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この記事は、【Overseas-34】「80年の嘘:アメリカは、広島と長崎を爆撃する必要がなかったことを、ついに認めた」の補足としてまとめたものです。
この記事では、第二次世界大戦時に、アメリカに在住する日系人12万人(そのうち3分の2は米国籍)がすべての財産を没収され、遠く離れた土地の粗末なキャンプに強制収容された経緯と、戦後、それが違憲であるという最高裁の判決を日系人が勝ち取るまでの概要を書きます。
ここには、現在の日本にとっても多くの教訓があります。まず、戦中に起きた人種差別、戦時ヒステリー、政治的圧力などの影響です。今、戦争を語る日本人が増えているように思えますが、集団の心理に何が起きるか、そしてこの日系人の強制収容もそれが政府を動かした結果でもあったということです。
そして、一人の日系人(アメリカ国籍)が、このような措置は、人種差別であり違憲であるとアメリカ政府を訴えますが、それは退けられます。その判決の理由が、軍事的必要性に基づく措置であるから人種差別ではないというものでした。憲法の定める人権条項よりも軍事を優先させたということです。この判決は、戦後、「最高裁史上最悪の判例の一つ」として厳しく批判されます。これは、戦時や非常事態における政府権限の濫用の例の典型例として教訓を残しました。
今、日本では緊急事態条項を語る人が多いですが、12万人の日系人、日本人が直接の被害者であったこの事件の教訓を十分に理解しているでしょうか?
最後にもう一つ教訓をあげるとすれば、一人の日系人が戦後もアメリカ政府と戦い続けたことによって、アメリカ司法の判断を覆すことができたということです。
この日系人強制収容の措置には、直接間接に多くの大統領が関わっています。フランクリン・ルーズベルト大統領時の1944年に出された合憲判決から、1983年の取り消し判決、1988年の立法によって日系人強制収容を「人種的偏見、戦争ヒステリー、政治的指導力の失敗」によるものと公式認定し、賠償の道を開いたたロナルド・レーガン大統領、1998年にこの日系人、フレッド・コレマツ氏に大統領自由勲章を授与したビル・クリントン大統領、2018年のTrump v. Hawaii 判決で、最高裁ロバーツ長官が1944年のコレマツ判決を完全否定し、先例として無効化された時のドナルド・トランプ大統領などです。
大統領自由勲章をフレッド・コレマツ氏に授与した時のビル・クリントン大統領の言葉は、我々現代の日本人にとっても非常に大きな教訓を残しています。
「彼は不当な命令に抵抗することで、我々の憲法の精神を守った。」
不当な命令には抵抗しなければ、我々は憲法の精神を守れないのです。
目次
- 背景:
- 正式な発端:
- 実施:
- 解放:
- フレッド・コレマツの戦い:
- 法的争点:
- 1944年最高裁判決:
- 意義:
- 戦後に続く戦い:
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