【日本の事】年金制度を考え直す。

65歳以上の人が誰でも、無条件で、現在の年金平均受給額(12万5千円強/月)くらい、毎月貰えて、かつ現役世代の負担を3割くらい減らす方法を考えてみた。


今年成立した年金制度の改正を厚労省のHPでざっくり見てみたが、これは改悪であるとか改善であるとか以前に、「木を見て森を見ず」どころか「枝葉末節を見て木を見ず」のようなものだった。

しかし、日本が今抱えてる問題は、既存システムのコマである官僚に期待して解決できる問題ではないだろう。それは大きな絵を描けない政治家の責任であるし、そんな政治家を選んでしまう国民の責任でもあるだろう。

我々はどういう状態を望むのかというところから、もう一度出発し直すしかない。

①年金受給額は減り続ける(これに対して改正法は対応しようとしてるが、抜本的な考え方は何も変わってない)

②若年層は自分たちが年金受給世代になった頃には受給額がもっと減るか、最悪無くなると諦めながら、増え続ける年金保険料の支払いに喘いでいる
(その結果、若年層は老年層を敵視し、政府はそれを利用して世代間の分断を煽り、問題の本質から目を逸らさせることに成功している)

つまり、①老年層の年金受給額を減らし、②若年層の負担額を増やすという両輪で政府は誰一人取り残さない不幸を実現している。

これをこのまま続けても、社会の世代間分断は進み、全世代的な貧困化は約束され、それによる不満や不公平感や不幸感の蔓延が治安の悪化を招き(外国人排斥運動はその派生の一つであり、外国人が原因ではない)、ポジティブな経済活動の動機を阻害している。「どうせ損する」なんてお気持ちで誰がいったい創造的な活動を真面目にする動機を維持できるだろうか。

日本の年金制度は積立方式ではなく賦課方式だと言って、現役時代に払った額に見合う額が戻ってこない受給世代を納得させようとし、将来受給額が少なくなる現役世代を先手を取って納得させようとするが、その一方で、実際の受給額がゼロ円から20数万円/月の大きな差があることを見れば、支払い論理には積立方式が忍び込んでいる。

要は、取り立ての論理には、賦課方式(将来支払えないことの予防線)、支払いの論理には積立方式(支払い額が少なくなることのアリバイ工作)が都合よく使われている。

これは、積立方式でも賦課方式でもなく、人生の罰ゲーム方式と呼ぶべきだろう。人生なんてうまく行く人も失敗ばかりの人もいるだろう。年金保険額をたくさん払える人も、全然払えない人もいる。たくさん貯金できる人も全然できない人もいる。日本国憲法はそんなことを見越した上で生存権(25条)を保障している。

日本国憲法25条
 1 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
 2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

ところが、成功者以外が最後にトドメを刺されるのが日本の年金制度だ。多くの失敗が一つの成功を生むことを忘れているのではないだろうか。国家は失敗者の貢献なしでは成長しない。しかし、今の日本では、人々は失敗を極度に恐れ、萎縮せざるを得ない。人生の最後に集団自決しろと言う者まで現れるかもしれないのだ。そんな社会に創造的な力が生まれるわけがない。それが結局は経済力の衰退させる。

年金制からBI制への移行:

現在の総年金支払額は、ざっくりと年に55兆円だ。国庫から15兆円、現役世代から徴収する保険金額が40兆円。他にかつての年金基金の運用益があるはずだが、そんなものは賢い役人がふっとばして微々たるものなので数のうちにならない。

受給額には大きな開きがあり、その多くが生活苦にあえぎ、現役層は支払いにあえぐ、かつ将来自分たちが年金が激減するか、もらえないだろうことに不満と不安を募らせる。年金制度改正で手が打てる範囲をもう越えている。

もう年金制をやめてベーシック・インカム(BI)制にしたらどうだろうか。雑な試算だが、例えば、現在支払ってる年金総額55兆円を「65歳以上全ての人に無条件」に支払うとどうなるだろうか。65歳以上の人口は、約3,600万人なので、一人当たり年間1,537,778円、月当たり127,385円受け取れる。

⑴人生の成功も失敗も考慮しない、ある意味でチャラになるので、成功者からは不満が出るかもしれないが、BIは成功の見返りではなく、全ての人の生存権を保障するためのものであることの理解が必要になる。しかも、現実的には成功者は十分な貯蓄がある層であり、年金/BIに頼る必要がない。

