LIVE 68 『日本国憲法の制定過程』レビュー

2024年9月15日、LIVE 68 日本国憲法の制定過程を実施した。参加者のアンケート結果が返ってきた順に掲載していく。

参加者の一人から、”副題に「現日本国憲法は押しつけだったのか。あなたの判断のために」などとつけて、興味を持った時に手が届く情報として有名になってほしい”という提案があったが、確かにマーケティングを考えてないなと思い苦笑した。

日本国憲法が「押しつけ憲法」であるかどうかに関する僕の判断を”押しつけ”ようという気はさらさらなかったので、この人の提案する「あなたの判断のために」という副題は妙案だと思う。

今回このライブの準備をするにあたり、出来るだけ生の素材に当たって、それに沿って考えてみるという方針を立てた。国立公文書館の誕生 日本国憲法と、国立国会図書館の日本国憲法の誕生という二つのサイトにはオリジナルの資料がふんだんに保存されており、とても有益だった。ここにある資料を読んでいくうちに、脳内にある煮込み料理がぐつぐつと煮え続け、さらに味が深くなっていったような気がした。

そのうちのいくつかは、敗戦から一年あまりの短い期間に起きた憲法制定という歴史的事件を含む世界像を形成する上で不可欠な成分であると思い、ライブの中で引用することにした。知ってるつもりでいたことも、改めてオリジナルを読んでみると、なるほど!という新しい発見がいくつもあった。ライブ中に原文の抜粋を読んだのは以下の七つの文章。

 米国及英国に対する宣戦の詔書(宣戦布告) 1941年12月8日
 ポツダム宣言 1945年7月26日
 大東亜戦争終結ノ詔書(玉音放送) 1945年8月15日
 降伏文書 1945年9月2日
 人間宣言 1946年1月1日
 憲法改正要綱(甲案) 1946年2月8日
 憲法改正案(乙案) 1946年2月8日

もう一つの方針は、上記のような生の素材を、政府はどのように調理して公式の料理として残しているのかを理解するということだった。参考にしたのは、以下の三つ。

衆議院憲法調査会報告書 衆議院憲法調査会、2005年4月
日本国憲法に関する調査報告書 参議院憲法調査会、2005年4月
衆憲資 90「日本国憲法の制定過程」に関する資料 衆議院憲法審査会、2016年11月

市場にある関連本の中にはベストセラーになっているものも少なくないし、プロの書き手が書いたものはやはり面白い。そういう本に比べると、上記のような”報告書”ははるかに見劣りがするのだけど、僕はとても面白いと感じだ。簡潔に手際よくまとまっている点では、日本の官僚らしさを感じるし、偏向しているという批判を予め防ごうとする律儀さを感じることもあった。

そうやって僕自身が持っていた憲法制定の世界像も大幅に更新されたと思う。これを書き始めると長くなるので、別に書こうと思う。まずは、以下の参加者の感想からどうぞ。

追記:このライブの実施後に読んだ本を挙げておく。どれも読みやすく、良書だと思った。YOSHILOG NOTEの方にコメントは書いた。

幣原喜重郎『新憲法に関する演説草稿
中野好夫『私の憲法勉強
半藤一利『日本国憲法の二〇〇日

参加者の感想

今日は久しぶりにライブ聴くことができました。改めてよしさんの編集力の凄まじさをオンライン体感しました。ありがとうございます。

五箇条の御誓文が、あんなに民主的なものとは知りませんでした。中高生の知識で江戸時代の後に近代化のための指標となったという理解も間違ってはいないのかもしれませんが、今の社会や政治の状況において、誰もが改めて読み返してみるといいのではないかと思いました。同じように天皇の人間宣言も、自分たちは特別でもなんでもないと書かれていて、最近見かける心の根っこの置き場所を間違えた人達を思い出します。

日本国憲法を制定するにおいて「ポツダム宣言」が大きな役割を果たしていることが解かり非常に興味深かったです。 あまりに稚拙で状況を無視した「松本案」が拒否され、GHQ草案に沿って日本の智が集結して審議に審議を重ねて作られた「日本国憲法」を作るチャンスが与えられ、「国民主権」「基本的人権の尊重」「戦争の放棄」を主体とした近代憲法を作れた幸運を有難く思いました。

