LIVE 47「1968」レビュー

案内

今月のYoshilog Live は、「日本の近現代史シリーズ」の第9回目です。テーマは、1968年という年です。

日本文脈では、明治100年が1968年です。明治百年祭が祝われたりしました。約2世紀半に渡る鎖国をこじあけられて、世界に再デビューして100年経った年です。

毎年いろんなことが世界の各地で起こり、毎年世界は少しずつ変わっていくと考えるのが妥当な見方だと思います。ある一年を取り上げて、これは明治100年にあたるから特別な年だというのは、ロマンのある話かもしれないけど、あまりに感傷的過ぎるように思う。

しかし、この明治維新から155年経ち、第二次世界大戦の敗戦から78年経った現在から振り返ると、1968年は日本が世界とシンクロした最後の瞬間であったように見えてくる。

今年初めにプラハの街を歩いていて、考えていたことの一つはもちろん「プラハの春」についてでした。当時チェコスロバキアであった国の人々が息苦しい生活を打ち破るために立ち上がったのが1968年でした。そして、彼らは暴力的に弾圧された。彼らが息が出来るようになるのは、1989年の  Velvet Revolution 以後です。

プラハの春は瞬殺されたが、それは東欧の一都市の孤立した事件ではなかった。世界の至るところが炎上していた。その炎が、ローリンス・ストーンズの Street Fighting Man を、ビートルズの Revolution を産みました。

1968年。その年には確かにその前と後を分ける何かがあったように思える。1968年に何があったのか。それが今回のテーマです。

Street Fighting Man – The Rolling Stones

Revolution – The Beatles

7月31日まで全録画半額セール中。クーポンコード:GJU8HNTS

レビュー

見落としたかもしれませんが、最初に今日はどういう構成でお話いただくのか説明いただけると、より聞きやすいかなと思いました。

どの回でも思うことですが、内容がよすぎてもっと聞きたくなるので、2回に分けても良いのでは、と思います。と同時に、他にもカバーしていただきたいこともたくさんあるので、1968年だけで何か月もやるわけにもいかないとも思い、その迷いが運営の評価を控えめにした理由です。 いつもながら丁寧なご準備と多くの事象のつながりのご説明、本当にありがとうございました。資料を拝見して噛み返しします。

時間足りなさすぎなんで1968のPart 2お願いします。あと個人的に1969を!

70年代だとシリーズに逆行してしまいますけど、(好き嫌いはともかく)坪内祐三的に1972、それに私の個人的な思いからぜひとも強調しておきたい1979もぜひ!!

つまるところ60年代後半から70年代前半までは、歴史を紐解くためのとっかかりと紐の解き方のヒントが凝縮されているのだと思っています。もちろん私観・思い入れたっぷりに、ですけど。

ありがとうございました。

ある一つの年を世界全体から俯瞰するとどうであったか、一つ一つの事象があらたな意味をもって見えてきた。しかし、取り上げられる内容が多く、理解しようとしているうちに次の事象に移り、理解が追い付かなかった。

1968年の市民運動を消化しきれなかった日本が、今世界から取り残されてしまっている。

1968年のやり残した宿題を、今、日本は自国だけでやり直さなくてはならないと思います。黒人の扱われ方が日本での女性のそれと同じですが、問題は女性差別だけではなく、多岐にわたり山積しています。

Nina Simoneがこれからどうなるの?どうするの?(考えましょう、動きましょう)と呼びかけたことが、今の日本にそのまま必要です。人の心を動かすにはどうしたらよいのだろうか。

