Live 23「1960年代」レビュー

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「日本の近現代史」シリーズの4回目です。

同時代を、つまり自分の生きている現在を「戦後」と呼んでいる時代があった。その「戦後」の「戦」とは、日中戦争であり、太平洋戦争であり、第二次世界大戦であった。日本の「戦後」は、1945年(昭和20年)8月15日に始まった。日本の敗戦が世界史に確定された日だ。

76年後の今も「戦後」は、辞書的な意味では続いているはずだ。しかし、今、自分の生きている時代を「戦後」と呼ぶ人はいない。いつ我々は「戦後」を生きることをやめたのだろう?

今回の「日本の近現代史」シリーズの4回目であつかう60年代の日本は、確かに「戦後」の中にあった。しかし、70年代はどうだろう?「戦後」をやめる時代が始まったのではないだろうか?

「戦後」が終焉に向かう時代、それが60年代だったのかもしれない。それは、各人がどこに自分の座標を置いて、何を見るかで変わってくるだろう。

「戦後」を生きることをやめ、我々は何を得て、何を失ったのか?それを考えることによって、日本の未来を再構築するきっかけを掴むことは出来ないだろうか?今回も、Yoshilog Liveは、希望の残り滓を探しに行く。

参加申込みの声を読んで

参加申込み者の声を読んでいると、いったい日本はどうしてこんなことになったのか、敗戦から立ち直り、新しい国を作って未来に向かうはずじゃなかったのか?という思いが言語化さえされない意識下に共有されているように感じる。

今回のライブは、「1960年代を”戦後”というコンセプトがまだ人々の意識に残っていた最後の10年だった」という仮説を立てて、見直していくつもりだが、おそらく、なんでこんなことに?という思いの回答は、”戦後”をやめたことと関係するだろうという予感がある。

改めて言うまでもないと思うのだが、念の為に言っておくと、この「日本の近現代史シリーズ」は、自虐とも言い訳とも修正とも捏造とも全く無縁のところで歴史を見る

珍しい後記

小さい頃から一貫して話をするのが嫌いで、今でも一人で何日でも黙っていられるが(むしろ、それが一番快適)、話すことの効用を認めていないわけではない。

話して初めて「何が分かってないかハッキリ分かる」ということがある。考えているだけでは、自分が自分に誤魔化され続けるのかもしれない。この効用は書くことにもあるが、話す方がスピードでは圧倒的に勝っている。

Yoshilog Liveイベントの 一般論だけど、話すことの内容を「準備」したものと「アドリブ」に分けると、この「準備:アドリブ」の割合が毎回違う。その割合は、トピックによって、あるいは単に準備に割ける時間がどれくらいあったかに左右されてくる。

平均すると、「準備」と「アドリブ」の割合は五分五分くらいだろうか。「準備」と言っても、原稿のようなものを作るわけではない。頭の中に箇条書きしたマップのようなものを作り、それをプレゼン用スライドにするというやり方が自分の中で定着している。国際会議でも全く同じやり方でやってきた。

準備をきっちりして、原稿まで作ることの効用は、話の内容が整理された構造になること、その外延がハッキリして、あちこちに飛び散らかさないことなのだけど、肝心の話し中は、自分をほぼ”音声再生マシーン”にしなければいけないので、話してはいるのだが、頭の中が空白になっているということがある。これは気持ち悪いし、やっていて面白くもない。

事前準備による拘束を意図的に減らすことによって、本番アドリブ率を上げる効用は、話がマシーンによる再生ではなく、生きた人間の話になるし、話してる途中に稀に新しいアイデアが生まれたりする。欠点は、自分が話しているトピックの理解が不十分だと、話がまとまりなく、冗長になる傾向があることだ。

Yoshilog Live では、いろんなトピックをやってきたけど、「準備:アドリブ」「3:7」くらいの方が、スムーズな流れになるような気がする。「日本の近現代史」シリーズなんかは、トピックの性質上、準備率が高くなって、おそらく「7:3」くらいと思う。

今回の「日本の近現代史(4)」が取り扱おうとしていたのは、

日本の人々が「戦後」と意識していた最後の10年が1960年代だったのではないだろうか?「戦後」を生きることをやめてしまったことによって、日本は歩むべきだった道を踏み外してしまったのではないか?その結果、過渡期である1970年代を経て迎えた1980年代、「戦後日本」が「ツルッとした日本」になっていた。しかし、なぜ「戦後」は跡形もなく消えてしまったのか?1964年の東京オリンピック、高度経済成長、学生の叛乱とその制圧、そして知性のイトイ的崩壊。

