Yoshilog Live 25 『戦争と人道』のお知らせです。アフガン情勢を巡って騒がしいですが、朝から晩までこれがまさに自分の職場であったので、今回はこういうトピックを取り上げることにしました。但し、単なる言葉の解説ではなく、実際にはこういう現場がどう動いているのかということに焦点を置いて話そうと思います。トピックが多いので、2回に分けます。
目次
- 国際法における戦争
- 開戦法規 (jus ad bellum)ー国連憲章
- 交戦法規 (jus ad bello)ージュネーブ条約(「戦時国際法」「武力紛争法」「国際人道法」)
- 人道(Humanitarianism)
- 原則
- 歴史
- ジュネーブ条約
- 人道的介入
- 歴史
- 思想的背景
- 法的根拠
- 人道的ディレンマ
7月31日まで全録画半額セール中。クーポンコード:GJU8HNTS
後記
予想をはるかに上回る数の人が、このライブイベントに興味を示されたことにちょっと驚いた。タイトルはなんの工夫もなく堅苦しいし、そもそもこんな内容に興味のある人がそれほどいるとは思っていなかった。
このライブでは、学校の授業科目のように分けていけば、考古学や、文化人類学や、社会学や、政治学や、哲学や、欧州近代史や、国際法や、近代文学史や、国際関係論や、国際組織論や、いろんな”科目” / discipline に分断されるような話をあえて一つの大きなストーリーとして提示しようとした。それは、我々が生きている現実というのは、それほど都合よく分類され整理されているものではなく、その総体としての人類のストーリーを掴み損ねることの損失の方が衒学的な厳密さによって得られるものよりはるかに大きいと思っているからだ。
それが本当に有効なアプローチかどうかは、参加者による判定を待つしかない。
音楽について
このライブイベント中に使った音楽は以下の通りです。
Opening: What A Time – Julia Michaels Feat. Niall Horan
Intermission: Have You Ever Seen the Rain? – Karen Souza
Ending: Don’t Let The Sun Go Down On Me – Karen Souza
出席者の感想など
戦争法や人道主義に関する、国際法の発展や現状について、とても分かりやすく理解できました。ありがとうございました。
戦争は違法である事が前提、この考え方が、すごく重要だと思います。イラクやアフガニスタンでの戦争について考える際にも、国連憲章で正当化されるものかどうか様々な議論があり、今日学んだ基礎知識が役に立つと思います。
言い換えれば、世界を見るための視座を持つことができるライブでした。
また、最後におっしゃっていた、プロフェッショナルが必要だという緒方貞子さんの言葉が印象に残りました。
やはり国際社会のあれこれに関心を持ち言葉を使って誰かと意見をやり取りしたり発信したいのなら、基本的な定義や原則を知る必要がある。それをやらずして、ああだのこうだのとわめき散らす人たちのなんと多いことか。
そうならないためにも、これらを頭に入れておくのは実に大事なことだ。知らない人はもちろんのこと、知っている人も再確認のためにここで学ぶのはとても有意義だと思います。
ありがとうございました。
ぼんやりと理解していた部分がかなりはっきりと輪郭をもちました。
違法だが正当、という考え方を国が採用して実行に移せるかどうかは非常に重大な点だと思いました。日本が前半部分で思考停止して何もできない国である事はコロナ対応でも証明されました。
1945年時点で国連の人道介入条項があれば中国残留孤児の大半は帰国できたかもしれません。そもそも日本がまともな国であればあそこまで悲惨な事にはならなかったのですが。自国民にすら冷たい国ですから、日本に人道介入が必要になる未来はあながち荒唐無稽ではないと思いました。
来週も楽しみにしています。
今日はありがとうございました。
R2Pのお話の時に、
今の日本は該当するのでは… と頭によぎった矢先にYoshiさんもおっしゃっていたのでこの先コロナ禍から収束しても厳しいことだらけだと再認識しました。
ニュースや新聞だけでは都合の良い耳障りなことか多いので、戦争と人道というテーマからお話をお聞きして見方や考え方のツールが増えました。
40過ぎまでのほほんと過ごしてきたので、知る、学ぶ、考える、(行動する…)少しでも多く時間を割いて行きたいです。
お住まいのNYは活気が戻ってきていますね。来年は行きたいと願っていますがますます眩しい遠い場所になっています。ノーマスクの方も多くお見受けするので再拡大しないよう願っています。(まぁ日本の方が色んな意味で心配です)
どうか引き続きお身体に気をつけてお過ごしください。
ありがとうございました。
戦争がない平和な状態を維持することは、とても大変だと感じた。