プラハの春の元になったカフカや『存在の耐えられない軽さ』を読み直そうと思います。若い時に読んでみたけれど、よく意味がわからなかった。

1968年の曲も聴いてみます。

今回もとても大切な事を教えて下さってありがとうございます。

大きな「成功体験なき日本の社会運動史」が、現在に至る無関心と冷笑のベースラインになっているという結論には深く同意せざるを得なかったです。

法を自らの運動で自律的に大きく変えてくるという歴史を、敗戦という形で妥協として体制(お上)が行い、下衆(しもじも)がそれを授かるという「体験」がぬぐえていない。

そして、東西冷戦という勝敗に他の人権や差別などへの意識や運動も、左の敗北の記憶で止まり、世界の変化からバブルの熱狂そして泥舟にしがみつく時代の中で、他の先進国との差が拡大。

そうしたターニングポイントが68年だったということがよくわかりました。ありがとうございました。

今回のテーマで取り上げられていた出来事については耳にしたことがある程度だったので、とても勉強になりました。ありがとうございました。

よしさん、今日もありがとうございました。

これまでのLiveで、物事を考える時、「順序」や「他の側面からの考察」の重要性を学んできました。

今回のLiveも、1968年という年の歴史的な見方において、個々の事象を、冷戦、体制への抵抗、帝国主義からの独立、ベトナム戦争、音楽、など複数の分野に分けて、それらの重複を含んだ捉え方で世界を見てみる、というものでした。

そして、その特出されている事象を通して、日本も漏れず世界が個別にはそれぞれ直接の理由が違っても同じような動きをして、社会が変わる大きな節目の年になっていったことがわかりました。その連動する動きの結果が日本は改善への一歩とならず、他の国とのその後の差を生んでいったというところに、悲しみを感じました。

キング牧師とマルコムXのお話はとても興味深く聴きました。30年ほど前留学した際に、二人の運動の違いについて少し調べて文章を書いたことを思い出しました。どんなふうに書いたかも忘れてしまいましたが、同じ目的を持っていても、方法の違いがあったり、相容れない部分があったり、人はそれぞれ違う思考を持っているということを改めて思いました。

また、ルーマニアのチャウシェスク元大統領が、米国と中国の国交正常化に関わったというお話も今まで捉えていた人物像を超えるもので、単純な見方はできないとこちらも改めて思いました。

最後のキング牧師の「I have a dream」 の演説を聴いて、100年という期間には、長さと重みと、先が見えない問題を前に、それだけの時間があったらきっと変わるだろう変えられるだろうと思える希望があると感じました。明治100年という意味と、これからの100年を思いました。

よしさん、お疲れ様でした。ありがとうございました。

今回も学び多い場をありがとうございました。

今まで聞いたり読んだりした歴史の断片がパズルの如く少しずつ型にはまって行きました。と言うかそこにそのピースが入るとは思っていなかった。広く歴史を見る事が大切だと感じました。まだ埋まってないその他のピースを拾い集めたい衝動にかられました。先ずはベトナム戦争と日本の関わりを。しかし仕事関係おざなりだな…

そしてキング牧師の演説、最後の歌。言葉は私達にとって宝だと感じました。想いを伝え残していける凄さを。

最近の映画で被害者の補償問題を取り上げたものを見ました。そして最後に彼等が取り扱っている補償を見て愕然としました。戦争をする国が弱って行く原因を見た気がしました。日本政府は全てにおいて補償をしていません。自助しかない。そんな状態で戦争に進めば国が消滅するでしょう。それを日本国民に知らしめるにはどうすれば良いのかと思います。

特定の年を取り上げ、色分け・カテゴリー化をして、その時代と、その後から現代につながる流れを理解しようとするアプローチがとても面白かったです。

話を聞きながら、時代の副水流を見るような感じもしました。その一方で、実際には、色分けが難しく、多様な構成要素や、動的な相互関係から一つの事例・事象が成り立っており、それが後に色々な潮流のベースになり、相互に影響を与え合っているのが発見でした。

