【本の旅-09】ジョン・メイナード・ケインズ『平和の経済的帰結 I』

[12,049字]

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目次

  • 第一次世界大戦のインパクト
    • 戦争観の変遷
    • 戦争の違法化
  • レーニンの『平和に関する布告』
    • ①即時的な停戦と平和交渉の提案
    • ②無併合・無賠償の原則
    • ③秘密外交の廃止と外交の公開化
    • レーニンによる秘密外交の公表
    • イギリスの三枚舌外交
  • ウィルソンの『十四か条の平和原則』
    • 大統領の職務遂行不能:ウィルソンとバイデン
    • 米国憲法第25修正条項

今回の「本の旅」は、ジョン・メイナード・ケインズの『平和の経済的帰結』(The Economic Consequences of the Peace, 1919)を巡る旅です。長くなったので、2部に分けました。

参照したのは、去年(2024年)出版された山形浩生氏による『新訳 平和の経済的帰結』です。

新訳 平和の経済的帰結 単行本 – 2024/1/10

ジョン・メイナード・ケインズ (著), 山形 浩生 (翻訳, 解説)

今こそ読みたい、平和のための経済論

「過剰な制裁が、新たな戦争を生み出す」
100年前、憎悪へ突き進む世界に警鐘を鳴らした
20世紀最高の経済学者・ケインズの傑作が復活!

山形浩生氏「ずいぶんきな臭い時代になってきた現在、本書をきっかけに少しでも戦争/平和と経済についてまじめに考えてくださる方が増えてくれることを祈りたい」ーー「訳者解説」より

この本が出版されたのは、第一次世界大戦を終結するベルサイユ条約が調印された1919年ですから、今から100年以上前です。そんな古い本を読んで何の役に立つんだと思うかもしれませんが、現在の我々にとっても、とても多くの示唆を与えてくれる本なのです。

現在、世界でいくつの戦争(または武力紛争)が起きているか数えてみたことはあるでしょうか?ウクライナ、ガザ、インド・パキスタンと数えていけば、かなり思いつくかもしれません。

ジュネーブ大学が数えたところ、少なくとも

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ありました。世界の114ヶ所で武器を使った殺し合いが、今現在、起きているのです。内訳は、以下の通り。
 中東・北アフリカ:45以上
 アフリカ:35以上
 アジア:21
 ヨーロッパ:7
 ラテンアメリカ:6
(詳しくは、下の図をクリックして下さい。)

こうなると、もはや人間は「戦争をしないでいる方法」を知らないのではないかと疑わせます。「殺し合いをしないで生きていく」にはどうすればいいのか。それを考えた一人にケインズがいました。

歴史上最も有名な経済学者の一人として、ケインズの名前は一度は聞いたことがあると思います。彼の『雇用・利子および貨幣の一般理論』(The General Theory of Employment, Interest and Money, 1936)は、経済学史上にケインズ革命と呼ばれるくらい大きなインパクトを残しました。カール・マルクスにとっての『資本論』のような位置を占めるのが、ケインズにとっての『一般理論』です。これが出版されたのは、1936年です。

しかし、彼の名前を最初に国際的に知らしめたのは、『一般理論』よりずっと前の1919年に出版された『平和の経済的帰結』でした。

1919年、英国財務省の超有能な若手職員であったケインズは、英国政府財務省の公式代表としてヴェルサイユ会議に出席し、最高経済会議ではイギリス財務大臣の副官を務めました。ヴェルサイユ会議は第一次世界大戦を正式に終わらせ、平和をもたらすための会議です。しかし、会議での議論が平和どころか、さらなる戦争を招くような話に進んでいくことに、ケインズは激しく憤ります(その内容については後述します)。

フランス国民とイギリス国民の代弁者たちは、ドイツが始めた荒廃を悪化させる危険を冒している。すでに戦争で震撼し破壊された、繊細で複雑な仕組みを回復させることもできるのに、かれらが求めている平和条約が発効されてしまえば、そうした仕組みをかえって壊してしまう。だがその繊細で複雑な仕組みがなければ、ヨーロッパの人々の雇用と生活は不可能となってしまうのだ。