⑵現役世代の「自分の払ったお金がどうせ戻ってこない」という不公平感は払拭できる。BI制を維持することによって、自分も65歳になれば、確実に受け取れるお金があると思うことによって、もっとのびのびと自由に失敗すること(成功することも)ができる。

現役世代の負担を減らす:

上記試算では、国庫からの支出額も現役層の負担額も一定にしたが、これでは現役層の不幸感は減らないだろう。彼らの負担を減らすには、他に財源を求めるしかない。それには大きな思想的変換が必要かもしれない。

⑴日本はもう他国に援助をばらまく立場ではないという自覚するべきだろう。日本はODAという形で年間 2〜3兆円つかっている。緊急の人道支援だけ残せば、2兆円くらいは減らしてもいいのではないか。それをBI基金に入れる。(今は、パースペクティブを変えるために大雑把な試算をしてるだけなので、細かい突っ込みは実際の政策議論の時にしてほしい。)

⑵日本の法人税は年々下がってきたが(添付グラフ参照)、これは考え直す時期だろう。他国と比べてとか、OECD並みでとか議論が出てくるが、各国で経済事情はまったく違うのだから、今、そんな比較をしてもしょうがない。一部大企業が「6年連続最高益更新」をしている一方で、年金生活の老人がコンビで140円のパン1個を万引きして逮捕されるようことが起きるというのは、国として富の再配分に失敗している。

画像

法人税を1998年のレベルに戻すと税収は9.5兆円増える(一般に税率を引き上げると、企業の行動変化ー例えば、利益移転、繰越欠損の活用、投資抑制、節税策の活発化などー実際の税収増は見込みより少ないが、日本企業の場合限りなく、それがゼロに近いという研究があるので、ここでは行動変化による目減りをゼロと仮定する)。

⑶生活保護への支出もBIと重複するので、減らすことができる。但し、医療扶助と介護補助はBIとは別枠で残す必要があるだろう。65歳以上の生活保護総額は約2.0兆円だが、このうち、生活扶助+住宅扶助が、0.9兆円程度で、医療・介護扶助が約1.1兆円。試算のため今は、ざっくりと重複を避けるために生活保護総額から1兆円の削減が可能とする。この人たちはもう生活保護を申請することなく、一律でBIを受け取ることができる。

上記三つを合わせて、12.5兆円になる。これをBI基金にほりこむと、現役世代の負担を40兆円から27.5兆円に減らすことが出来る。つまり、今の年金保険料が(BI保険料になるのだが)、31.25%減少する。

つまり、まとめると、
・65歳以上は無条件で誰も(世帯ではなく個人)が月127,385円受け取れる。
・現役層の負担率は31.25%減少する

こっちの方が今の年金制度よりマシではないだろうか。世代間対立を煽っていても何も解決しない。
・外国へ援助してる余裕はないことと、
・一部大企業の過保護は富の再配分の失敗であること、
・日本政府には全ての国民の生存権を保障する義務があること
などを考慮して、大げさにいうと、日本の国家観そのものを見直すことから始めるべきではないかということを言おうとしている。

上記試算では一貫して国庫からの年金への配分を15兆円に固定したままであるし(このレベルで国民は満足なのか?)、富裕税や金融所得への課税や環境税などにもまったく言及していないが、見直せばBI基金に回せるものはもっと出てくるだろう。財源が増えれば、現役世代の負担は軽くなるし、その額しだいでBIの額も増やすことが出来る。

例えば、現役世代の負担額を一定にして国庫負担が30兆円に倍増し、他の見直しから3.9兆円をBI基金に回すことができれば、「65歳以上無条件で毎月20万円」のBI支払いが可能になる。いろんなバリエーションを検討してみるべきだろう。

どうせ人口が減っていくから、BI制は破綻すると冷笑するのは簡単だが、それは年金制でもBI制でも同じことだ。違いがあるのは、罰ゲーム制になるかどうかということだ。現役世代もいずれBIを受け取れるのなら、負担に値すると思えるのではないだろうか。

ちなみに私は自分が日本から年金をもらえないから、もらえるように企んでいるわけでも、日本下げをしたいからこういうことを言ってるのでもない。「国家百年の大計」のようなものが全く欠落しているようなのが残念でしょうがないからだ。法や制度の技術的な小細工や、政治家の虚しいスローガンだけでは、国家が生き残れないことは、古代ローマの昔から今まで何度も示されている。つまり、このままでは日本はどんどん落下していくことを恐れているのです。

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