僕は、今の日本では、選挙の投票率が著しく低かったり、政治に関する知識を持っていないなど、又それに対して何の危機感も抱かない人達が大勢いるように思っている。ただそれは、自分たちは平和に暮らすことが当たり前であるように思い込んでいるからではないかと思った。
コロナで、国民の今までの政治への無関心さや無知識から、今の日本の、政府や悲惨な状況が生まれたことが明らかになったと思う。このコロナをきっかけに国民は政治に興味を持ち、戦争のない平和の維持に貢献すべきだと思った。
殆ど何も知らない状態で参加致しました。
今まで、知りたいと思っても何から手を付けて良いかわかりませんでした。
しかし、今日のお話を聞いて知りたい事への取っ掛かりを得られたと感じることができたので、少しずつ知っていきたいと思いました。
ありがとうございました。
正直、国際法そんなのあったなくらいの認識しかないまま本日参加しました。
嚙み砕いて説明をしてくださったお陰で基本を知ることができました。まだ分からない事とかはこれから自分なりにですが勉強していきたいと思います。
それにしても、知れば知るほど矛盾が生じる戦争と人道。現場でのジレンマなど日本にいれば考えが及ばない事だらけでした。
他にも争いが起こると新たに出てくる概念の話なども興味深かったです。
次回も参加希望します。 今日はありがとうございました。
「戦争」をめぐる国際的約束事の歴史を学べてよかったです。国として認められることが、国際社会の中で責任を果たすモチベーション(例:タリバン)や、中立を保つために領空の戦闘機を打ち落とすスイス、人道支援・介入のジレンマ、内政不干渉の原則の中で保護する責任を果たそうとする姿勢、たくさん興味深いお話をありがとうございました。
国際社会は発展途上で、完成されてないというのも、大前提として理解しておく必要があると感じました。 それら大きな問題に対して自分に何ができるのか、高校時代にユーゴ問題を教科書で見て同じようなことを感じた自分を思い出しつつも、その後すっかり忘れてクロアチアに旅行に行きたいなとガイドブックを手にする自分が同じ人間であることに我ながらショックを受けたり。コロナがなかったらそこが結びつかないまま出かけていたかもしれません。
一方ポジティブな見方をすれば、Yoshilog Liveを通じて、自分の中でバラバラだった情報が繋がるのは良いことかもしれません。
次回も楽しみにしています。ありがとうございました。
知らないことだらけでした!あまりにも自分が知らないことにもびっくりしました。
説明がとても分かりやすかったので、私でもついていくことができました。
R2Pの説明で「自国民の保護という国家の基本的な義務を果たす能力のない、あるいは果たす意志のない国家」が出てきたときに私も思わず「今の日本のことじゃん!」と叫んでしまいました…。
来週も参加させていただきたいです。
戦争と人道。
陣取り合戦みたいな戦争や、昔からの隣国同士の争いの延長というのならまだなんとなく分かるような気がしますが、そういった争いをおさめるため?その国の人達を守るため?に介入する人道とつながる戦争?というのはどうにも難しいです。
小さく考えてみると、いじめをするのはもちろんいけないけれど、実際に起きてしまっているいじめを放っておいていいのか、みたいなことが理由なら何がどこまでなら許されるんだろう。
武器がどんどん進化しているからひどくなるのか、それって本当に助けになってるんだろうか、と思うようなニュース映像を見ているとその戦争に「人道」なんてあるのかと思います。背景も知らずにいるからかもしれませんが。
今日は、「国際社会はつくりかけ」という言葉が、いちばん納得できた感じです。
戦争は怖い怖いと思っているだけではなく世界で起きていることをもっと知らないといけないと思いながら、結局はどこか遠い国のことと思っている自分もいるので反省。勉強するにもどこから手を付けたらいいのか難しいと思っていましたが、ここで知ることができる言葉が手がかりになりそうです。
次回もよろしくお願いします。
大学の授業で国際法を取ろうとしたら今年の単位を超えてしまうため来年取ろうと思ってます。
来年に備えて早めに勉強できてよかったです。
現行の国際法は歴史的にはヨーロッパの地域から出たものですが日本も近代化の前に中国朝鮮沖縄オランダの経済圏を形成しており、そのルールも国際法と位置付けることができるものであったのに、近代化の帝国主義の強化あとに国際法という感覚を失ってしまったのに理由があると思っています。これは私の今後のテーマになると考えており次回考える手がかりをつかみたく楽しみにしております。
余談ですが不介入の原則は自分が物を考える時に金田一を特に犬神家の時の彼をイメージするようにしています。
「国際社会はまだまだ未熟でこれから」という言葉に衝撃をうけ、さらに幼稚な国の上に努力もしない日本はどうなってしまってしまうのかと思いました。
さらにジャッジする側で変化する構造や法律、是非ジェンダーについてのお話も聞きたいです。仕事をしていて女性は常に話し合いのテーブルにすら行けてないと常々感じています。
次も楽しみにしています。長いお時間ありがとうございました。
