とも小さな戦闘さえ起こらなかった。だから、今、何も目立ったものが残ってなくても不思議ではない。

しかし、この日、1941年12月8日に始まる太平洋戦争全体の命運がかかっていたと言っても過言ではない巨大な賭けを日本の指導部は行った。その賭けを成功させることがその日、バンプー海岸とカンボジアの二方向からタイに侵入した近衛師団の役割だった。日本軍はどんな賭けをしたのか。

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