トーマス・クック破産と英国政府の15万人帰国作戦が話題になっていて、色々思い出したので、書いてみた。
BBCニュース -英旅行大手トーマス・クック、破産申請 旅行者15万人の帰国作戦が開始 https://t.co/HvvjJfwiQX
— BBC News Japan (@bbcnewsjapan) September 23, 2019
イギリスだけでなくアメリカでも南アフリカでもスイスでもどこの国でも、外国で自国民が危機に陥ると絶対守って帰国させるという猛烈な動きをする。そんな政府を持っていない日本人はかわいそうだ。どこまで行ってもお役所仕事の延長では危機対応は出来ない。
日本人を守る気概のある政治家が出てきても、今の日本政府には能力も体制も経験もない。
記事にはあっさり書かれてるけど、今英国がやってるような帰国作戦はものすごく難しいオペレーションになる。ぎっちり詰まった網の目のようなフライトプランの中に一つ異物が入るだけで大変なことになる。
かつ、何十カ国の管轄にまたがって素早く交渉しなければいけない。その間の現地での宿泊や医療や飲食物まで全て手配し続けなければいけない。
そんなことを前職ではかつて何度も何度もやったので、イギリスさすがあと思う。人を安全に生かし続け移動させるというのはとてつもなく複雑な作業だった。
それをシステム化し、シミュレーションし、経験し、失敗し、落胆し、またやり直し、諦めの悪い人が仕事を覚えていった。今も毎日同じプロセスを新人達が通過してるだろう。キャクターグッズとか折り鶴を持って、のこのこと現場にやって来ても、とにかく邪魔だからやめてあげて欲しい。そんな隙間は1ミリもない。
ちょっとしたアクションの裏には膨大な文書と気が狂いそうな交渉と決済の連鎖がある。英政府にはシステムがあり、かなり高いレベルからのトップダウンのアクションが可能なのだろう。所詮は寄せ集めに過ぎない国連はdecision-making が弱い。それが不必要な遅れと猛烈なストレスの原因になる。
それに、人道状況の緊急事態には全ての分野のプロフェッショナルが常に不足している。そこを埋めていくのがNGOとか民間会社なので、彼らに期待するのは当然、専門的知識と技術と経験なのだが、日本人はそれを全く誤解している。あの手弁当ボランティア主義なんとかならないか?傲慢にもほどがある。
日本人が驚異的な有能さを見せるだろうなと思う職種はいっぱいあった。例えば、車のメカニック。酷い環境で酷使するので車は延々と故障し続ける。メカニックは現地調達でまかなうしかなくクオリティは高いと言えない。電気、水道、ガスなどインフラ系のエンジニアもほぼ現地調達に頼るしかない。
カブールのオフィスでコンピュータのディスプレイの表示が妙にクニャクニャ動くようになって、ハッと気がつくと自分の後ろの壁から火が吹き出したことがあった。机を乗り越えって隣の部屋にヘッドスライディングして助かったけど、電気の配線が問題だった。
宿舎のシャワー室から女性スタッフのギャーっという叫び声が聞こえたことがあった。みんないっせいにシャワー室めがけて飛び込んだら、シャワーの水が出るところから火花が飛び散っていた。水道管と電線がどこかで接触(混線?)していたらしい。
アメリカによる空爆が終了した直後、外国人はほとんどいなかったカブールでは、ジュラルミンの箱数個に入ったソーラーパネルと衛星電話とサーバーとWIFIで繋ぐ数個のラップトップが空輸されて、それが唯一の外界とのコミュニケーション方法だった。突貫工事でV-SATをあちこちに設置するのは物資が到着するその何ヶ月も後になる。
カブールへ戻る一番機と二番機で戻ることが出来たのは、同じ組織では僕を入れてたった3人だった。全世界のメディアが爆発的な報道をしてるその現場にはたった3人だなんて誰も信じないだろうが、本当の話だ。但し、この二人は今まで出会った中で、間違いなくトップテンに入る有能な人たっだ。各国際機関は全世界からエースを引き抜いて送ってきた。その裏で、使えない人は情け容赦なく切り捨てられていった。一番大事な試合で失敗できないという組織の意地がぶつかる場面だった。
一番最初にしたのは、コミュニケーション道具のセットアップだった。予めセットされていたのだが、ITの専門家がいるわけでなく、外の世界と通信を始めるにはかなり苦労した。とにかく少数でなんでもやらなければならないのが最前線だった。
メディアはまだ追いついていなかった。世界中で現地の状態を知っているのは自分たちだけだった。毎日、本部から”成果”報告の矢のような催促が来る。バカじゃないの?と思っていた。救援物資は爪楊枝一つ届いていなかったのに、何を期待してるんだ?
そして、サーバーが故障する。
「ヤバイよ、どうする?」と言い合った。外の世界と完全に途切れてしまった。まだ、カブールがどちらに転ぶか分からない頃だった。アメリカは勝利したと思っていたが、現地ではそんなこと信じる人は一人もいなかった。
戦況というのはあっという間に変わる。フロントラインというのは常に動いていて一つのところに留まるものではないというのを学ぶ。戦況が変わった時に、たいてい悲惨な結果が起きる。
なんとかしないといけない。同僚と二人で、電話帳二冊分くらいのマニュアルを手分けして読み始めた。二人とも全くのITど素人。それでも、読んで理解して直さないとヤバい。すごくヤバいという切迫感で、マニュアルと黒い画面と格闘した。やっと繋がった時はこれ、ホント命綱だなと笑いあった。
今なら笑い話だけど、ちゃんとしたエンジニアが欲しいといつもみんな思っていた。
全てがダメだと思ってもなんとかする、というスタンスはその頃に徹底して身についたものだと思う。今のように気力も体力も知力も衰退する前にそういう状況に次から次に遭遇したのは、今は幸運だったと思う。その時は地獄のストレスとの戦いで死ぬかと本気で思っていた。
本部の訳の分からない要請は無視しても、実際現場で死んでいく人がいるのはなんとか防ぎたい。物資が届くのは何日も、何週間も、何ヶ月もかかるのは分かってる。喚いてもしょうがない。
カネ送れ!とにかくカネ送れ!なんとかするから、カネや、カネ!
