うな串屋というカテゴリー

うな串店というカテゴリーがあるのを知ったのはたぶん一昨年だったと思う。法善寺横丁をぶらついてる時に焼き鳥屋のような店をよく見ると鰻屋だった。

しかし、うな串と表示している。ただ単に蒲焼を小さく切って串に刺してる程度のことだろうと思って店に入ってみると全然違った。

鰻が部位ごとに分解されて、それぞれの部位は毅然として独立した串になっていた。部位と言っても所詮は身と肝に分けるくらいだろうとたかを括っていたら、何種類もの串がある。

もう名前は忘れてしまったが、ここはロース、ここはヒレみたいな感じなのではないだろうか。

調理の仕方でも串が分類されていた。馴染み深い蒲焼風なのは、むしろ一兵卒のような扱いで、他の種類の串の方が丁重に扱われているように見える。

しかし、この仕込みは実に大変そうだ。カウンターだけの小さなお店の中で忙しくしているおにいさんに、堪えきれずきいてみた。この仕込み、めちゃくちゃ大変じゃないですか?と。

おにいさんは仕込みも調理も洗い物も全部一人でやってるので大変だと一瞬たりとも作業の動きを止めず言っていた。カウンターには10席くらいしかないけど、調理が追いつかないと、空席があっても入って来るお客さんをお断りするそうだ。

席は空いてるなら、そんな客は店に入れて待たしておけばいいのにと思ったが、せっせと調理を進めているおにいさんの哲学的な側面に触れそうな気がしたので何も言わなかった。

うな串屋というのは流行りのカテゴリーなのだろうか。そもそも昔からあったのだろうか。おにいさんは大阪にはあんまり無いと言っていた。その店も数年前に焼き鳥屋から、うな串屋に転向したらしい。こんな古い路地にある店でも時勢に合わして回転していくのだな。まるでお店の移り変わりが冗談のように速いマンハッタンみたいだと思った。

* * *

6、7年前だったと思うが、Hachibeiという鰻専門店がマンハッタンに出来た。NYCには和食店が腐るほどあって(コロナ禍でだいぶ消えたが)鰻丼を出す店も珍しくない。でも、たぶん全てがレトルトパックの鰻だと思われる。知らんけど。

Hachibeiは、そうではないらしいというので、ランチ時にオフィスから北へ10ブロックほど歩いて、のこのこと行ってみた。

テーブルについて鰻ランチ注文すると、しばらくしてお店の人が浅い木の桶を持って来た。中には鰻がいた。今からこの鰻を調理しますので少々時間がかかります、と言う。

うぉー本物の鰻が食べれる!という興奮と、あーこの店あかんかもという寂しい思いが同時にわいてきた。これから食べる生きてる鰻を見せられて喜ぶのは一つの文化だ。

マンハッタンに住む人たちにとっては国籍や人種にかかわらず、多様性自体が文化になっている。NYCをアメリカだと思っていたら大きな勘違いだ。NYCはNYCだとしか言いようがない。

だから、生きてる鰻もNYCでは受け入れられるだろう。しかし、そんなNYC人でも、生きてる鰻がテーブルに運ばれて来て、ゴイス〜、食べるの楽しみ〜という人はそんなに多くないと思う。

Hachibei の鰻は美味しかった。ランチは80ドルくらいだったと思う。税・チップを入れたら、当時でも1万円を超える。

Hachibeiはそれから程なく消えてしまった。決して値段のせいではないと思うし、味が悪かったわけでもない。あのプレゼンに問題があったのかどうか分からないが、少なくともNYC人の間で人気にはならなかっただろう。

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法善寺横丁のうな串屋に行って以来、街の中をぶらぶらしている時にうな串という看板に敏感になるようになった。そうやって見てみると今回大阪で何度かうな串に遭遇した。

下の写真はお初天神のうな串。美味しかったが、一本ずつ焼いて出してくる法善寺横丁のうな串には到底及ばなかった。

下の写真は福島で見かけたお店。ここには入ってないが興味をそそる面構えだ。大阪ビギナーズは、キタとミナミで修行を積んだあと、福島を攻めてみるといいと思う。良い店があちこちにある。

法善寺横丁のうな串屋にはあれから3回行ったが、入れたのは1回だけだった。あとの2回は、てんてこ舞いのおにいさんが店をのぞいた僕に、ほんとに申し訳なさそうな顔で謝るので、仕事の邪魔をして申し訳ない気分になった。その2回は、いいよ、いいよ、また来るからと言って諦めて帰った。次回帰国したらまた来てみようと思う。

投げ銭

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