【Overseas-16】ウクライナ:破滅への道

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Overseas プランのNo. 16 です。これは記事というより、多くの人に”年表”として参照して欲しいので、一般に無料で開放します(値段はついていますが、最後まで無料で全部読めます)。アップデートを続けるので、常に書きかけと思ってください。

目 次

ロシアがウクライナ戦争を始めた

ロシア国境地帯紛争への道

  • 1990年2月9日:
  • 1996年 大統領選挙年:
  • 1999年3月12日:
  • 1999年12月31日:
  • 2004年3月29日:
  • 2008年4月(ブカレストNATOサミット):
  • 2008年:
  • 2014年:ウクライナ政変
  • 2014年2月22日(ソチ五輪開催中):
  • 2014年5月2日(オデッサ虐殺):

戦争へのカウントダウン

  • 2015年2月11日(ミンスク合意):
  • 2016年12月31日:
  • 2021年12月17日:
  • 2022年2月18日:
  • 2022年2月19日:
  • 2022年2月24日:

和平の機会と米国の妨害

  • 2022年3~4月(戦争開始6週目):

2022年2月24日の朝、ウラジーミル・プーチンという男が目覚めて「よし、今日はウクライナ東部にでも侵攻しよう」と突然思ったわけではない。

また、米国が、その直前にウクライナをNATOに入れようと、ふと思いついたわけでもない。(米国務省の文書によると、ウクライナのNATO加盟が最初に議論されたのは1994年に遡る。)

ところが、その日から

ロシアがウクライナ戦争を始めた


というナラティブが、莫大な資金を注ぎ込んで、非常に効果的に全世界に隈なくばら撒かれた。欧米報道機関は一斉にトップニュースとして、これを流しまくった。日本のごまめも遅れまじと必死についていった。

これが史上まれにみる大掛かりな世界中を巻き込んだ詐欺事件であったことは、3年経ってようやく一般人が公言しても、身の危険を感じたり、罵倒、嘲笑、冷笑を浴びせかけられることもなくなった・・・いや、なくなっていない。

しかし、世間の言論空間の空気は確実に変わってきたようではある。これには、トランプが米大統領に復帰した影響が大きい。「大きい」という言葉は控えめ過ぎる。トランプは世界のちゃぶ台をひっくり返したと言って良いだろう。それが良いかどうか、トランプが嫌いかどうか、なんて個人の趣味・嗜好・思想・信条とは何の関係もなく、事実として、ひっくり返ったちゃぶ台は今、我々の目の前に転がっている。

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プーチン悪魔化キャンペーンが猛烈な勢いで世界を席巻し始めた頃も、なんかおかしいと感じている人がいなかったわけではなく、それをSNSで呟く人たちもいた。但し、ほんの少しでもウクライナの「正義」に疑問を漂わせたら、虫の大群のように垢が集まってきて一斉攻撃してきたものだ。それが、大衆煽動の恐ろしさであり、自分に「正義」があると洗脳された群衆の恐ろしさだった。どこの国でもあり得ることだが、元々個人性の希薄な、集団性向の強い日本社会では、大衆煽動が容易に行えるのかもしれない。

世界の動きが「なんか変」と感じた人たちの多くは、それまでにウクライナ、あるいは旧ソ連領であった地域に少しは関心を持って、日本メディアでも時々現れるニュースを見ていた人たちではないだろうかと思う。特に冷戦下で生まれ、ソ連の崩壊により冷戦が終結する頃には、世界で何が起きているかにぼんやりとでも関心を持った世代。

というのは、その世代にとって、世界というのは、東と西に分かれているものというのが、生まれた時からのデフォルトの世界観として植え付けられたもので、それがなくなるというのは、世界観を根底から組み替えなければいけない大きな出来事だったのだ。その旧ソ連領の国の動向がほんの散発的にでもニュースに出ていたら、「今どうなってるのか」程度の浅い関心を呼び起こされたのも不思議はない。

「冷戦が終わりました」、「東西対立がなくなりました」、「ワルシャワ条約機構と北大西洋条約機構(NATO)の対立もなくなりました」、だから「ワルシャワ条約機構は解散しました」という流れはすんなりと理解できるものだったが、その次にもう用無しになったはずの北大西洋条約機構(NATO)がいつまで経っても解散されないという事実に「変だな」とこの世代は感じることが出来たはずだ、もし考えたとすれば。実際は、ほとんどの場合、そんなことを追求する余裕は日々の生活の中でなかったかもしれない。