と本部に返した。もちろん銀行もないし、ビットコインもない時代だ。ところが、現金を瞬間移動する方法があるのは、現地ではみんな知っている。イスラム世界で信頼に基づいて送金を可能にする「ハワラ」というシステムを使った。似たようなシステムは中国人の世界にも非イスラム系のアフリカ人の間でも存在する。
もう覚えてないが、おそらく1千万円くらいの現金がどこからともなく翌日到着した。なんどもハワラを使ったが、現金を運んでくる人に僕は一度も会っていない。彼らは顔を見られたくないのだ。アフガン人のスタッフが僕の代わりに受け取りに行く。
僕がやろうとしていたのは、現地にあるものを全部買い上げて分配することだった。市場は完全に麻痺している。経済活動は極限にまで小さくなっている。それでも、いろんな物資が商店や工場に貯まっているはずだ。それを全部買う。特に集中したのは暖房に使えるものだった。カブールの冬はマイナス10度くらいになる。
アフガン人スタッフ十人くらいに現金を持たせて、街に派遣した。炭を大量に買い、現地だけで使われているブリキの暖房器具を買って帰ってきた。やがて炭の生産地までスタッフを送って在庫を全て買い上げ、暖房器具の工場が生産するものを全て買い付ける契約をした。結局工場を丸ごと買った。
CNNに放映された、救援物資を受け取るために並んだアフガン人の行列は、そんな現地調達の物資を受け取る姿だった。世界が彼らに届くにはまだ何ヶ月もかかった。
この過程で、僕はおそらくありとあらゆる内部規則を破ったと思う。しかし、本部が一番欲しかったもの、”メディアへの露出” を得たら、何も文句はないだろうと僕は踏んでいた。(やがて自分が本部の管理職になり、そういう規則破りと徹底的に戦うハメになるとは全く想像もしていなかった)。
こんなことは、その後始まる史上最大のオペレーションの最初の小さな一幕に過ぎなかった。その後、次々に到着するエース級のベテラン達が現状を打破していく姿には感動した。完全なドン詰まりと見える状況で絶対に諦めず、なんとかするという信念を捨てず、知力と体力と気力でホントに現状を打破していく人がこの世には存在するのだった。
* * *
人道オペレーションというのはミリタリーオペレーションととてもよく似たところがある。少しずつ前線を進めていき、基地を確保する。一番最初に借りれる住居を片っ端から借りる。1年分前払いの現金を積み上げて交渉する。
途上国では家主が海外にいることが多い。衛星電話を貸してその場で家主に電話してもらい了承を得る。予め用意しておいた契約書にその場でサインしてもらう。1日に数軒単位でどんどん借り上げていく。途中で他機関や他国の特殊部隊とバッティングすることもある。相手がアメリカなら諦める。金も力もあるので話にならない。交渉しても時間の無駄だ。
いったん借り上げたら、徹底的な改造を行う。大量のパイプが運び込まれ、地面を掘り返し、上下水道、電気などの配線を一から始める。一つか二つしかないトイレ・バスルームを三倍くらいに増やす。それから、料理人のテストを始める。
こういうことを書くと怒り狂う人もいるが、前菜、サラダ、スープ、メイン、デザートまで全て作れる人を探す。基本方針は全く同じ生活を再現することなのだ。調達できる食材は限られてるので、かなり変なものでもみんな許容する。
組織的に一番の心配はスタッフの精神状態だろう。
ある日、ダイニングルームで10人くらいで和気藹々と食事をしている時、にこやかな笑顔で食事をしている一人の女性に気がついた。Cuteで感じの良い女性だが明け方にフィールドに出ていく仕事をしていたので僕とはほとんど接触がなかった。しばらく見ていた(見とれていた?)ら、背筋がスーッと凍るような気分に襲われた。
涙がこぼれている。でもずっと笑顔で食事している。自分の涙に気がついてない。何か言おうかと思ったが、やがて他の人も同じことに気がついて全く気づかないかのように食事を続けていることに僕は気がついた。
誰かの精神状態を心配して、「あなた、なんかおかしいよ」なんてことは絶対言わないように訓練されていた。そもそも我々は精神分析のプロではないし、どんなリアクションを引き起こすか分からないし、単純に勘違いだとすれば酷い侮辱になる。結局、何も言わない。
数週間後、彼女はフィールドから、evacuate された。
国際機関でもう何十年も勤務地のローテーションを制度化しようとしている人がいるが、これは絶対に成功しない。フィールドで鍛えられ有能さを証明した人と、本部レベルで有能な人は全く違う人種といってもいいくらい違う。両方できる人はホントに稀だ。それを交換してもどちらも不幸で組織の役にも立たない。
それに、フィールドで仕事ができる人はものすごく減ったような気がする。もはや特殊な部類ではないだろうか。内部的な原因は、国連全体の組織に対する諦めが大きいと思う。もっと有効な活動はNGOや民間会社でできると考える人はたくさんいる。外部的には、国連が持つはずの正統性の低下とそれと共に現れるrelevanceの低下だろう。
なんとかしようと考えている人もいる。しかし、個人的な観察に過ぎないが、根本的には、”国家 to 国家”というモデル自体がもう既に現実に合わなくなっていると思っている。
Tips
チップしてもらえたら、嬉しいです
Comments