権力は腐敗する、絶対的権力は絶対に腐敗する
というのは、イギリスの歴史家、ジョン・アクトンの有名な言葉だが、アウストラロピテクスの頃から数えれば、それを400万年くらいかけて人類がやっと学んだのは今からせいぜい400年くらい前だ。(ジョン・アクトンがそれを口にしたのはたった130年くらい前)。
今、我々が「国」と呼んでいる形はようやくその頃になって形を表し始めた。それ以前にも王様や女王や君主や皇帝が支配する国と呼ばれるものがあったが、それはある一点で現在の「国」とは似ても似つかぬものだった。
その一点とは、「国」は王様や女王や君主や皇帝が作るものではなく、「国民」が作るものになったということだ。
「国民」に頼まれた人たちが、「国民」から必要な経費を預かって、司法や立法や行政やその他、国民みんなに役立つことを行う仕事をもらった。彼らは「国民の使用人(civil servant)」と呼ばれる。
パキスタンに住んでいた頃、僕の家には4人の使用人(servant)がいた。警備をする使用人(servant)が二人、料理をする使用人(servant)が一人、掃除をする使用人(servant)が一人。
そして、僕のキャリアのほとんどは、僕自身が使用人(servant)だった。International Civil Servant と呼ばれ、International Civil Service Commission (ICSC)という組織の規則が適用された。
だから、使用人(servant)業については、詳しい方だと思う。
警官が無実の人を殺したことが一つの殺人事件であることを越えて、国民の間に爆発的な怒りを引き起こしたのは、それが使用人(警官)が主人(国民)との約束を破ったということだからだ。
国民は使用人グループ(政府)を信じて(Trust)、お金を預け、国の運営をまかした。ちゃんと契約書もある。憲法や独立宣言や権利章典には、国民はみんな平等に扱われると書いているし、無実の罪の人間を使用人(servant)が殺すことなど許可していない。
彼らの契約書には400年前からの知恵が圧縮されている。使用人(servant)が権力をもって濫用したり、腐敗したりする可能性があることを知っている。それに驚くのではなく、するべきことをする。
それが抗議だ。
「国」と「国民」の間の約束を維持するために、なくてはならない最も重要な機能の一つが抗議なのだ。約束に従って秩序を維持するために働く警官と約束が破られた時抗議する者(プロテスター)は車の両輪であり、どちらか一つでは「国」は崩壊する。
警官がプロテスターにひざまずくのは、謝罪でも抗議の同調でもなく、「国」を守るという同じ目的を達成するための役割を果たしている者への敬意の表明なのだ。それを言葉にすると、
抗議してくれてありがとう!
になるだろう。
警官もプロテスターもまだまだ不完全な仕事しか出来ない。そこで暴力の無限の連鎖にからみとられて喘ぐ警官とプロテスターを非難するあなたは一度でも彼ら、警官とプロテスターに敬意を表したことがあるだろうか?
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1年くらい前、マンハッタンでばったりとワシントンDCに住む友人と出会った。久しぶりなので、アウトドアのカフェでお互いの近況を伝え合うたわいのない話をした。彼はその1年くらい前にCIAを退職して、今はシンクタンクにいた。
家族にも友人にも言えないことが積もっていく仕事の苦しさを共有している親密感というものがあった。いろんな国で仕事をした時のお互いの昔話なんかをする。そして、絶対誰も知らないだろうってことにちらっと触れたりする瞬間、クスッと笑う。それ以上お互いに話さないが。
しばらく話して、僕は「もうすぐ国連辞めるよ、もうそういう歳なんだ」と言った。
彼はしばらく何も言わなかった。僕も彼も長い間 servant として働いたのだ。その長い時間が二人の間の空間でリプレイしていた。彼はじっと僕の方を見て、何も訊かなかった。そして、
“Thank you for your service”
と一言いった。そんなことは言われたことがなかった。マンハッタンのど真ん中で思わず、泣きそうになった。
今も時々彼の名前をメディアで見る。頭脳明晰な彼は難しいことを易しく書くのがとてもうまい。アフリカ系アメリカ人として彼は今何を考えているだろうかとふと思った。
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