【本の旅】『オーウェル評論集2 一杯のおいしい紅茶』

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全体主義

日本の1984年

ジョージ・オーウェルと言えば、『動物農場』とか『1984年』が最も有名な作品だろう。僕も十代の頃『1984年』を読んだ。その頃は1970年代だったので、1984年という年は未来だった。オーウェルが『1984年』で描いたような世界がやってくるのだろうか、そんなことはあり得ないなどと考えながら、心のどこかに、1984年が待ち遠しい気持ちもあった。

実際の1984年は、その前の年とも、後の年とも区別がつかない平凡な一年だった。日本は金持ち国家へ爆進し、アメリカはロサンゼルス五輪をビジネス化して大儲けし、日本の学生はニューアカブームに踊らされていた。日本は浮かれていた。我々はみんな浮かれていた。オーウェルの心配は杞憂に終わった。と、僕はその時思っていた。

今回の「本の旅」で取り上げるのは、『オーウェル評論集』に収められているいくつかの短編であって、『動物農場』でも『1984年』でもない。ただし、オーウェルがどういう人だったのかの共通理解を前提としないと話が進めにくいので、彼の問題意識が一番よく現れていると思われる『1984年』の話を少し書いておく。

動物農場』は1945年8月17日に出版された。日本で玉音放送があった8月15日から二日後のことだ。『1984年』が出版された1949年は、第二次世界大戦が終結してまだ4年、中華人民共和国が成立した年だ。日本では1950年に翻訳が出ている。

どちらの作品も全体主義がテーマになっているが、『動物農場』の方は、人間を、豚、馬、犬、羊、野ねずみ、野うさぎなどの動物になぞらえて物語が作られている。『1984年』の方は、もっと直接的な人間社会の設定で語られているので、こちらの概略を書いてみる。

『1984年』の全体主義

1984年』の舞台は、1950年代(つまりオーウェルの執筆時点から考えると未来)に第三次世界大戦の核戦争が勃発したという設定で、1984年(小説の中での現在)の世界はオセアニア、ユーラシア、イースタシアの三つの超大国によって分割統治されている。この設定によって、この小説は、近未来小説というカテゴリーに入れられる。

また、SF小説であるとも言われる。それは、オーウェルが執筆していた時点では実現していなかった技術が小説の中に導入されているからだ。

例えば、「テレスクリーン」と呼ばれる双方向テレビジョンによって市民は常に監視され、外に出れば、至る所にマイクが設置され、市民の行動はすべて当局によって把握されている。思想・言語・婚姻生活など市民生活の全ての側面に統制が加えられるが、物資の欠乏した世界に1984年の人間は生きている。

この小説がしばしばディストピア小説とも呼ばれるのは、1984年という出版時点の1949年から見た未来がこのようなディストピアとして描かれているからだ。

僕の経験した1984年はこんなディストピアではなかった(と少なくともそう思い込んでいた)。だから、「なんだ杞憂だったのか」と20代の僕は思ったわけだけど、2024年の今はどうだろうか?

今のニューヨーク市は、街の中のいたるところにカメラが設置されている。カメラから逃れることは不可能だ。常に監視され記録されている。日本がどうなのかは知らないが、少なくとも東京など大都市では同じ状況ではないだろうか?世界中の大都市でも同じ状況だと言えるのではないかと勘繰っている。

小説中の三つの超大国はそれぞれ一党独裁制の国であり、この小説の舞台であるオセアニアの独裁政党は「ビッグブラザー」と呼ばれる独裁者に率いられている。国民は皆「ビッグブラザー」を敬愛しなければならず、至る所に「ビッグブラザーがあなたを見守っている(Big Brother Is Watching You)」という言葉と彼のイラスト画が載ったポスターが貼られている。しかし、実際にビッグブラザーが存在するのかどうかさえ誰も知らない。

画像
ビッグブラザーのポスター

そして、党には三つのスローガンがある。

戦争は平和である(WAR IS PEACE)
自由は屈従である(FREEDOM IS SLAVERY)
無知は力である(IGNORANCE IS STRENGTH)

ここまで来ると、今の日本を少し思い出すかもしれない。自衛のためと言って戦争を求め(戦争は平和である)、自由を制限し(自由は屈従である)、情報を遮断し国民の愚民化を進める(無知は力である)政府を我々は持っていないだろうか?