プロの人が一般的にわかりやすく落とし込むのは大変だと思います。とてもわかりやすかったです。
国際法の成り立ちについて歴史的背景、どのように変化していったのかを分かりやすく解説していました。現在の混沌とした世界情勢で、国際法というものが本当に役に立つのか?という疑問も覚えてしまいましたが、希望を捨てず、何ができるかを考えなくてはと改めて思いました。
それにしても、本当に今の日本はR2Pが行われていないようで心配です(外国にいるので実際のところは分からないですが)。
有意義なセッションでした。
戦争や避難や武器がどうのと考える前に、自分は「戦争は違法」という大前提がわかっていなかったことが判明したのが一番の収穫でした。開催して下さって本当にありがとうございます。
イラク開戦時にアメリカが必死で正当性を主張していたのは知っていたのですが、少しでも自分らの印象を良くするためのいわば戦争プロパガンダの一種かと思っていました。国というものは無制限に交戦権を持っていると勘違いしていたのです。私の頭の中は何世紀分か後ろをいっていた様子です。
また、カナダ発起の「自国民を保護する意思も能力もない国に対しては国外から介入する」概念も初耳でした。
よし様も「日本は大丈夫かな?」と懸念なさってましたが、私もはあと少しで当てはまりそうだと思います。イラクの人質の時にパウエル氏が日本に対して「貴方がたはもう少し同胞を誇っても良いと思う」的な発言をする程度は、日本は同胞に冷たい国と既にばれている気がします。現在はかろうじて保護を(ものすごく嫌々しているようにも見えるとはいえ)していますが、これで国力が落ちたら「意思が(あまり)ない」に加えて「能力もない」で要件が完成してしまいそうです。
その他のお話も含蓄に富んでいて、本日お聞きして本当に良かったです。
第二回目も是非参加したいと思います。
ありがとうございました!!
開催ありがとうございました。
全く知識のない私にとっては取っ掛かりとして十分すぎるほどの濃い内容でした。
さらに理解を深めるための本や映像の紹介があると嬉しいです。
チャットにて「ターニング・ポイント」を紹介されていましたので、まずはこれを見ます。 紹介してくださった方、ありがとうございます。
人が人を殺した最古の証拠が5万年前だと知り、そんなに前から人の殺し合いがあったのかと悲しくなりました。人間は愚かだなと。
『孫氏』の「兵は国の大事にして、死生の地、亡命の地なり。察せざるべからず」
クラウゼウ“イッツ 『戦争論』「戦争は他の手段を以ってする政治の延長」
教えていただきましたこの言葉は、最近特に私が考えている事で戦争は政治に利用される 愚かな事だとあらためて思いました。
現在の日本はかなり危ない所まで来ていて、秋の選挙次第では愚かな戦争に🪖巻き込まれるのではなく、自ら突入しかねないと危機感でいっぱいです。コロナ対策を始め後手後手の政府。失敗を反省し、対策を考え、実行し、反省するという基本もできていない。しようともしない。子供達の未来を危惧しています。
正戦論や、無差別戦争観、戦時国際法、などが有ることも知らずに自分が恥ずかしくなりました。法を作るという事は、戦争を肯定しているようで物凄く気持ち悪く感じました。
この戦争の法がある事、戦争を肯定しているという事を子供と話しました。 愚かだなと。子供に考えさせる事が出来る機会をありがとうございます 。
戦争を始める国はあるのだから法ができたのですね。人間は愚かです。
申し込みアンケートで、若い方の参加のがある事を知りました。よし先生の講義を聞ける事は若い子達の身となり知となるでしょう。その子達からよし先生のような英智溢れる人が登場して欲しいですね。☺️
私自身もこれから学びます。本日もありがとうございました🙇♀️
戦争と人道という定義が広く相反するテーマであったが、国際法に基づく考え方とその変遷を、俯瞰的に解説いただけたことで門外漢の私にもわかりやすく期待通りの内容でした。
受講のきっかけは、現在のアフガン情勢を前に、日本がどのような立場で関与していくのかに強い関心があったからだが、この2時間ばかりの講義でアフガンのみならず対ミャンマーでも日本がどういう位置づけにあるのかが随分と明らかになったように思う。
次回は国際法に於ける国家の承認と独立がテーマ。次回の講義も大いに期待しています。
今日もありがとうございます。
普段耳にするものの、定義や意味がわからなかった言葉が一つ一つ丁寧に説明され、非常に有意義で勉強になった2時間でした。いつもながら例や比喩がわかりやすく、これまで不勉強で全く知らなかった国際法や戦争について、良質な脳内インデックスを作る手がかりとなりました。国際法って、誰が作っているの?という漠然とした疑問があったのが、現在のあり様を理解できてすっとしました。
いつもヨシさんのライブでは、参加者が自主的に勉強を続けられるようなヒントや取っ掛かりを紹介してもらえ、嬉しいです&感謝しています。今回の個人的アクションとしては、ディケンズをいくつか、精読してみようと思いました。
次もとても楽しみにしています!