のようなことだが、これらの重層的な仮説を検証していくためには、準備部分が膨大になり、アドリブ部分が追いやられる。今回はそれが苦しかった。数回に分けて、バラバラに展開していくつもりなので、焦る必要はないのだけど。

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レビュー

仕事中で少ししか参加できませんでした。資料を楽しみにしています。

自分が生まれる前の世界がどういう状況だったのか、改めてレビューできて良かったです。当時の映画や音楽には当時の文化人が考えていたことが刻まれているんですね。もう一度しっかり見てみようと思います。

様々なことを学びたいと思うと同時に、知るほどに無力感や絶望が増すこともあります。 この年代に憧れを感じてきた自分は酷く傲慢だったのではないかと思ったり、自分の立ち方を知る上でのヒントを得られたように思います。 今は生き延びるだけで苦しく、過去や未来を想像することで息が詰まる想いではありますが、未来へ良い繋ぎ方ができるように今後も一つでも伝えたい事を自分の中に持てるように学びたいと思います。

学生時代の世界史の知識しかないので、中東戦争やキューバ危機などの話は新鮮でした。映画ならとっつきやすいので、是非見てみます。あと岡林信康さんの歌詞はもう一度ゆっくりよんでみたい。 それにしても当時のベストセラーはなかなか衝撃的です。日本人の痴呆化が既に始まっていたのですね。

今回も大変勉強になりました。ありがとうございました。

日本が発展するポテンシャルが、そのまま堕ちていく原因になりうるのかなと思いました。

冷戦や日米貿易摩擦などは、子供のころニュースで聴いていたので自然とフレームワークになっていたと思います。ヨーロッパは影が薄かったです。でも冷戦も終わり、その後ヨーロッパの成熟していく社会制度を学ぶようになると、小さな国の方が国民・住民一人一人の能力を発揮する仕組みが必要になりその結果発展するのかなと思ったり。20年ほど前、日本では「大きな政府vs小さな政府」という議論がありましたが、日本の人口規模や政治家レベル(=民主主義レベル)だと大きな政府は難しいし、と思っているうちにどんどん悪化するし、ほんとどうなってしまうんでしょう。。

岡林信康の曲に「どう生きるのか」と歌われてましたが、日本は「どういう国を目指すのか」ビジョンがないところ、そういう議論が生まれないところが致命的と思いました。

今回もいろいろ考えるきっかけをいただきました。ありがとうございました!

今日初めて参加しました。なぜ日本人が世界から離れていったのかについて、もっと考えていきたいと思います。

自分の学生時代の印象としてあるのは、学生運動が暴力化していったことで、政治的なものに関わることが悪いこと、変わっていると看做されるようになった、また、権力やルールに従順であることが模範とされる学校において、与えられる答えから外れることも難しい。本当は政治はわれわれのものであり、もっと自由であるのに。

知ることで悩み、考え、それによって自由になることができる。また参加させていただきます。

今日は有り難うございました。 光回線になったのですが、夏休みとコロナで使用者が多いのか大阪市内のこの辺りは最近途切れる事が多く、今日は真面に4分の1も聞けませんでした。残念です。 回線状況に使用者数があっていないようです。 よしさんが録音を送って下さったらゆっくり聞かせて頂きます。 参加できて良かったです。 有り難うございました。

普通の話し言葉で喋ってもらえるのが、力まず参加にできて助かった。

移動しながらなだったので、イヤホンで聴くのがメインで、たまに資料をスマホで見る感じで参加したのですが、無理がなかったのでありがたかったです。

当時を反映した映画や音楽の紹介があるのか!と驚き、また楽しかった。

たまたま最近、韓国映画の1987とタクシー運転手を続けてみて韓国の民衆化運動に興味を持ったのですが、 歴史を知りたいときにいろんな角度から自分に合った方法でもっと知りたくなるような方法が自分流に身につけられたらいいなと思った。