ジョン・メイナード・ケインズ『平和の経済的帰結』

結局、ヴェルサイユ条約が1919年6月28日に調印される直前の5月26日、彼は抗議の辞職をし、ケンブリッジに帰って、その夏、2か月間で一気に書き上げたのが、『平和の経済的帰結』でした。同年12月12日に出版され、世界的なベストセラーになりました。

第一次世界大戦のインパクト

まず、ケインズの怒りを理解するためには、第一次世界大戦が人類史にどのようなインパクトを与えたのかを知っておく必要があります。

第一次世界大戦は、人類史上初めて「世界戦争(World War)」と呼ばれた戦争です。軍隊だけでなく、経済、産業、市民社会などを含めて、国家全体が戦争に動員され、初めての「総力戦」が展開される戦争になりました。その結果、民間人の生活や労働力も戦争遂行に組み込まれ、戦争と日常生活の境界が曖昧になりました。

つまり、戦争の悲惨さと残酷さを一般人が目撃してしまったのです。これは戦争観に大きなインパクトを与えました。

戦争観の変遷

古代から人類は戦争の悲惨さを認識していましたし、戦争を止めようという考えも古くからあります。中世から近代にかけては、良い戦争と悪い戦争を分けて、悪い戦争をやめるという”反戦思想”がありました。いわゆる「正義の戦争」と「不正義の戦争」という区別です。

しかし、「正義か不正義かの判断」をいったい誰が出来るのかという問題があります。戦争当事者は皆、自分に正義があると信じているものです。

17世紀になると、現在の国家観の土台になる「国民国家」という概念が定着していきます(国民国家観についてはウェストファリア条約を参照してください)。国民国家の中心的要素は「主権(Sovereignty)」という概念です。全ての国家には主権があり、それは他国に左右されるものではないという考え方です。

そうなるとますます「誰かが正義の判定者である」ことなどあり得ないことになります。その結果、出てきたのが、「無差別戦争観」という考え方です。すべての戦争は主権国家の正当な行為とみなす、主権国家が他の国にやいやい言われる筋合いはないというのです。それが19世紀の主流の考え方です。つまり、現実的には戦争し放題になります。その究極の形が20世紀初頭に起きた第一次世界大戦(1914年〜1918年)に現れたのです。

戦争の違法化

第一次世界大戦は、人類史において非常に重要な転換点になりました。19世紀の国家間戦争で最大の死者数を出したのは、第一次世界大戦の約100年前に起きたナポレオン戦争(1803年~1815年)ですが、死者数は約300万〜600万人と推定されています。それに対して、第一次世界大戦の死者数は、約1,500万〜2,000万人と推定されています。

「正義の戦争」から「無差別戦争観」へ移行した結果、人類が経験したのは、破滅的戦争だったのです。この結果、人類の頭は、新しい戦争観へ動き始めます。それは「戦争の違法化」という考え方です。

これは、具体的には1928年のパリ不戦条約(ケロッグ=ブリアン条約)という形に結実し、「戦争の放棄」が国際的に宣言されました。もっとも、これは第二次世界大戦の勃発を見て分かるように、実効性は乏しかったのですが、「戦争の違法化」という思想的転換を人類にもたらしました。

第二次世界大戦で2回目の世界的破滅を経験した後、もう一度反省した人類は、「戦争の違法化」を、国際連合憲章(1945年)第2条4項「武力行使の禁止」として再生させます。

つまり、もし知らなければ知っておいてください。

現在、我々が住んでいる世界では、戦争は違法なのです。

殺人が違法なのと同じように、それが原則です。
そして、正当防衛による殺人が例外なのと同じように、自衛による武力行使も例外です。原則例外を同列に並べて話す人を見たら要注意です。それは論理の構造自体を理解していない証拠です。