「人道」という言葉を知っていても実は私自身でよく分かっていないところがありましたが、お話を聞いて分かったような気がしました。ありがとうございました。
「国家」とは出来上がったものではなく、現在進行形の不安定なものであり、その中で仕事をすることが難しい。という言葉にカブールで仕事をしてきた経験者の重みを感じました。さらっと言っていましたが(カブール・ノートも読みましたが)如何程の困難だったのだろうか。
世界のどこかで紛争が起こる度に国連は何故介入しないのか?と思っていましたが、国際法の歴史を知り、ルールでがんじがらめで動くに動けないことが見えてきました。
まだ前半もしくは全体の1/3でしょうか、来週が楽しみです。ただし、答えはない、解決もしないことはわかっています。真剣に考えれば考えるほど重いです。
スイスが選んだ道もまたスゲーな。
難しいというよりややこしい問題を整理して非常に分かりやすく解説していただいて感謝です。
個人的には、2003年の名古屋大学での講義が蘇った感じがして嬉しかったです。当時よりはこちらの知識も経験も増えているので、より深く理解できたかなと思います。
歴史とともに制度が進化してきたことがよくわかりました。同時に人類はそんなにたいした生き物ではないなということや、もしかしたらやっぱりこの世から戦争は無くならない前提で仕組みを考えなければならないのではないかとか考えさせられました。
あと、できれば具体的に体験なさった事例がもっと聞ければいいなと思いました。個人的には時々出る大阪弁も親近感沸きました。今後も楽しみにしてます!
資料に出てくる単語と説明文が直感的に難しくひるんだのですが、誰にもわかる言葉でよしろぐさんが説明してくださるので、すごくわかりやすかったです。
今日もありがとうございました!
戦争の裏に人道という相反するものがあり、歴史の積み重ねで取り決めがなされていった。
そんな見方をした事がなく、知った条例名が出てきても、どうして定められたのか、理由を全く覚えていなくて。
学校で習った勉強は、年号や条約名を覚えなきゃいけないだけの勉強で、受験という目的だけ考えていたので、世界史も日本史も無意味で嫌いだったんです。
無意味どころか、人間の生きた軌跡なので、数学より重要であることにやっと気づいてびっくりしている所です。
人間1年生です。
当然ながらコロナ禍や、アフガニスタンの現状、今に通じていて興味深く聞いていました。
自分で言うのも何ですが、日本の幼稚化は、私のような人が沢山いるせいじゃないでしょうか?
