これは、Caitlin Johnston のYou Have Already Taken A Side On Israel-Palestine (Whether You Admit It Or Not)という記事の翻訳です。いつものように、まずDeepLで下訳を作って、それのおかしなところを自由自在に直していきました。僕はCaitlin’s Newsletter を毎日見ていて、全ての記事を日本人にも読んでほしいと思うくらい良い記事が多いのですが、今回取り上げる記事は、同じような意味のことを僕は結構なんどもX上で吐き散らかして来たので、もう一度ここでトドメを刺したいと思い、選びました。
ケイトリンさんは、この記事で次のようなことを世界の人に問います。
- イスラエルに虐殺され続けている人々の味方を意識的に選んだか。
- イスラエルの味方を意識的に選んだか。
- 中立であることでイスラエルの味方をしたか。
- 無関心であることでイスラエルの味方をしたか。
日本で同じことを問うと、”中立”と”無関心”が圧倒的多数ではないかと思います。ケイトリンさんには想像もつかない、日本には日本の事情があります。
日本では、”中立”であるとか、”客観的”であるとかの意味を外形だけとらえて(かつ外形だけなので、本当のところはまったくの”無関心”で)、何一つ言質を取られない曖昧さの中に全てを蒸発させるような態度が、”社会常識をわきまえた”、”礼儀正しい”、”大人の態度”として称賛されます。これは、日本以外の国では、”未成熟な”、”バカな”、”子ども”の態度です。日本の社会には、そんなメンタリティが溢れかえってます。当然です。みんな”社会常識をわきまえた礼儀正しい大人”として扱ってもらいたいからです。
どんなメンタリティであろうと、どんな態度であろうと勝手だろう、ほっといてくれという反論は当然来るでしょう。その通りです。あなたの勝手です。あなたには自由があります。だから、中立であろうと無関心であろうと、それは誰のせいでもなく、あなたが選びとったものです。
つまり、礼儀正しく中立であることによって、虐殺の共犯者になることをあなた自身が選びました。
ケイトリンさんの記事の原題のYou Have Already Taken A Side On Israel-Palestine (Whether You Admit It Or Not)は、日本語に訳すと「あなたはすでにイスラエルとパレスチナのどちらかの側に立っている。それを知っていようと知るまいと。それを認めようと認めまいと」という長いものになってしまうので、記事の内容を解釈して、思い切って短く「中立という名の抑圧」としました。
あなたはすでにイスラエルとパレスチナのどちらかの側に立っている。それを知っていようと知るまいと。それを認めようと認めまいと。
イスラエルに虐殺され続けている人々の味方を意識的に選んだか、イスラエルの味方を意識的に選んだか、”中立 “であることでイスラエルの味方をしたか、無関心であることでイスラエルの味方をしたか。
デズモンド・ツツ大司教曰く、「不公正な状況において中立であるならば、あなたは抑圧者の側を選んだことになる。もし象がネズミの尻尾に足をかけていて、あなたが中立だと言えば、ネズミはあなたの中立性を感謝しないでしょう」。
すべてのことに意見を持たなくてもまったく問題ない。画面に出てくる政治的な問題すべてに、自分の立場を取らなくてもいいのだ。ほとんどの人は、あまりにも多くの意見を持っているし、そのほとんどはくだらないことや価値のないことについてだ。
でも、ガザで起きている猛攻撃は、ちがう。大量虐殺に反対する(against)立場を取ることこそ、物事に対して(for)意見を持つ ことだ。大規模な虐殺や民族浄化に反対することは、他のすべての政治的立場が従うべき、基本的で最低限の立場だ。それに反対する立場をとれないなら、ここで何をしているんだ?この惑星での短い時間をどのように過ごしてきたのか?可能な限り最低限の基準まで成熟することさえなく、よくここまで生きてこれたものだ。
イスラエルとパレスチナは複雑すぎて、自分には関係ないと思っているかもしれない。そんなことはない。とてもシンプルだ。アパルトヘイト国家が、その土地からそこの住民を民族浄化するという国家の長年の政治的意図を推進する方法で、彼らが疎外した住民を虐殺し飢餓に陥れることに5カ月を費やしたのだ。
あなたは、イスラエルとパレスチナのどちらかの味方をするには、自分はクールすぎる、あるいは進みすぎている、あるいは賢すぎると思っているかもしれない。そうではない。あなたが認めようと認めまいと、あなたはすでにどちらかの味方をしているのだ。
イスラエル・パレスチナはグレーゾーンや不確定要素が多すぎて、正当にどちらかの味方をすることはできないと思うかもしれない。そうではない。この5カ月間、軍の爆弾によって引き裂かれたガリガリの人体や子どもたちの映像が延々と流れたことで、この問題には正しい側と間違った側があることがはっきりした。
他の問題については、ぜひともどちらの側にもつかないでほしい。人々が無駄口を叩いているほとんどの問題については、どちらの側にもつかないことはまったく正当なことだ。しかし、この問題だけは違う。ガザに関しては、現実があなたに立場を要求しているのだ。
ケイトリン・ジョンストン
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