レーニンの『平和に関する布告』

「殺し合いをしないで生きていく」にはどうすればいいのか。それを考えた一人にケインズがいました、と書きましたが、人類史上最凶の戦争を目撃して、同時期に平和について思索を巡らした有名な人について、あと二人言及しておきます。

一人はレーニンです。
レーニンは、1917年11月8日(旧暦10月26日)、『平和に関する布告』を出します。これは、第一次世界大戦の即時停止と「無併合・無賠償・民族自決」の原則に基づいた平和交渉を全交戦国に呼びかける宣言でした。

これは、ロシア十月革命直後に開催された第2回全ロシア・ソビエト大会において採択された、ボリシェヴィキ政権による最初の外交政策文書です。つまり、ソ連最初の外交的宣言です。

ですから、その政治性、つまりソ連という国家建設事業と、他国と戦争なんかやってる余裕がない、という実際上の都合が重要だったのであり、平和が主題ではないと否定的に見る意見もあります。しかし、その内容には、現代の我々の世界にとっても重要な点が多く含まれています。

以下に、そのレーニンの『平和に関する布告』の要点を整理しておきます。

①即時的な停戦と平和交渉の提案

『平和に関する布告』は、新しいソビエト政権は、すべての交戦国に対して、

  • 「即時停戦」
  • 「3カ月以内の平和会議の開催」

を提案。これにより、「民族的・政治的問題を外交交渉によって解決しよう」と呼びかけました。これは、理念的な提案であると同時に、当時の生まれたばかりのソ連が置かれた条件の中で、早く戦争から抜け出さざるを得ないという現実的な必要性も反映しています。

現実には、西側諸国はこの呼びかけに応じず、ロシア、つまり新しく生まれたソ連は単独でドイツと休戦交渉に入り、大幅な領土を失っても1918年にブレスト=リトフスク条約を結んで第一次世界大戦から抜け出しました。

②無併合・無賠償の原則

『平和に関する布告』は、次のような戦争目的を否定しています。

  • 領土の併合(forceful annexations)
  • 戦争賠償金(indemnities)の請求

その代わりに、すべての民族が自己決定権を持ち、自らの政治的運命を選ぶべきだとしました。ここには「民族自決」という当時としては画期的な理念が反映されています。

後述しますが、ウィルソンも、『十四か条』(第10~13条)で「民族自決の原則」を明記していますし、ケインズも、『平和の経済的帰結』で、ヴェルサイユ条約が民族の分断や政治的不安を招くことを警告しています。

「民族自決」が問題になるのは、「帝国」と「帝国に支配される国」という関係が存在する時です。「民族自決」の民族とは誰なのか。それは「帝国に支配される国」の人たちのことです。

ですから、「帝国主義の終焉」と「民族自決」は裏表の関係にあります。現在も続く世界の帝国主義的支配構造から人類が脱出することの必要性をレーニンを含む社会主義者は強く世界に訴えていました。これは、その後、ソ連がスターリンという精神異常者の残忍な独裁主義に蝕まれたことによって、無視されてますが、人類史にとっても重要な出発点でした。

英・米・露(ソ連)という帝国主義国家の3人がそろって、「民族自決」の権利の重要性を指摘しているのは非常に示唆的です。ソ連はロシア帝国の支配から自立し、アメリカは大英帝国の支配から自立した、ある意味では似たもの同士の国です。

そして、支配者としての地位に拘泥するイギリスを加えた三つの国の思想家が、それぞれ社会主義の立場から、自由主義の立場から、経済合理性の立場から、平和をもたらすためには「民族自決」、つまり帝国主義の終焉が必要だと考えていたのです。100年以上前に。

戦争賠償金については、ケインズが最も強く警告した部分と重なります。下で詳しく書きますが、戦争賠償金の過剰な請求が、結局、ナチス政権の成立の土壌を作り、次の世界大戦を招くことになったという点で、レーニンとケインズ、そしてウィルソンは同じ危機を警告していたのです。

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『平和の経済的帰結』の内容は、近日公開のIIで扱います。

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