この作品の中では、オセアニア国の政府の構造が説明されているのだが、その中に「真理省」などという中央官庁が登場する。この省は、歴史記録を改竄するのが仕事だ。それによって、常に党の言うことが正しい状態を維持する。プロパガンダを作成し、政治的文書、党組織、テレスクリーンを管理し、「思想・良心の自由」に対する統制を実施する。

ますます現在の日本に似てるように見えてこないだろうか。

この他、この小説の一つの大きな特徴として、言語破壊についてとても突っ込んだ作り込みが行われている。

その一つが、ニュースピーク (Newspeak)という概念。これはオーウェルの造語である。思考の単純化と思想犯罪の予防を目的として、英語そのものを単純化する。日本語では新語法と訳されている。語彙の量を少なくし、政治的・思想的な意味を持たないようにし、この言語が普及した暁には、国民は反政府的な思想を書き表す方法も、考える方法も存在しなくなると予定されている。今ふうに言えば、機能的文盲が完成する。

もう一つは、ダブルシンク(doublethink)という概念。日本語では、二重思考と訳されている。「1人の人間が矛盾した二つの信念を同時に持ち、同時に受け入れることができる」という、オセアニア国民に要求される思考能力とされている。

それを可能にするものとして、ダブルスピーク(doublespeak)という概念が登場している。この単語自体は登場しないが、「矛盾した二つのことを同時に言い表す表現」という考え方は現れている。つまり、ダブルシンクとダブルスピークは兄弟のようなものだ。日本語では二重語法と訳される。

例えば、スローガンの一つの「戦争は平和である」のように、表の意味として平和を表す単語が、裏(真)の意味としては暴力を表し、それを使う者が表の意味を自然に信じて(鵜呑みにして)自己洗脳してしまうような語法のことである。

現実の世界に戻ると、今現在も世界では「自由と民主主義」を語りながら、大虐殺を続ける人たちがいて、それを本当に「自由と民主主義」のためだと信じている人がいる。ダブルスピークで起きていることを言い換えれば、それは、他者とのコミュニケーションをとることを装いながら、実際にはまったくコミュニケーションをとることを目的としていない現象ということでもある。

僕自身の1984年はとても平凡で退屈な年であり、「なんだ杞憂だったか」で終わったのだけど、その時には既に静かにオーウェル的な1984年への道は始まっていたのだろう。そして、それからさらに40年経った今、2024年の世界を見渡してみると、オーウェル的1984年は既に日本にあったと言ってももはや過言ではないと思う。

以上が、端折りすぎた『1984年』の概略だが、オーウェルがこの作品で描こうとしたのは、全体主義の未来型であったのは明らかだと思う。未来と言っても彼がこの作品を執筆していた時点から見た未来。

オーウェルはこの作品の構想を1944年には既に固めていたそうだ。つまり、ドイツではナチスがまだ権力を握っていた頃だ。その後、結核の療養のために中断しながらも、1947年から翌48年にかけて執筆を続け、1948年12月4日にようやく最終稿を完成した。

彼は、ナチスによる全体主義の形成過程を目撃する時代に生き、その崩壊を見届けた。その上で、近未来にもっと洗練された形で全体主義が現れる可能性を危惧していたのだろう。エンタメ性の高い作品を世に出すことによって、オーウェルは未来の人類に対して警告を発していたとも言える。

そして、その約80年後の現在、彼の近未来SFディストピア小説が実話になったのかどうかを確認する地点に我々は立っている。

余談:V for Vendetta
余談になるが、2006年に公開された V for Vendettaという映画を見ることもお勧めしたい。主題は、オーウェルの『1984年』と共通していて重いものだが、エンタメ性のクオリティが非常に高い映画になっているので、単純にカッコよく、見ていて飽きることはまずない。製作・脚本が『マトリックス』シリーズのウォシャウスキー兄弟なのだから、そりゃそうだろう。
この映画 V for Vendettaの原作は、イギリスの雑誌『ウォリアー』(Warrior (comics))に1982年から1985年まで連載され、1988年からアメリカのDCコミックスに引き継がれたコミック、つまり漫画なのだが、未来の独裁国家の設定やそのディテールに及ぶまで、『1984年』の内容を思い出す点が非常に多い。

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