よしろぐLIVEに参加してる人って、知識がある人が多くてみんな頭いいな〜って思いますし、周りにいないです。
「ヒューマニズム」に相当する言葉が日本語で存在しないことに驚きました。
本当にないのかな?とGoogleに聞いてみましたが… 博愛主義…人情…など出て、やはり少し違う気がしました。
人道的介入のところでは、ご自身の体験もふまえたお話で、改めて、ぜいたくな講義だなあ〜と。
いや〜、聞けて嬉しいです。
若い子達に聞いて欲しいです。
2も楽しみです。
構造的な理解が進みました。ありがとうございます
山本さんが名古屋大学で講義をされていた頃、大阪大学で大学院生でした。
当時山本さんが大阪から講義にでかけていたのをブログで読んでいて、講義に潜り込みに行こうか迷っていました。シラバスからはかなり制度的な部分についての講義が多い印象で、私の専門は物理と全くかけ離れていたので、時間と費用を考えて断念した覚えがあります。
素人目には一見して原理が見えない国際協調ですが、歴史的、制度的背景があることだとはっきりと知ることが出来たことはとても新鮮でした。
一方で今日習ったようなルールが、守らせるための外的な強い力無しでどのように運用できるか、されていくのかにも興味を持ちました。
また、人道介入、支援を裏付ける制度、思想にも興味を持っています。人道の名の元にどのようなことも正当化されてしまう危惧を感じるからです。またジレンマで話されていたように、実効性と正当化の関連にも興味があります。人道介入の実効性はどのように評価できるのでしょうか。人道介入そのものの正当性、そして実効性のない人道介入による不正義についてなどが頭を回っています。
人道支援については現場の視点として、山本さんの考えは2000年代当時に書かれたものにまとまっていたと思いますので、それらを読んで思い出したいと思っています。
第2回も期待しています。
前文:われら一生のうちに二度までも言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争。戦争とは何か?
圧倒的、異常.自らは卑怯であるから国際事情に対する理解は乏しいものである。戦闘員の彼等が怪我が癒、片腕無くても戦場に帰る現実は言語に絶する。人間的な領域にあるからTalibanに独立を願う。旧い倫理の人々と共にあるのでは無い、若い人と共に新しく生きてゆく方向を決定してきた。自由の空気、正しい意味での人間の本質、do no good.
コロナ禍の政治決断は国民を破壊する。国民に有効な集団的措置はステイホーム、安全、安心と言う。国際協力を達成することは放置している。よいのだろうか。
大人も子どもも知っていた方がいい基礎教養でした。判り易く説明していただき、知人友人にも聞いて欲しい内容でした。正直、戦時国際法=武力紛争法=国際人道法という基本的な知識が欠けていたので、ハッとさせられました。また、ジュネーブ条約などの理解もあやふやだったことに気づき、もう少しきちんと整理して理解して語らねばと、襟を正させられました。
次回への質問として、日本政府がタリバンを政府として承認することの国際法上の(外交上ではなく)意味を教えていただきたいです。
ロジの質問で、見返す用に、今日の資料をいただけるのでしょうか?
途中かけてくれた曲の歌手と曲名も何らかの形で教えてもらえたら嬉しいです。特に、最初の歌手の切ない声が、かっこよかったです。
いつも学びの機会をありがとうございます。
実は戦争を法を持って考えた事がなかったです。多分聞いているはずだし見ているはずですが。認識していなかったです。戦争が多いからその基準を決め判断する。捕虜などの扱いを決める。実際どっちにしても殺し合いを認めた上での法ですよね。違和感がありますよね。国家がある限り仕方ないのか。いつかそんな法が破棄される日が来るのか。
すみません、予定を把握してなくて途中抜けてしまい完璧ではないです。録画を拝見したいです。よろしくお願いします。鯨漁で暮らすインドネシアの村のドキュメンタリー(くじらびと)を見たのですが、賢明に生きる人々の姿に戦争を正当化する意味ってなんなのかなと。ごめんなさい、関係ない事なんですが。
おもしろいお話をありがとうございました。
少し触れられていた、タリバンの政権を国際的に認知することで、逆にタリバンによる人権に反した行為がある際には国際法、国際社会の枠組みの中でプレッシャーを与えることが一つの方法として考え得る、といった趣旨のことをおっしゃっていたかと思います。国際法等の本をちょうど最近読んでいたので大変面白いなと思いました。
