『あたらしい憲法のはなし』について

日本の再出発

『あたらしい憲法のはなし』が出版されたのは、今から77年前の1947年(昭和22年)の夏だった。その年、日本の義務教育は6年から9年に延長された。尋常小学校の6年に新制中学校の3年が付け加えられたのだ(実は戦時中に既に義務教育の延長は議論されていたが、もちろん実行できるはずもなかった)。

僕が子どもの頃、親たちの会話にはまだ”新制中学校”という言葉が時々出て来たのを覚えている。彼らにとって、僕が行く中学校こそが、新制中学校だったとはその時は知らなかった。

その年、1947年(昭和22年)4月から新制中学校は始まったが、新たに登場した「社会科」の科目は、教材の準備や教員の講習等に時間がかかり、実際には9月からのスタートになった。そこで教科書として文部省が作ったのが『あたらしい憲法のはなし』だった(後に副教材となる)。

逆コース

1949年10月1日、中華人民共和国が成立し、1950年6月25日、北朝鮮は、38度線を越えて韓国に侵攻し、朝鮮戦争が勃発した。これ以後、アジアの共産化を恐れたアメリカの対日占領政策は、「民主化と非武装化」から、事実上の「再武装化」へ急展開する。そして、現在の自衛隊へと発展する警察予備隊が創設された。ここに逆コースが始まった。

その後、逆コースが日本社会のあらゆる側面で始まる中、1951年、『あたらしい憲法のはなし』は静かに使われなくなった。

逆コースという現象は、日本がアメリカの世界戦略のツールの一つとして使われ始めたということを鮮やかに表している。その後の日本は、日本という国の国家主権が虫食いだらけになっていく過程としてみることが出来るだろう。

皮肉なことに、1951年9月8日、日本の占領状態を終了し、日本の独立を回復するはずの49カ国との講和は、サンフランシスコ講和条約と同時に署名された旧日米安保条約日米行政協定(その後、新日米安保条約日米地位協定に引き継がれる)により、日本の対米従属は固定されてしまった。対戦国との講和=占領の終了=主権の回復=独立であるはずのことが、他国の属国化になるという前代未聞のねじれを生じ、それが現在にまで持ち越されている。

しかし、変わらなかったものが一つだけある。それが日本国憲法だ。1947年(昭和22年)にその施行は始まってしまった。アメリカが何を言っても、憲法を逆コースに戻すにはもう遅かった。日本国憲法には、日本の「民主化と非武装化」というポツダム宣言の方針と、それを実現しようとするアメリカの対日占領政策の方針が色濃く反映されている。その事実をもって日本国憲法を「押し付け憲法」だと言ってる人がいる。

暴力で決着をつけようとするのが戦争だろう。勝者が敗者に条件を押し付けて許してやるというのが戦争だろう。日本は戦争に負け、許してもらう条件をのんだ。スポーツの試合が終了した後で、ルールに文句をつけても誰も相手にしてくれない。「押し付け」というセンチメントは、日本が国際法上の約束を律儀に守ろうとしたという側面を見ていない。

日本国憲法の実際の制定過程を見ると、単純に「押し付け」と呼べるようなものではないことは明らかだ。ポツダム宣言の受諾は、苦渋の決断であったであろうことは想像に難くない。しかし、その同じ日本人の中に、この戦争の決着に日本の”勝機”を見た人たちがいたのだ。彼らは「民主化と非武装化」という”押し付けられた”条件をしっかりとつかみ、日本国憲法の制定をやり遂げた。

アメリカは罠にはまった。

アメリカは自分の作った罠にはまった。

連合国の占領方針を見事に具現化した憲法を日本は作ってしまった。アメリカが日本をアメリカの世界戦略に自由に使える駒として使おうとした時、日本は既に憲法で守られていた。アメリカはそれでも諦めない。それが、新旧安保条約であり行政協定/地位協定だ。それでも、日本はしぶとく、のらりくらりと抵抗を続けていた。ほんの最近まで。