そして、 いかに今身近にあるエンタメが、現実を忘れるためにバカになって笑ったり感動するようなもので溢れてるか…。リアルとどれだけ切り離せられているか、が優秀なエンタメとされているふしがあります。

ありがとうございました、また参加したいです。

70年代後半生まれです。政治・社会問題等をテーマにした講演会等に1人で参加すると、まわりはかつて学生運動をしていた諸先輩方々ばかり。何がどこで変わったのか、途切れたのかずっと疑問に思っていました。

ご紹介頂いたベストセラーの変遷で起きたことは、いまから義務教育の国語の教科書で起きようとしています。文学は不要、実用的な契約書が読めればいいという文科省の方針。「個」がますます「社会」に埋没していく。権力側から扱いやすい人間だけが量産されていく。きたるべくして今日があると感じました。

貴重な学びをありがとうございました。

日本の戦後75年は平和であったが75年の日本史は国民国家が消してしまったように思う。世界史の一部分に喝消えかつ浮かぶ島国、クラクラする。爽やかさ、たのしさ!で映画、歌、 に観る、さいごの足掻きによきものに感謝しております🥲

第二次大戦終戦から15~25年後の世界は多層的でもあり、一方で冷戦下であるというひとつのテーマの中で起こってきたことでもある。今のような情報通信技術のない時代、それぞれがどんなふうに生起し広がっていったのか、また当時の人々がひとつひとつをどう捉えていたのかを考えるととても興味深い。逆に今の時代ならば、われわれ一般人は例えばツイッターでどんなふうに反応していて、それらがどんなふうにフィードバックされていっただろうかと考える。

また、何かの事象が肥大化し極限に達すると急激に目的意識を失って失速する現象は歴史によくあるけれど、ウッドストックはそのような極限の一つだったと思うし、アポロの月面着陸も宇宙開発競争の一つの到達点だった。これらがいずれも69年というひとつのdecadeの終わりに起こったのもある意味必然だったのか。

日本のベストセラーの変遷は日本人の読書傾向の歴史として、高校時代の現代国語の授業で教わったことがあるけど、「人間革命」が入っていたりするのは知らなかった。新興宗教家も時代の変化(読書習慣の大衆化)を読むのが必須という真理を確認した気がする。

*********** ひとつだけ気になったのですが、チャットで仰っていた「星条旗よ永遠なれ」は一般的に、第二のアメリカ国歌と言われるほうのスーザ作曲のマーチだと思います (Stars and Stripes Forever, https://www.youtube.com/watch?v=QAnky-QJwII)。アメリカ国歌のタイトルの日本語訳は「星条旗」だそうで、仕方ないとはいえ紛らわしいですね。日本ではスーザのマーチのほうがブラスバンド等で盛んに演奏されているので、国歌よりも有名な側面はあるかも知れません。

→ その通りです。ジミ・ヘンドリックスが弾いたのは、アメリカ国歌の”Star-Spangled Banner” で、『星条旗』と訳すのが正しく、『星条旗よ永遠なれ』は、アメリカの公式行進曲 “Stars and Stripes Forever” の日本語訳。(よしログ)

冷戦中はアメリカとソ連が対立していて緊張状態だったので、当時の人達はたとえ熱戦で無くても居心地や気分か悪そうだなと思った。又そう考えてみると、ヤフーの韓国に関するニュースのコメント欄を見ると、ほとんどが韓国に対する嫌みや反対意見ばかりで、更にグッドボタン👍も大量に押されている。「お隣」、「隣国」のような皮肉的な言い回しもしょっちゅう見る。このような、他国を睨んでいる様な状況が、自分にとってすごく不快に感じていて、やはり国に対する対抗心、嫌悪感というものは緊張感、嫌な雰囲気などを生み出してしまうのではないかと思った。

今回はいつもより少々散漫な感じがした(特に日本の書籍ベストセラートップ10)。冷戦を代表する事件(ベルリンの壁建設、大韓航空機撃墜事件など)を他にいくつか取り上げると印象が違ったのではないかと思う。書籍売上傾向は、インターネットのなかった時代、マスメディアによりかなり操作可能であったのではないかと思うが、別にメディア編をやる際に取り上げればよかったという気もする。

今日のliveは、60年代の出来事、映画、音楽、文学と多方面からの時代へのアプローチで、とても感情を揺さぶられる内容でした。歴史を勉強するうえで、その時代につながる雰囲気を知るということは、歴史を考える時の大きな新しい要素になってきました。