人の話を聴く際も、言葉一つに対して一つの意味を付与するのではなく、多義的な側面があり、変容する可能性があることを常に念頭に置くことを改めて感じました。

公民権運動でバスのボイコットがありましたが、ガンジーの手法や思想の影響を垣間見た感じがしました。バスボイコットは、ある意味で人種差別・白人至上主義に対する、黒人による(中には白人もいましたが)合法的な範囲での経済戦(持久戦・兵糧攻め)であり、白人の優位性を否定し、自らの権利を獲得する目的のための行動だと思います。

ガンジーは、元弁護士で、インドにおける英国の帝国主義支配を平和的に解体する前は、工場で劣悪な条件で働いていたインドの人たちと経営者との仲裁に入っていましたが、一番最初に労働者に言ったのは、「半年か一年、収入がなくてもやっていけるだけの蓄えや食事を用意しなさい」ということでした。つまり、経済戦に備えて、相手が悲鳴を上げるまで頑張れ、ということだと思うのですが、彼は非暴力を掲げながら、内実は、別の意味での強い暴力性やエネルギーを有していた人だと思います。見方を変えれば、これは、交渉力と言っても良いかと思うのですが。

帝国主義に対するアプローチは、帝国間の戦いとして生起・展開する面もあれば、国内においてある種の潮流として人々の間で生まれて、帝国主義や圧政を内側から破壊する、という側面もあるのだと感じました。

今回の歴史を取り上げてもらえて、色々なことが繋がって面白かったです。 ありがとうございました。

昨夜みましたが、内容が濃すぎでまだ頭がはぐっています。

1968年がそれほどの転機の年と初めて知りました。それぞれの話題について、まだ整理できていませんが、日本の学生運動の失敗が、今の日本の悲惨な状況を招く一旦となったという話が、特に印象に残っています。近代史は、全く学ぶ機会が無かったので、これからのイベントも楽しみにしています。また参考となる書籍がありましたら、合わせて紹介願います。

当日は途中で宅急便が来たり、ネコさんがご飯を欲しがったりして抜けてしまっていましたので、今全部聴き終わりました。

1968年のように世界が一緒に平和の為に、そして圧政に立ち向かうために動かなければならない時がまさに今来ているように感じるのですが、今個別の国で行われているデモはその国の個別案件によるものから発展せず、「世界平和」にまではいかない状態です。

今のウクライナ戦争の為に物価高、エネルギー高で世界的にベトナム戦争以上の影響を受けているにも関わらず、「世界平和のためのデモ」に向かわないのは、この戦争がベトナム戦以上にアメリカ対ロシアの戦争ではなく、各国に広く複雑にかかわっている事を世界中の人が知っているからかも知れません。

物事が複雑に絡み合っているので、反戦で纏まることが出来ないのかも知れません。 これはネット、情報社会の弊害かも知れませんね。 ネットのお陰で、世界はよりまとまりにくく、多極化しているのでしょう。 新しい「情報社会における戦争」の形でしょうか? より複雑でとけない知恵の輪のような、開けてはいけないパンドラの箱を開けてしまったのでしょう。

1968年のいろいろな断面を見て、自分にとって一番印象的というかザワザワしたのは、日本の全共闘の部分でした。その昔、初めて本郷の東大に足を踏み入れて、誰にも教えられなくてもあれが安田講堂、と分かって、ここがあの、と出どころのよく分からない感慨を抱いたことを思い出しますが、それよりも、この時代の悪いほうの後遺症は自分が大学生だった時にまだ全然残っていて、学内の多様な組織から集まった仲間と、様々な学内問題について一緒に話し合い、考え、行動を起こしていたものでした。

全共闘の時代の人々の熱気、知恵、ノウハウが世代を超えて残っていた、最後の時代だったと思います(立て看板の独特の文字を書ける上級生とかがまだ存在した)。そんな学生時代に得たいろいろな考え方、アプローチ、そして実際に身体を動かすノウハウが、長い時間を経ていまの自分に生きていることも、改めて思い起こすことができました。

