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ケイトリンさんの今回の記事は、読者からの質問に対する彼女の回答という形式を取っています。下のように、6個の質問があります。原文には質問番号はついていないが、便宜上ここでは番号をつけました。
目次
- 二国家解決について
- ケイトリンさんのセルフ・ケアについて
- パレスチナの不正義を知った時期
- パレスチナの国家承認後に何が起こるか
- ケイトリンさんの執筆継続の秘訣
- すべてはどこへ行き着くのか
表題にした『二国家解決という虚構』は一つ目の質問に関してだ。4番目の質問にも間接的に関係している。
今、西側をのぞく世界中の多くの人がイスラエルによるパレスチナ人の虐殺に憤って、なんとかそれを止めたいと思っている。また、その中の多くの人が、「パレスチナの国家承認→イスラエルとパレスチナの二国家の成立」が現在進行中のジェノサイドを止めることができると思っている/思わされている。
しかし、「国家承認→二国家」とジェノサイドの停止の間には論理的にも政治的にも何の因果関係もないのです。【Caitlin’s】「MAGAは、それをジェノサイドと呼び、リベラルはそれを拒む」でも若干触れましたが、その部分を下に引用しておきます。
日本の政治家にも、パレスチナの国家承認がジェノサイドを終わらせるかのように言ってる人がいるが、そこにいったいどういう道筋を想定しているのかはまったく説明していない。パレスチナの国家承認とイスラエルによるジェノサイドを止めることの間には直接的な繋がりは何もない。
むしろ、イスラエルの自衛権理論にお墨付きを与えてしまう。占領国が被占領民に対して自衛権を行使するなんて話は国際法上はまったく論外なのだが、イスラエルはそういうポジションを強引に主張してきた。しかし、パレスチナが国家として承認されたなら、イスラエルはそれを逆手にとって、もはや遠慮なく国際法に則って自衛権を行使しているのだと主張出来ることになる。
今、40代以上の人は「オスロ合意」という言葉を覚えているかもしれません。「ユダヤ人国家」と「アラブ国家」に分割する「二国家案」が初めて提示されたのは、1937年のピール委員会の調査結果においてですが、二国家解決案が実現可能だと信じられたのは、1993年のオスロ合意によってです。
イスラエルとPLOが相互承認し、将来的に「二国家解決」を目指すという前提で、(パレスチナ国家という言葉は使われず)パレスチナの暫定自治政府を設立するという合意です。ノルウェーが仲介して合意に至りましたが、合意されてから、クリントン大統領(とんび)がしゃしゃり出てきて、油揚げをさらっていきました。
ところが、この後、イスラエルは入植地を猛然と拡大していき、二国家解決の実現性はほぼ消滅しました。それが第二次インティファーダ(民衆蜂起)を招きます。
チョムスキーは「オスロ合意は和平ではなく、管理のための装置」と見抜きました。結局、イスラエルは合意を進める気はまったくなく、茶番だったのです。
二国家解決案がどういう役割を果たしてきたかは既に明らかになっています。それに対抗策も議論され、実施されてきました。これらが全部忘れられたのか、知らないふりをしているのか分かりませんが、日本の学者も政治家もまったく触れないのはおかしなことです。話が長くなるので、別記事にします。
では、ケイトリンさんのQ&Aをどうぞ。
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