今日の内容で一番印象に残ったものは、60年代売れた本リストです。私の記憶が正しかったら、65年の1位は人間革命(池田大作)です。その後、数年にわたってトップ10に入っていました。驚きました。

私は、離婚をして仙台に住んでいた時、それ以前の職場で一緒だった方に勧められて、というか、代金を肩代わりするから聖教新聞読んでほしいと言われ、人付き合いと思って、とっていたことがありました。まあ、中身は想像通りで、池田大先生のお言葉!みたいな感じで、「人間革命」からいろいろ引用されていました。勧めてくれた彼は、創価学会の宗教的教えを哲学って言ってました。心から信じているようで、私が一人で苦労して生きているのを何とか助けたいと思ったようで、創価学会に入ることも勧めてきました。東京に戻ってから集会にも一度誘われて行きました。

ものすごい大きな建物で、中は成金趣味みたいな豪華絢爛な大広間みたいな部屋がたくさんあって、その集会には有名なタレントが来ていました。中身は、自分が創価学会で救われたこと、どれだけ出世したか、どれだけ新しい学会員を入会させたか、というものだったと思います。その建物はあちこちにあって、学会員の集会の場所となっています。学会員から集める寄付で作られてると聞きました。

私は、その時すでに神道への信仰もあったし、そのことも伝えていたのですが、どうしても創価学会を知ってほしい、創価学会が一番ですべて、みたいな感じで言われました。創価学会にとって、中身の教えも大切なのかもしれませんが、第一人間の池田大作を神格化しているところに不信感があったし、人間を神格化したものはだいたいおかしなものです、法華経をやるなら、本筋の法華経をやればいいし、大事なのは、布教と選挙です。聖教新聞を何か月か読んで思いました。目的は布教と選挙。私が自分の信仰に求めているものと大きくかけ離れていました。まあ、はじめからわかってましたけど。

という経験をしていたので、人間革命がそんなに読まれてた時代って何があったんだろうととても興味がわきました。創価学会はとてもしつこい勧誘で有名ですが、それがあちこちでおこなわれたのでしょうか。今のどうしようもない政権は、明らかに公明党の影響も強く出ていると思うので、この面からの分析も有効と思いました。

だいぶ枝葉のような感想になってしまいました。すみません。よしさんのliveは近頃、芸術作品のようです。感覚感情をとても刺激されます。でも、人間ってその中で生きているのですよね。そんな人間の歴史ですね。いつも準備で大変だと思いますが、とても楽しみにしているので、いつも。お疲れ様でした。ありがとうございました💗

最初に紹介された3本の映画を見てみたくなりました。

冷戦の頃の構造は多少知識として持っはいましたが、本当に断片的にしか知っていなかったのだな、と感じました。特にキューバのくだりで驚きました。

先月入会し、今月はじめてLive参加しました。

私は海外に住んだことはありませんけれども、英語圏のニュースから情報を得るのが習慣になっており、日本のガラパゴス化をいつも感じています。

それが単に「外国語ができないから海外情報が得られない」からなのか、それとも他に日本人特有の何らかの志向が原因しているのか、はっきり分からないで来ました。

今の日本の劣化ぶりを見るにつけどうしてこうなったのか知りたいと常々思っていましたが、Yoshilog Liveはその疑問への答を見つけていける良い場です。

今回は1960年代のベストセラー本のリストと、それ以前の時代のそれとを比較する手法がたいへん印象的でもあり目を開かれました。

自分の小さな経験談になりますが、 1960年代に子供時代をおくった自分は、両親から少年少女向けの世界文学全集や世界の偉人の伝記を買い与えられていました。しかし1990年代に自分が子育てをする段になって、そういう子供向けの本が全く販売されていないのに驚いたことがあります。

日本人は時代とともに、骨の折れない読み物を好むようになったと思います。

また1960年代は百貨店でも店頭に出しさえすれば何でも飛ぶように売れたと聞きます。戦争の特需景気の中で、頭を使わなくても体を動かしてさえいれば儲かる時代だったのではと思います。そしてだんだん知的能力が衰えたのでしょう。