気候変動や環境では枠組み条約といったような条約の中で、何かしらの目標達成の義務化はさせていないものの、規範を浸透させていわゆるnaming and shamingの形でプレッシャーを与えて加盟国やその中の企業とかの行動変容を促すみたいなことが主流化されているので、少し似たものを感じました。
yoshiさん、今日もありがとうございました。
yoshiさんの商売道具っておっしゃって、まさに大学の国際法の講義でした。1年Liveに参加して、初めてメモをとりながら聴きました。思った事を2点書きます。
国際法は未熟、原始的で条約、国際慣習、一般原則から成っている、戦争は違法、というところから、国際法についてなんの基礎知識もありませんでしたが、「戦争と人道」についてお話いただき、よく理解できました。
日頃よく考えるのですが、物事の知識を得る時、その順番というものがとても重要ではないかと思うのです。何かの事柄について学ぼうとする時、たくさんの情報があふれていて、正しく理解するには、そこから適切に選ぶというだけじゃなくて、どの順番で自分の中の知識と融合させながら新しい知識を再構築していくか、ということがとても重要で、それを間違うと物事の根幹が見えてこなかったり、言葉として理解しているようで考え方の概念が違うものになってしまう恐れがあると思います。
その点から、今日のよしさんの講義は、その事が考え尽くされていたのではないかと思いました。言葉だけで戦争とか人道とか述べる事なく、その前の把握しておくべき基本的な根幹的な知識を先にとらえた上で、自分の考えを組み立てる事ができました。
もう1つは、法というものの作られ方についてです。人道支援のディレンマの中で保護する責任という概念が2000年からできて、違法であるが正当ということを後押しする考え方ができたと知りました。
このような世界の人々全てに適用されるべき人権を守るという動きは、国という枠組みを超えていて、国際法が国と国との間の法であること、それが適応されれば、国を超えた一般原則が増えてどの国に住んでいるかを問わず適用され、誰もが一定の権利を持って生きていけるようになるのではないか、と思いました。
一方で、日本の中の地方自治についても、現在どの自治体に住むかで、得られる教育や福祉、生活に差がでています。具体的に言えば、子供の医療費の無償化はその自治体によってかなり違いがあり、高校生まで全額無料というところから、小学生までで初回診療は500円とか完全無償でないところもろあります。学校給食についてもかなりバラつきがあります。
これらの差は、誰もが一定の権利を持って生きていける、という視点からするとなしえていないと思います。地方自治という小さい単位でも、国を超えた単位でも、人々がどこにいても、人権が大事にされ一定の生活をおくる権利が認められる世界に進んでいく、その方向で法が作られていっているのではないかと、今日の講義を聴いて思いました。
来週も楽しみにしています。よしさん、いつもありがとうございます。お疲れ様でした。
戦争にルールを設けて使用可能な武器を決めたり、フェアだのアンフェアだのと言うのはナンセンスだと思っていました。基準も国力のある国々の理屈優先。そもそも戦争そのものが違法で残酷です。核兵器の所有についてもそう。結局、喧嘩や陣地取り、必殺道具の所持も結局はやった者勝ち、持ったもの勝ちじゃないのか。そう考えるとモヤモヤしてその後思考停止になるのが私のいつものパターンでした。
講義を聞いて感じたのは、「人間はアホだが、少しは頑張ってきたのかもしれない」という事。17世紀から世界が試みてきた事は大して実を結んでいるとは言えませんが、yoshiさんが仰った「私達が生きているこの世界、国際社会は完璧では無い。創りかけである。」という言葉が全てを表している気がします。
またポジティブなエピソードどとして、タリバンが英語や国際法を一生懸命勉強していたという話が面白かったです。
モヤモヤを晴らすためのとっかかりになりそうです。来週もよろしくお願いします。
初めてLiveを聞かせていただきました。
アフガニスタン情勢を学ぶためにカブール・ノートを読ませていただき、「なんだこのすごい本は」と検索してから今回のLiveが開催されることを知り、視聴を希望いたしました。
