【Caitlin’s】資本主義をハッキングする私の実験

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これは2021年に発表されたものだけど、Caitlin Johnstone さんの立ち位置を理解するためには、読んでおくことが必須であると思われるので、過去記事から選んできた。

[原文情報]
タイトル:My Experiments With Hacking Capitalism

著者:Caitlin Johnstone
配信日:May 24, 2021
著作権:こちらをご覧ください。
原文の朗読:こちらで聴けます。

おかしなことに、私の奇妙で小さな活動の中で最も興味深い点なのに、私がどのようにして生計を立てているのか、これまで一度も書いたことがないことに気がついた。誰かの役に立つかもしれないので、一応書いておこうと思う。

筋金入りの資本主義愛好家の耳に届くところで資本主義を批判する人なら誰でもそうであるように、私はいつも「それでも資本主義に参加しているのか、ハハハ」という台詞をいつも聞いている。彼らは、私が記事の一番下にPatreonやPaypalへのリンクを貼っているのに、資本主義を批判するのは偽善だと主張するが、それは多くの理由で馬鹿げた言い草だ。

それが馬鹿げているのは、私たちは資本主義社会に住んでおり、資本主義に参加する必要があるからだ。つまり、刑務所システムの不満を言う囚人に対して、刑務所に住んでいるのに、そんなことを言うのは偽善的だと言うようなものだ。また、それは、現状を批判できるのは、電気も通っていない森の中の丸太小屋に住み、リスの肉を食べながら地面に穴を掘って不満を叫んでいる人たちだけだと暗に言っているようなもので愚かな話だ。

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そして、私の場合、それはほとんどの人よりも、私に当てはまらないことなので、さらに馬鹿げている。

私は他人の善意によって生計を立てている。私は多くの人と同じように懸命に働くが、労働に対して金銭を請求することはない。私は無料で働き、私の労働の成果を享受する人には何も要求しない。私の作品はすべて、閲覧自由、再出版自由、使用自由、改変自由であり、いかなる条件もない。私の本でさえ、すべてオンラインで無料で見られるもので構成されている。取引も交換もせず、あなたの手にはすでに製品がある。ただ、記事の一番下にデジタル・チップ入れがあり、もし人々がそこに小銭を投げ入れたければ、入れることができる。

私はこの解説の仕事を始めた当初から、自分の最も健康的な部分から書ける最も健康的なことについて書きたいし、そして、もしお金をもらうなら、最も健康的な人々の最も健康的な衝動によってもらいたいと決めていた。私の場合、それは私たちの社会がどのように不健康であるか、そしてどのようにすれば健康に向かうことができるかについて、あらゆる角度から書くということであり、同じことに関心を持つ人々の好意に全面的に依存してそうするということです。

私の知る限り、私が子供たちに残していく世界の主要な問題は、結局のところ、お金が最悪の種類の人々を昇格させる傾向にあるという事実に集約される。出世のためなら誰をも踏みにじることを厭わない人々、たとえそれが他のすべての人々を貧困に陥れ、戦争を引き起こし、私たち全員が生存のために依存している生態系を破壊することであってもです。私の目標は、お金が代わりに健康に報いるようにすることで、この傾向を「ハック」し、それによって私が病気の反対を体現し、より良い方法が可能であることを証明することです。

お金は力であり、お金は反社会的行為(sociopathy)に報いるため、私たちは貪欲なソシオパスによって支配されることになる。この問題は、富がそれを持つ人々の共感を奪うことが示されているという事実によってさらに悪化している。これは、お金が一種の補綴(prosthetic)善意通貨として機能していることを考えれば納得がいく。大金がなければ、隣人の好意に頼って生きていかなければならない。貸し手である隣人のニーズに常に敏感でなければならない。車が故障したときなど、修理の手伝いをしてもらえるように、彼らが何を必要としているのか、どうすれば彼らを助けることができるのか、彼らが自分に対してどのような感情を抱いているのかに常に気を配る必要がある。裕福であれば、善意について考える必要はまったくないので、他人のニーズや感情への同調は萎縮してしまう。

対照的に、お金に支配されていない社会では、善意が一般的な通貨であり、ソシオパスは死に至る傾向がある。以下、Scientific American 誌より:

1976年の研究で、当時ハーバード大学にいた人類学者ジェーン・M・マーフィーは、ベーリング海峡近くのユピック語を話すイヌイットの孤立したグループが、クンランゲタという言葉を持っていることを発見した。クンランゲタの意味は「……繰り返し嘘をつき、ごまかし、物を盗み、……多くの女性を性的に利用するが、叱責されても気にせず、いつも年長者のところに罰のために連れて行かれる男」という意味であった。マーフィーがあるイヌイットにクンランゲタを部族のみんなは普通どうするのかと尋ねると、彼はこう答えた。「誰も見ていないときに、誰かが彼を氷から突き落とすだろう」。

このような部族文化では、自分の価値はどれだけお金を持っているかではなく、周囲の人々の生活の質をどれだけ向上させるかで測られる。集団にとって快適な生活を送れば、彼らから多くの好意を受け取ることができるし、周りにとって不愉快な生活を送れば、好意が尽きて氷の上から突き落とされる。しかし、私たちの社会では、クンランゲタの好意を無視し、利益のためなら何でもする姿勢が、彼をCEOにする可能性がある。

私のここでのゴールは、クランゲタ的な生き方から脱却する一助になることを願い、クンランゲタ通貨ではなく、善意という通貨でやりくりすることである。

だから、私のPatreonのページには、tiers も rewardsもない。私がここでやっていることにとって重要なのは、両者にとって完全に善意に基づく関係であることです。なぜなら、私の経験では、最も健全な関係はすべて自由に与えたいという相互の願望から生まれるが、最も不健全な関係は「あなたが私にそれをくれるなら、私はあなたにこれを与える」という取引関係だからだ。

私は、ある日にたくさんのお金をもらっても、まったくもらわなくても、同じように仕事に打ち込む。私の支援者は、2ドルをくれても、200ドルをくれても、私からは同じものを受け取る。そうすることによって、私たちは皆、内発的動機によって動くことになる。その内発的動機は、私たちのそしてそれこそが、私が今後人類に望むことなんだ資本主義の外発的動機づけモデルではなく、何か役に立つことをした、何か価値あるものを前進させたという内発的報酬に突き動かされる。

そしてそれこそが、究極的には私が今後人類に望むことなんです。利益追求のために互いや生態系を踏みにじるのではなく、すべての生きとし生けるものの共通善に向けた内発的動機から、互いや生態系と協力し合う世界です。私の生き方は、そのような世界が可能であることを示す最高の個人的証しである。

そして、それが可能であることを知ることが第一歩なのです。マーク・フィッシャーはこう書いている。:

Children of Men を見ていると、フレドリック・ジェイムソンやスラヴォイ・ジジェクに由来する「資本主義の終焉を想像するよりも、世界の終焉を想像する方が簡単だ」という言葉をどうしても思い出してしまう。このスローガンは、私が「資本主義リアリズム(capitalist realism)」と呼んでいるものを的確に捉えている。資本主義が唯一の実行可能な政治・経済システムであるだけでなく、資本主義に代わる一貫した代替案を想像することさえ今や不可能であるという感覚が広まっているのだ。

私は、その一貫した代替案を想像する手助けをしようとしているのです。私が歩んできた道を歩むことが、他の人々や、ましてや私たちの種全体にとってどこまで可能なのか、正確にはわからない。しかし、私自身のためにこの道を歩むことが、子供たちにもっと健全な世界を残せるのではないかという希望を与えてくれたのです。

E N D

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