ソ連崩壊後に、ロシアの大混乱期が来るのだが、その頃オリガルヒという言葉も日本メディアに流れてきていたのを覚えている。というか、oligarchyという言葉から思い浮かぶことと言えば(思い浮かぶ人にとって)、一気にアリストテレスや古代ローマの寡頭制に遡ってしまったのではないだろうか。

しかし、現代のオリガルヒは、崩壊した国家制度から盗めるものは盗み、利用できるものは利用し、邪魔するものは殲滅し、腐敗した網の目を築き、富を蓄積する強欲な巨大成金のことになった。

オリガルヒはソ連の遺産を食い散らかし、ロシアは弱っていった。90年代、世界の覇権地図は塗り替えられ、アメリカ一極集中の時代がやってくる。2000年代に入り、対テロ世界戦争(Global War on Terror =GWOT)という名目で、アメリカが他国に言いがかりをつける戦争が常態化していく。

冷戦後の旧ソ連でのオリガルヒの悪辣ぶり、一極集中後、加速するアメリカの世界中での無法ぶりという文脈の中にいることが頭の片隅にあった人々はいると思っている。その人たちが、ロシア悪魔論の旋風に吹き飛ばされ、戦争讃歌に頭からのめり込むことがなかったグループだと思う。詳しいことは分からなくても、「なんかおかしい」という歯止めが、心の片隅で起動する。

2000年プーチンが初の大統領選に勝利した後、彼の最初の大仕事は内なる敵を撃破することだった。彼は何年もかけてオリガルヒ支配を壊滅し、ロシアを建て直した。現在、トランプ大統領がやっていることを見ていると、その頃のプーチンを思い出す。国内の腐敗を追放し、国家としての力を付け直すという一点で、彼らは共通している。

歴史的文脈は忘れられ、あるいは隠蔽され、直近の出来事の様々な局面を巡って論争が続いているのを毎日、SNSで見るが、バラバラに取り上げるというのもプロパガンダを拡散したい勢力の「煙に巻く」という一つの戦略になっている。

文脈の中に置かれない言葉は意味を持てないように、歴史の中に置かれない事象の意味はなんとでも操作される。

Xに、時系列に整理している投稿を見たので、これは拡散すれば有益ではないかと思ったが、あまり見ている人がいない。なので、それを訳して載せることにした。但し、それだけでは足りないので、少しずつ付け加えておこうと思う。だから、この記事は、常にアップデートし続ける。

歪んだ像を是正するために、常に参照できるように置いておくので、特に自分の考えをいちいち付け加える予定はない。ただの年表だと思って使っていただければ良いと思う。

民間から政府まで熱狂的なロシア叩きに目が引きつっている日本が恐ろしくなって、3年前のライブでウクライナを取り上げた。これ(↓)はその時の参加者の感想など。

下は、ウクライナについて「Overseas シリーズ」で書いた比較的最近の記事。「Overseas シリーズ」では、日本メディアやSNSで拡散されている個々の情報のおかしさを指摘する以上に、世間の空気を作る妙な文脈を指摘することに焦点を置いている。

ジェフリー・サックス教授や、ジョン・ミアシャイマー教授は、全体の文脈を整理する話をよくしている。これらを見て、自分なりの整理をするのも有益だと思う。日本語字幕がついているものもYouTube で探せば出てくると思う。

下の投稿を見れば、ロシアがNATOの東方拡大に脅威を感じるのが当たり前であることを目で見て分かる。

ここからは、Alan Watson (@DietHeartNews)の投稿に沿って冷戦以後のウクライナの破滅への道を辿っていく。

ロシア国境地帯紛争への道

1990年2月9日:

ソ連最後の指導者ミハイル・ゴルバチョフが承認した取引により、ドイツのNATO加盟を受け入れる見返りとして、米国務長官ジェームズ・ベーカーは「NATOは東へ1インチも拡大しない」と約束した。

コロンビア大学のジェフリー・サックス教授やシカゴ大学のジョン・ミアシャイマー教授によれば、ドイツ統一に関する長期交渉の中で、米国、欧州、ドイツの指導者たちは、ゴルバチョフに対し将来のNATO東方拡大はないと明確に保証した。

たとえ正式な条約ではなく口頭での約束であったとしても、ゴルバチョフはそれを「拘束力のある合意」と理解し、ソ連指導部はそれに基づいて行動し、赤軍をドイツから撤退させ、ワルシャワ条約機構を解散した。

1996年 大統領選挙年:

