死んでもたがな

もたもたしてるから、死んでもたがな。ほんまどんくさいやっちゃなあ。アカンわ、この政府。

85歳の母が死んだ。77歳の妹(僕にとっての叔母)と二人で住んでいた。住んでいたといえるのも4月24日までのことだ。その日、母は呂律が回らなくなったそうだ。それを見て、叔母はなんかおかしいと思い、救急車を呼んだ。救急車が到着する前に頭が痛いと母は訴えた。それが最後の言葉だった。

それから入院生活が始まった。昏睡しているわけではないが、ずっと一緒に生活していた叔母が誰なのか、母は分からなくなっていた。というより、誰も誰だか分からなくなっていた。

めったに日本の誰にも電話しない生活を30年間も続けた後に、その時から週二、三回叔母に電話するようになった。ところが、母の様子はまったく分からない。

「コロナでな、誰も病院の中入れてくれへんねん。玄関に行って看護婦さん呼んで待っとかなあかんねんで。ほんで看護婦さんが様子教えてくれんねんけどな。やっぱり誰が誰かも分からんねんて。」

電話しても、そんな話を叔母から聞くだけのことだった。

わい「コロナにはかかってない?」
叔母「コロナ?そんなん知らんわ。なんも先生言いはらへんで。かかったんかなあ?」
わい「かかってないのかな。どっちみち病院におらんとしゃあないな」
叔母「それがな、いつまでもおったらあかんねんて。ボケてるから、他のとこ行かなあかんて言われて今探してもうてんねん」
わい「え、出なあかんの?」
叔母「せやねん、ここボケのおるとこちゃうねんて」

母は突然ボケたわけではなかった。去年ぐらいからだんだんボケて来たのは分かっていた。最後に会ったのは去年の11月だったが、会って話す時は普通に話すことができた。これが問題だった。母を身近で見ている叔母には母のボケが進行していることはよく分かっていたのだが、認定をする人には分からなかった。

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