全共闘や当時の学生運動について、政党や政治組織による学生側へのアプローチは少なくなかったはずですが、実際に多くの大学で多くの学生が熱心に運動に参加していたことを考えると、Liveでお話にあった通り、日本が世界の動きとシンクロしていた、ということが事実なのだと思います。70年安保の直前でもあったし。

また、学生(または若い世代)による国家的な騒乱というのは、国の発達段階における、中間層の形成と発展というステージに至った現象であり、日本におけるそれは60年代末の学生運動である、敗戦後の混乱と貧困から脱して、いわゆる団塊の世代が高等教育を受ける時代となった、という考察も聞いたことがあります。

当時の動画を見ていると、学生達が性別を問わず、同様に生き生きと活動していたところも窺えます(安田講堂の攻防で唯一出てしまった死者も女子学生だった)。このあと日本がたどった道は、やはり正しくなかった。ガラパゴスな島国で、学生運動の挫折の結果、多数が内向きを志向し、人間社会としての定向進化に進んでしまったことで(そして現在に至る)、日本における女性(人口の半分を占める)の立場は、どんどん退行に向かって行ってしまったかも知れないと思います。

なお、佐々淳行氏が映像でおっしゃっていたことは尤もですが、あのような、警察の現場の方針以上の政治的な意図も、これは当然、働いていたものと想像します。1968年は国際勝共連合(統一協会の政治体)が結成された年でもあり、また当然冷戦下でもあり、歪んだ「右派」が、反共の名のもとに、日本の近代的進化を阻止し、古い価値観のままに押し込めておこうとする意図があった、といまになって暴かれたとしても驚きません。

だとしたら、そこを跳ね返すだけの力が結果としてなかったのはなぜだろう、という次の疑問に至りますが、そのように形式化して考えることも必要ではあるものの、多くの人々が若い時代に命を賭けて行っていたことへの敬意は、持ち続けなければならないと考えます。

今回もありがとうございました。

Vimeoの録画で視聴しました。当時11歳だった自分もよしログさんと同じようにグループサウンズの曲を聞きながら昔のことを思い出しました。個人的にはザ・タイガースの選曲が『シー・シー・シー』だったのが超うれしかったです!(笑)

フランスとアメリカでは、学生運動側の要求が通って権威主義に打撃を与え、その後社会が変わっていったということを初めて認識しました。フランスでは今でも一般民衆が権力に抗議を続けていますし、アメリカもしんどそうな面はあるものの、意見を言える国だと思います。

日本では、東大という国内の頂点の大学であれだけやられてしまったからもうダメなんだという諦めが民衆のあいだに生まれてしまい、それが昨今の状況につながっているのかなと考えました。

その他いろいろと勉強になりました!”I Have a Dream”の演説とNina Simoneの映像はしびれました。また繰り返し観たいです。

いつもYoshilogLiveでは、自分が今までもっていたバラバラの情報がつながり、大きな文脈で見ることができるようになるので勉強になります。

今後も楽しみにしています!

話のなかで1968年のできごととして紹介された内容は、ほとんどが知っているはずのことでした。しかしそれらの意味を知ったのはいずれも個々の分野(日本の社会や政治、東西冷戦、黒人解放運動、学生運動など)の変遷を別々に遡ることによってです。

今回、話を聴いて、別々に起こったと思っていたできごとが伏線を回収するようにつながり、互いに影響し合っていたことがよくわかりました。

話が進むにつれて、独立した事件たちが点と点を結ぶようにつながっていく。さらにはその点と点を結んだ線がさらに現在まで延長されている。つながっていくはずだった線の存在が浮かびあがる。

また、その線がたどりついた点としての現在が抱える問題があらためて立ち上がり、同時につながった線はさらにこの先、どのように延びていくのか、あるいはつながらなかった線は、将来へと延び、この先につながっていくことがあるのか。

これらのことを考えるきっかけとなる貴重な時間でした。

Tips

チップしてもらえたら、嬉しいです

  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

This site uses Akismet to reduce spam. Learn how your comment data is processed.