内容はとても素晴らしく、もっと前から知っていれば!とくやしい思いでいっぱいです。
「戦争は違法である」というシンプルな事実に対し、例外事項をこねくりまわして攻撃を正当化したがる施政者たち。それに対して何ができるのか、というのもまだ模索中であり、数百年かかって失敗に失敗を重ねながら少しづづ前に進んでいることがわかりました。
しかし犠牲になるのはいつも女子供であり弱い立場のものであり、といった部分においてやはり心穏やかでいることはできません。大人が勉強して子に伝える営みが必要不可欠であることを思い知りました。
2回目も視聴させていただきます。よろしくお願いいたします。
今回はYoshiさんの(元)本業に関わるお話を軸に講義していただく感じに違いない、と普段とは少し別格に楽しみにしていましたが、フィールドの仕事としても学究的な意味でも、やはりとても興味深いところだと思いました。
かつて学生時代に教わったことのあるところを版画の色刷りを重ねるように教えていただき、戦争と人道について自分なりに新たな視座を得ることができたように思います。
例えば、湾岸戦争やイラク戦争に際して日本がどのように「国際貢献」していくかという議論においては憲法論議が中心で、それはそれで必要で重要な議論ではあるものの、「そもそも戦争は違法である」という基礎を踏まえて議論を展開していった政治家や論客がどれだけいただろうかと(当時の「朝まで生テレビ」などを思い出します)。
また、国際法と国内法である憲法との関係とは、という古くからの論点も、当時のアカデミアでは論じられたことかも知れないけど、有権者として政治に参画していく上で、この点に絡んで何らかの選択の材料となり得るような政党の方針ないし何らかの議論として提示されたものはなかったという記憶があります。
歴史が動いていく中で、これまでの人類の歩みの上に立って自国はどうしていくのがいいのか、また、あやふやなところをどう固めていくのか、という真っ当な課題が、自衛隊を出すのか出さないのか、という点(線や面でない)に収斂してしまった観があったのも残念です。当時は選挙権がまだなかったのも残念ですが。
「自国民の保護という国家の基本的な義務を果たす能力のない、あるいは果たす意志のない国家」というお話の時は「日本はこれに当てはまるのではないか」とやはり思いました。しかし、日本では一応民主的な選挙が行われていることになっていて、国民がその権利を奪われているわけではなく、有権者がその権利を行使しない結果こうなっているだけである、と言ってしまうことができるのも現状だと思います。
在外ですが手間暇かけて国政選挙には投票します。人道的でない政府には退場してもらわなければなりません。と、日本の現状についても認識を深める機会となりました。
次回も楽しみにしております。いつもありがとうございます。
いつも残念に思いながらも 最後まで参加出来ずに申し訳ございません。
「人道支援」という言葉は知っていても、実際どこまで行う事が許されるのか、出来るのか、そう言った事を全く知らなかったので、基礎となる条約から知る事が出来、非常に勉強になりました。
また、完成されたものではなく、「保護する責任」という新しい概念が2000年ごろにカナダの報告書に基づいて定義された事が、映画のホテルルワンダを観ていたので非常に印象に残り、今回のアフガニスタンの難民受け入れを即座に決めた事に繋がるのかと感慨深く感じました。
学ぶ機会を頂き、ありがとうございました。
絶望しそうなことも多い日々。ヒューマニズムとは?正義とは?愛とは?人々の営みで何が大切なのか?希望はどこに?など壮大な問いで頭をぐるぐるさせている私にとって、感性に染み入るように英知を得ることができるよしログさんのLiveは大変貴重です。そして老若男女すべての人が歴史に向き合い、学ぶことが本当に必要だと痛感する今、今回のテーマは、待ってました!という感じで、周りや若者たちにも勧めてみました。
17世紀以降、人類の大きな意志が、国家を枠に戦争と人道に試行錯誤していく様子、とても興味深く勉強になりました。チャールズ・ディケンズなど文学からも深めていけるというのが何より嬉しかったです。大国の非人権的な正義が許容されていく詳細なども調べてみたいなど更なる学習、研究欲を刺激されました。
よしログさんから語られる言葉や、画面に提示される文字ひとつひとつから、さまざまな事象が頭を巡り、思いが喚起された大変有意義な2時間でした。
次回も楽しみにしています!