イリノイ州北部に住むポーランド系・東欧系の有権者を意識して、ビル・クリントンはNATOの東欧拡大を公約に掲げた。(結果的にクリントンはボブ・ドールに勝利し、再選された。)

1999年3月12日:

チェコ、ハンガリー、ポーランドがNATOに加盟。ソ連崩壊後のロシアはオリガルヒ(新興財閥)に支配され、エリツィン政権は何もできなかった。米国のNATO拡大により、無力だったエリツィンは「友人ビル・クリントン」に裏切られたとして激怒した。

1999年12月31日:

長年の飲酒と健康問題に苦しんでいたボリス・エリツィンは突然辞任し、ウラジーミル・プーチンがロシアの首相に就任。エリツィンの最後の言葉:「ロシアを頼む。」

2004年3月29日:

ジョージ・W・ブッシュ政権下で、ブルガリア、エストニア、ラトビア、リトアニア、ルーマニア、スロバキア、スロベニアの7カ国がNATOに加盟。NATO史上最大の拡大が行われた。

2008年4月(ブカレストNATOサミット):

ジョージ・W・ブッシュ大統領は、「ウクライナとジョージアがNATO加盟への即時ルートに乗る」と発表。
ドイツのアンゲラ・メルケル首相は2022年にこの時のことを振り返り、「プーチンがこれをそのまま受け入れるはずがないと確信していた。彼の視点では、これは宣戦布告だった。」と述べた。

2008年:

駐ロシア米国大使ビル・バーンズが国務長官コンドリーサ・ライスに送ったメモの中で、ロシアの政治層は一貫して「ウクライナはレッドライン中のレッドラインだ(”Nyet means nyet”=”いいえはいいえ”)」と警告していた。


2014年:ウクライナ政変

2014年2月22日(ソチ五輪開催中):

「マイダン革命」が暴力化。米国務省のヴィクトリア・ヌーランドは、「2004~2005年の米国支援のオレンジ革命以来、米国はウクライナの政権交代に50億ドルを費やした」と公言した。

NATOのスナイパーがデモ隊と警官の両方を射殺し、ウクライナの親ロシア派大統領ヴィクトル・ヤヌコーヴィチは逃亡した。

この政変に対抗し、プーチンはドンバスの親ロシア派武装勢力を支援し、米国はウクライナ軍の訓練と武装を加速させた。

2014年5月2日(オデッサ虐殺):

ドンバスの危機が決定的に悪化。
キエフからオデッサへ送られた極右「右派セクター」の暴徒が、クーデターに抗議するロシア系住民を襲撃。彼らは労働組合会館に避難したが、建物に火を放たれ、48人が焼死・撲殺された


戦争へのカウントダウン

2015年2月11日(ミンスク合意):

プーチンとウクライナのポロシェンコ大統領、フランスのオランド大統領、ドイツのメルケル首相が会談。
ドンバスへの自治権付与を条件に和平が合意されたが、ウクライナ政府は履行を拒否。メルケルは後に「ミンスク合意は時間稼ぎであり、ウクライナ軍をNATO基準に引き上げるための戦略だった」と認めた。

ふざけた態度のゼレンスキー。

Screenshot

2016年12月31日:

トランプ政権発足20日前、リンゼー・グラム上院議員と超党派の議員団がウクライナ軍を訪問し、「君たちの戦争は我々の戦争だ」と鼓舞。

2021年12月17日:

バイデン政権はプーチンが提案した相互安全保障協定を拒否し、「ロシアにNATO加盟の決定権はない」と表明。

2022年2月18日:

OSCE(欧州安全保障協力機構)の報告によると、ウクライナ軍がドンバスで砲撃を激化。

2022年2月19日:

ゼレンスキーがミュンヘン安全保障会議で、「ウクライナは核兵器を配備する」と発言。

2022年2月24日:

ロシア軍9万人がウクライナへ進攻。「全面侵攻」ではなく「特別軍事作戦」と呼ばれ、「保護する責任(R2P)」の原則に基づく介入とされた。


和平の機会と米国の妨害

2022年3~4月(戦争開始6週目):

ロシアとウクライナがイスタンブールで和平交渉を実施。
ウクライナの外交官 オレクサンドル・チャリ は、「双方が真の妥協点を見つけ、戦争を平和的に終結させる寸前だった」と証言。

しかし、バイデンとボリス・ジョンソンがゼレンスキーに「戦い続けろ。我々が支える」と圧力をかけ、和平合意を妨害

(続く)

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