自主憲法の制定は、1955年(昭和30年)に結党した自民党の党是であったが、それから約半世紀、自民党はそれについては実質的には沈黙しているも同然であった。アメリカとの軍事同盟(新旧安保条約+行政/地位協定)に依存することによって、経済発展に専念することが出来たという評価の一方で、その軍事同盟依存こそが、日本の独立主権国家としての地位を蝕んでいたという評価もある。

実際は、そのどちらでもあり、どちらでもない、軍事同盟と日本国憲法の間で辛うじて綱渡りをしていたというのが実態だろう。日本にとってアメリカによる保護は利用価値が高く、かといって完全な属国になることも避けようとしていた。前者に傾き過ぎた政治家は罵倒され、後者に傾き過ぎた政治家は排除されてきた。

ここに、既に日本国憲法の価値のねじれが生じていた。アメリカに”押し付けられた”憲法は唾棄すべきものであると息巻いていた人たちのセンチメントは、そんな日本国憲法は日本の独立主権国家としての地位に対する侮蔑であると感じていたことは理解できる。そのセンチメントは自民党の結党時に党是として回収される。

ところが、その後、国内的には逆コース、世界的には冷戦下のアメリカの世界戦略による日本に対する圧力は、従属/独立の力学を完全に逆転させた。現行の日本国憲法を死守することによってのみ、独立は維持されるようになった。それが、自民党の半世紀の沈黙を説明する。日本の主権国家としての独立を渇望する人たちにとって、かつて対米従属のシンボルであった日本国憲法の維持が必要になってしまったのだ。

異変が始まった。

憲法の施行から60年後、異変が始まった。

日本国憲法を巡る力学が再度、転倒し始めた。第一次安倍内閣は、2007年(平成19年)国民投票法を成立させ、第二次安倍内閣は、2012年(平成24年)自民党憲法改正草案を発表し、第三次安倍内閣は、閣議決定による解釈改憲に基づいて、2015年(平成27年)平和安全法制を成立させた。

自民党は、それまで首の皮一枚でつながっていた独立の維持という願望をあっさり棒に振る方向に走り始めた。現在の憲法改正推進の議論は、本人たちが意図していようがいまいが、日本がアメリカの道具と化すこと、対米従属を固定することに恐ろしく無頓着であるように見える。

  

『あたらしい憲法のはなし』の再販

77年前の日本の大人たちが、日本の政府が、子どもたちになんとか伝えようとした日本国憲法の理念は何も変わっていない。将来、日本が独立した主権国家として生き直そうとした時に、思い出すべきものとして、今の子どもたちにも知っておいて欲しいことが、すべて『あたらしい憲法のはなし』には書いてある。

『あたらしい憲法のはなし』は今までなんどもいろんな出版社に出版されて来たし、今も手に入るものもある。青空文庫なら無料のKindle版もある。ただ手に入りにくかったり、表記法が古く読みにくかったり、高価だったりする。

出来るだけたくさんの人(子どもも大人も)に読んでほしいので、原文の古い表記を現代かなづかいに変えて、難しい漢字にはふりがなを付けて、子どもに大人がこの本が出版された背景を説明できるように「大人のためのまえがき」を書き加えて、ウェブにアップした。これは直ぐに無料で読むことができる。

同時に、ウェブを見るのが面倒くさい人もいるかもしれないので、Kindle版も作った。これは有料だが値段は限界まで抑えた(380円)。印刷版は材料費・印刷代が高いので、どうしても1,000円を超えてしまうので、要望が多ければ作ることにした。

臨時ライブのお知らせ

憲法リテラシーのコースで毎月やっているMEETUP で、今月のテーマとして、上で若干触れた「大人のためのまえがき」に書いた「日本国憲法の制定過程」を取り上げます。通常、MEETUPは、コース受講者だけが参加していますが、このテーマはあまりに誤解が多いので、他の多くの人にとっても有益だろうと考えて一般に公開することにしました。興味のある方は下記要領でお申し込み下さい。入室案内は実施日前日にお届けします。

参加要領

実施日時:2024年9月15日(日)午後1時〜3時

実施方法:Zoom

参加費:参加者が決める任意の額。

投げ銭

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