国際法や人道支援の基本を丁寧にお話しいただき、骨格がつかめたと思います。
国際法はとても曖昧なもので、まだまだ育成過程なのですね。支援の手を差し伸べるのも、考慮しなければならないことがあって、簡単なことではないのですね。
戦争はそもそも違法である、ダメなんだ、という大原則をぶっ飛ばして、次の議論をしている、というお話になるほど、と思いました。自国の都合のいい理由づけで戦争をし、文民、子供達が犠牲になる世界。残酷じゃない戦い方を決めたものが戦争法規というのは笑えないコントですね。
人間は残酷なところがあるもので、戦争をなくすなんてことは無理なのかもしれないですが、考えることをやめないため、これからも勉強していきたいと思います。
このような機会を設けてくださり、感謝しています。
次回も参加させていただくつもりです。ありがとうございました。
戦争はだめって言ってても埒があかないからじゃあせめて戦争のルール決めようとなった。
がとてつもなく印象に残りました。
戦争はだめ
この意見が存在しなければ、戦争にルールは出来なかったと思います。
コロナをゼロにしたい
亡くなる方をゼロにしたい
感染者をゼロにしたい
はっきりとしたビジョンが必要と感じた
そうじゃないと苦肉の策で色々案出てくるなんてことが起こり得ない。
何人のどんな人が戦争は絶対だめ!と叫んだんだろう
どれだけ時間をかけて議論し、どんな意見が交わされ、戦争絶対だめ!と言ってた人はどう納得したんだろう
具体的な議論の様子が知れる書物があれば読んでみたいです。
小さい頃は、街で突然喧嘩が始まるように、戦争も世界のどこかで突然勝手に始まるものだろうと私はずっと思っていました。
戦争にも始まり方がある、というのを、教科書で習ったのかどうかの記憶が抜け落ちています。
平時と戦時、開戦前と終戦の後、それぞれの段階で監督する法律が違っていることも驚きでしたし、とにかくこんなにもさまざまな取り決めが行われていることを知らない自分に一番びっくりしました。
なくならない紛争ならばせめてどうにかよりよくなるようにと取り決めや改善が繰り返されてきていることも、世界のどこかで誰かがやってくれていること、という自分の認識の低さが恥ずかしかったです。
人道支援は熱意だけでは難しく、法を知り経験と知識ある人の監督の下で行われなければただの危ういものにしかなり得ないということも、現場にいた方から聞くととても納得できました。
ふわっと生きているだけでは世界は大混乱なだけで、決まり事や監督する目、建設的な議論が行われること、そういうことができる人間が育っていく国や教育…
Liveのあともずっと、自分のことを顧みながらいろいろなことを考えさせられています。
例えば人道支援への熱意ある若者がいたとしたら、 それに必要なことは何なのかをまず調べて、その勉強もしっかりしないといけないらしいよ、気持ちや行動力だけでは、本当の支援にはならないかもしれんらしいから。
せめて、そのくらいのアドバイスをしてあげられる大人になりたいと思いました。
こんなに便利な世の中なのに、常に意識を高くもって、そのために必要な調べ物や学問ができて、良識のある大人たちにアドバイスをもらえる子供達ばかりではありません。
大人が良質の知識を得て、身近な子供たちに伝えることはとても大事だと思います。
紛争のない未来は想像しにくいけれど、そこに生きていかねばならない子供たちのためにいろいろなことが行われてほしいです。
いつも良質の大人の勉強の時間をありがとうございます。
一言で言えば、内容が濃かったということ。
国際関係は未だに人類が模索の途中であり、国際法も進化の過程であることが良く解りました。
必然的に、国際裁判所に訴える事案が生じても、条約がコアになっていて後は国際慣習と法の一般原則が適用されるので、今の時点での国際関係に基づく判決にしかならず、それは必ずしも正しいものであるかは疑問です。しかしそれも進化の過程としては致し方ないと言えます。
差別の問題にしても、戦争の問題にしても、今の世界の現状が人類がようやく到達している最高の過程であることを思えば、歯がゆくもあり、情けなくもあります。
人間は愚かなものなんでしょう。こんなに長くかけてこの時点なのですから。
それでももがき続けて何とか前に進んできた世界の歴史の結果が現在です。
日本人ももがき続けてきましたが、ここ30年ほどの世界の歩みには取り残されています。この日本の30年は経済的なものだけでなく思考的にも精神的にも世界から取り残された30年だったと思い知らされました。 これからどうなるかは私たちにかかっていますね。
次回のLiveも期待しています。 色々考えさせていただけるYoshilog Liveに感謝です。
戦争が起こった際に適応される法律の、全体的な仕組み構造を理解することができました。人道支援もただ人を救えばいいというような簡単なものではなく、守らないといけない原則があるとわかりました。今回の講義を踏まえて、世の中の秩序を守るのは人類にとって、いかに困難な道で膨大な時間が必要なのかを思い知らされました。まだ国際法が未熟であることも頷けました。
また個人的に、中立国のスイスのお話が印象的です。中立国としてスイスの領空?を飛ぶ戦闘機を全て打ち落としたというのが衝撃的でした。それほど徹底していたということですが、撃ち落とす側の人もそれなりに亡くなっていたことを考えると、単純に気の毒という言葉だけでは表せない気分になりました。それが人類社会の成長のために犠牲にならなければいけなかった命なのか、と思うと頭が痛くなってきます。そういうところで犠牲になった人が歴史の中にどれだけいるのかを考えてしまいました。一人一人の人生を想像してしまいます。
今回の講義で、人として生きていくことは本当に大変なことだと感じました。日本で何となく生まれて不自由なく生活をして、知らぬが仏でいることは罪深いことと思います。
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