毎月、音楽も楽しみにさせていただいています。今日はProcol Harum が選曲されていたのが嬉しかったです。次回の音楽は何が流れてくるかワクワクです。

自分が生まれた時代なので、とても興味深い話でした。東西冷戦の枠組みがガッツリ世界を羽交い締めにしていた時代は、いつの間にかすっかり意識にのぼらなくなり、気付いたら記憶の彼方でした。

ベトナム戦争、朝鮮戦争のコンテクストをよりよく理解できました。特に朝鮮戦争は、いつかもう少し知りたいと思いつつも自主的に勉強するところまでいかなかったので、とても勉強になりました。かつて会社で師事していたベテラン米人研究員が、若い頃朝鮮半島に派兵されていたと聞いていたのですが、そんな最近まで戦争があったのかと実感できなかったのです。コロナが明けたら再会しようと約束しているので、その時に話を聞いてみたいと思います。

映画のご紹介をたくさんありがとうございます。私は当時大学生でしたが、『存在の耐えられない軽さ』をミニシアターに観にいくのが当時ファッションのようになっていました。無教養の「新人類」の端くれであった私は、美術部の友人と映画館に足を運んだものの、例によって全く理解していなかったと思います。学び直すことが多くて、老後は退屈する暇がなさそうです。

今日は終盤近くの、戦前戦後のベストセラーリストがあまりにも衝撃で、それまでに聞いたことが吹っ飛ぶくらいでした。書籍の人々へのpenetrationが戦後爆発的に増加したのであろうことは推察され、そしてそのこと自体はとてもポジティブだと思いますが。

国民が一億総中流と言われた日本は、バブル崩壊後形成を立て直せず、結果的に一流のリーダーを育成できない三流国になろうとしています。

社会階層が少なくフラットな社会は戦後日本にポジティブに働きました。現在、格差が広がろうとしていますが、戦前と比べるとまだまだフラットなのではと思います。国としてどうあるのが相応しいのか、個人の幸福という点についてはどうなのか、議論を避けたまま国がジリジリと後退していくのを見ているのが苦しいです。

冷戦、革命、戦争、終戦に於ける各国が政治的動機の考え、きっかけに気がついたか否かであるが。ただ、イスラエルにイギリス、フランスがついた嘘、生々しく人体解剖図のよう。 目が眩む。

60年代を「戦後」の始まりとする仮説は僕自身も思うところだったので、非常に興味深かったです。当然ながら、日本だけでなく世界も戦後だったのだから、世界で起きていたことを見ていけば、それらは多弁に日本を語ってくれていますね。面白かったです。

ベトナム戦争の背景、中東戦争について聞くことが出来て良かったです。

また、チャットで他の方も言ってらっしゃいましたが、あのベストセラー本の推移は衝撃的でした。同じ国なのに、戦前と比べてこうまで違くなるものなのか!今の日本の兆候はすでに50年以上前のあの頃から出ていたのかもしれない、と思いました。

いつもありがとうございます。

冷戦をバックグラウンドにした映画はかなり見ているのですが、それを念頭に見ていないのでただ「楽しんで見た」に終わっています。見直してみます。それと共に文字で追いかけてみます。分かれば分かる程今の日本人が面白くない人間だと感じます。岡林信康さんの「私達でなく、私であり続ける事」そう思う人間には生きづらい国だったでしょう。そして今は生きられない国になていると思います。

今回も貴重な勉強会ありがとうございました!!

1945年に太平洋戦争が終わり、それから15〜25年後頃の日本について色々知れるかなと思い、参加しました。

私は、ジブリの『コクリコ坂から』が好きで、その時代設定が1963年らしいので、丁度その頃の話だ!と思って聞いていました。

日本だけでなく、海外の出来事や動きも一緒に知れて良かったです。

冷戦やキューバ危機という単語は知っていましたが中身は全然知りませんでした。冷戦についてはまだ自分の中で?が多いですが、キューバ危機については、キューバ、アメリカ、そしてロシアの関係性について詳しく説明して下さったので、流れは理解出来ました。

カストロの4時間半原稿無しでの演説はにはたまげました。是非とも菅総理らへんに1時間でもいいので原稿無しで演説してほしいと思いました。

岡林信康さんの『私達の望むものは』という曲の歌詞が、たまに自分が考えることと似ていたので、共感できるところが多かったです。

よしさんが話していた、「自分の中での主人公は自分だぜ」という考え、個人的に本当に大事なことだと思っていて、戦争って、人がただの点として扱われてしまうことだと思います。