同時に、GHQが日本の軍事裁判をもっと徹底していたならば、あるいはもっと「極東委員会」が軍事裁判に関与してくれてアメリカの意向を緩めることが出来ていたならば、岸信介などの現代も日本を支配している家系の人々を排除することが出来ていて、今のような「アメリカの属国」の位置に日本が居なくて済んだのではないか?という悔やんでも悔やみきれない禍根も残されました。

個人的には岸信介から永遠と続く、CIAや統一教会との関係、なぜA級戦犯の数人がそれを免れて戦後の日本政治に深くかかわってきたのかがすごく興味があります。

日米合同委員会のことや特別会計の成り立ちなど闇が深く、暴くのも難しい部分ではありますが、結局のところその部分が日本の闇で経済成長を阻害している大きな要因でもあります。

そこまで深くは難しいとは思いますが、戦後の日本の政治の闇を上手く暴きながら、日本がこれ以上アメリカに利用されずに済むような政治に変えるためにはどうしたらいいのか? という事が今の一番興味のある部分です。

この辺りは山本太郎氏もたまに口になさいますが石井 紘基さんも殺されておりますし、非常に難しい部分なのでしょう。 闇が暴かれて、自民党政治が終わりますことを心より願っております。

今回もいろいろと考える機会を与えて頂けるライブをありがとうございました。 また次回も期待しています。

押しつけかどうかを議論する場合、成立したプロセスと内容をわけて話をした方がよいのでは、と思いました。 しかしながら、外圧がないとなにもすすまないのはもはや遺伝子にしみついているのかと思うばかりです。

憲法制定の過程がよくわかりました。特に興味を引いたのは、人間宣言です。中身がどんなものだったのか全く知りませんでした。

…私とあなたたち国民との間の絆は、いつもお互いの信頼と敬愛によって結ばれ、単なる神話と伝説とによって生まれたものではない。 天皇を神とし、または日本国民は他より優れた民族だとし、それで世界の支配者となる運命があるかのような架空の概念に基くものでもない。…

この部分、衝撃でした。 これは、 国民との間の絆は、

…神話と伝説とによって生まれ…天皇を神とし、または日本国民は他より優れた民族だとし、それで世界の支配者となる運命がある… と、

戦前学校で子供達に教えてきたということだと思いました。父が戦前の教科書や雑誌のようなものを所有しているので、実物を見たことがあります。これをはっきり否定したものが、人間宣言だったと初めて知りました。

それなのに、今、神話や伝説を歴史と言ったり、日本国民は他より優れた民族と言ったりする人が少なからずいて、どうしてこの宣言がもっと人々に広まらなかったのか、もし広まっていたら、外国人に対しての差別や偏見の意識に対して幾らかでも良い方向に影響があったのではないかと思いました。それは、憲法についても同じと思います。

人が他の誰かより自分は優れているなどと公言するのは、自分の未熟さを明らかにしてるだけと見えますが、国においても、他より優れた民族などと口にするのは、恥ずかしくて憚られることだと思います。それを国民に教えてた事実を振り返り、もう一度学び直して国民も国も成長していくことが必要と思います。

よしさん、お疲れ様でした。ありがとうございました。

矢張り憲法リテラシーの内容は素晴らしいですが、玄人向けな気がします。危機感の話をされてると思いますが、Yoshiさんの危機感レベルが今一つ理解出来て居ません。なりふり構わず阻止したいのか、皆にキチンと理解して貰いたいのか。

私は最近、理解に対しては諦めてます。深井龍之介でも理解レベルは勝ちとれない、ましてや普通の人に対して主義主張を以て歴史や経緯を考える事を可能ならしめるには、相手に少なくとも相当な好奇心レベルが必要ですが、そもそも改憲問題は世間的には多分米大統領選以下の大したことでは無い注目度。ただでさえ、目先の政治が絡む話で相手を思考する姿勢に至らせるのは至難の業。然るが故に煩がられたらそれでお終いだからこそ、身の周りの人には、松元ヒロ的アプローチにしてます。

上の設問の「だいたい説明できる」は厳しめに評価したくなりました。

「日本国憲法草案の作成はGHQが一週間かそこらで」はネトウヨの言い分でなくても、学校でも教師が言っていた記憶があり、わりと知られている話のように思います。GHQ側の草案作成チームに(アメリカの)若い女性がいて、彼女がどんなことを付け加えたとか、ニュース番組の憲法関連特集で取り上げられていたこともありました。マスメディアの報道が、まだしもマトモだった時代の話。

ただ、日本の官僚が草案作成にどれだけ関与していたか、ましてや、これを帝国議会(当時)で審議したことについては、私が忘れているのではなく、まじめに教わらなかった記憶。現在の日本国憲法が当時の帝国議会でちゃんと、さらに合計100日以上をかけて審議された上で公布・施行されたことは、これから有権者になる子供達に100%教えるべき事実であるでしょう。自国の憲法がどういう成り立ちで存在しているかは、主権者教育と歴史教育の両方の側面から、必要な内容だと思うからです。

しかし、歴史の授業では近現代史がおろそかにされてしまう。そういう指導要領なのかなんなのか、たぶん年度の最後の社会とか日本史の授業で、戦後史を駆け足でダダダッとピックアップして終わりでは、そんなことを取り上げる暇もない。そうでなく、自国の成り立ちの一環としてきちんと教わっていれば「GHQ/アメリカによる押し付け憲法」という認識が広がってしまうことは、決してなかったはず。

個人的には日本国憲法草案を審議した帝国議会に、1946年4月10日の衆議院議員選挙で当選した、日本で初めての女性国会議員39名が含まれていたことがアツいです。敗戦と国家の再出発という、この上ない厳しい現実にあって、新しい時代を作るべく選出された彼女らは、はたして新しい憲法案の審議にどう向かっていったのか。

このあたりも、学校で時系列として全員が教わることではないと思います。早い話、自民党総裁選に立候補して改憲と言ってる人達、事実関係をどれだけ分かっていることやら。

今回もありがとうございました。

今回も素晴らしいライブをありがとうございました。まだまだ内容を消化出来ていませんが、 今の憲法が、押し付けでないことは、理解出来ました。

ポツダム宣言から、憲法制定までの バタバタは、日本人の精神が、アメリカの想像を超えたところに、あったというところでしようか、そしてそれは今も大して、変化してないように思います。特に天皇については、崇めるものとして、時に恐れるものとして、千数百年以上、日本人の無意識に、絡みついた呪いのようなものて、そのまえでは人権など、存在しません。今回の憲法改正に、天皇の存在を再認識されような文言が入れば、より安易に受け入れる人がいるのではと、とても心配です。

ポツダム宣言と大東亜戦争終結ノ詔書など、先入観を無くしてオリジナルを読むのがとても面白かった。教科書で習う各文書の位置づけを鵜呑みするより、たとえ現代語訳であっても読んでみることで、天皇の人となりや、作られた背景を自分で想像する事ができ、考えるきっかけになった。

松本委員会の行動は滑稽にも見えたが、理解できないフリをして、隙あらば天皇主権を維持しようとしたのではないか。ポツダム宣言の内容を、あれほどに誤解する事があるだろうか。

国内には憲法研究会の憲法草案要綱をはじめ様々な憲法改正案があったことから、私も、国民の一部には戦前・戦後ともに軍国主義の排除・民主主義と基本的人権・国民主権に賛成の考えを持つ人はいたと思う。松本案の拒否からGHQ草案に沿う憲法改正の方針を閣議決定した後の、即時検討開始の瞬発力と、爆速の試案・確定案作成作業も、予め考えていなければ実現し得なかったのではないか。閣議決定の期を逃さず、状況が変わらないうちに確定案を要綱化して発表し、マッカーサーの支持を取り付けて確定したかったようにも見える。この時の、仕事のできる官僚達に感謝したい。

確かにきっかけはポツダム宣言受諾ではあったが、日本国憲法が安倍晋三の言う「日本人がつくったんじゃない」には当たらないと思った。ただ、「ポツダム宣言受諾が法的に一種の革命」はその通りだと思ったし、その受諾を最終的に明言したのが昭和天皇だというのも奇妙で情けない。日本人とは? 天皇制を隠れ蓑にして、「日本国民を欺いて世界征服に乗り出す過ちを犯させた勢力」、「無責任な軍国主義」が台頭した事は宣戦の詔書によく表れているし、大東亜戦争終結ノ詔書にも悪あがきが読み取れると思う。現在でも国内では天皇を美化して扱っており、私にもそのような面があることに気付き、見方を改めようと思った。 ありがとうございました。

続く。

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