自分が死ぬことが分かっていても、武器を持って前進する。そして人がボコボコ死ぬ。

私はたまにそうやって死んでいく兵士は何を思っているのだろうと想像します。想像しても、あまり浮かんできませんが、もし自分が死んでも国のためになるならなんて考えが生まれてしまうのであれば、それはとても恐ろしいことだと思います。軍隊指導部(上の人達)にとってそういう人達はただの点であり、数でしかないからです。

最後に、「下痢を治してきます。」と書き残して失踪したエピソードが頭から離れません。 ありがとうございました!!

今回のスライドも非常に中身の濃いもので、どのくらいYoshiさん準備に時間をかけられたのだろうかと思いながら聞いておりました。大学生の時の教養のクラスでこういう授業が取りたかったと感じました。私は70年代後半生まれですが、子供のころは米ソの冷戦ありきの前提で国際社会ニュースを聞いていました。朝鮮戦争もベトナム戦争も後ろ盾は米ソで、アメリカで暮らしていると、現在もここではロシアや中国など社会主義・共産圏は社会概念として自分達とは対になるものとして捉えられていると感じます。

自ら近代化の道を歩むことなく、敗戦と外圧で日本に持ち込まれた民主主義、「もはや戦後ではない」という台詞が流行ったのは60年代だったでしょうか、経済的には80年代のバブルが頂点で国としてもその頃がピークだったのかと思っていましたが、実際には世界とシンクロしなくなり始めていたのはそれよりずっと前だったこと、ボタンの掛け違いみたいにどんどん世界基準から取り残されていっているのは悲しい限りです。

本のベストセラーや映画の面から過去の人々の関心事が垣間見れたことは、目から鱗でした。少し話がそれますが、職場でのマーケティング然り、私的時間に目にするソーシャルメディア然り、知性も教養も持ち合わせていないインフルエンサーと言われる人々が過度に重用されている現状に憤りを感じています。私達があの年表で60年代を振り返ったように、後世の人達がこの今の時代を振り返った時、一体どんな印象を持つのだろうかと考えています。古典と言われる本、幾つもの時代を超えてなお読み継がれるような良本のご紹介もありがとうございます。人生の折り返し地点は通過したと思う今、今のソーシャルメディアの影響を乗り越えて、もっと大きな視点で歴史や人々が考えてきたことを学ぶことのできるこの場に感謝しています。

私は90年代に生まれて、物心ついた時にはすでに2000年を過ぎていたので、90年代ですら日本の様子がどんなものであったのか、当時のドラマなどを見たりしないとピンときません。そんなレベルなので、60年代なんて大昔に感じます。当時の記憶があるという人に遭遇するだけで、「歴史の中を生きてる人だなー」と思ってしまいます。私は高校の時に日本史を選択していましたが、戦後史をまともに学んだ覚えがありません。もしかしたら私が通っていた高校のレベル的に、習わなかっただけなのかもしれませんが、歴史を学ぶ順番として、遺跡や古墳の名前と場所を暗記するところから始めるよりも、戦後史から学ぶ方が面白そうだと思いました。

キューバ危機は聞いたことがありましたが、冷戦の中での米ソの対立によって行われたものということも知りませんでしたので、今回一つ賢くなりました。イスラムの回でも思いましたが、列強から支配されている国は一度そうなってしまうと、なかなかその支配と被支配の構造から抜け出すことは難しいのだなと改めて理解しました。なので日本はそういうのが無かっただけ、まだ苦労が少なかったように思います。日本が不平等条約を結んだ後に、小村寿太郎や陸奥宗光がそれらを改正したのも、考えてみれば結構すごいことだったのだなと実感しました。

そして昔のベストセラーの一覧がとても面白かったです。60年代に入ってガラリと売れる本が変わっていたというのが不思議です。当時のベストセラーの一覧を見ることで、その時代の大まかな世相が垣間見れるのだなと気づきました。本を通して、その時代の人が考えていたことを知ることができるのはすごいと思います。当時人気だった本を図書館で借りてみようと思いました。

60年代は、とても興味のある年代で、Live前からワクワクしておりました。

キューバ革命や、朝鮮戦争、中東戦争、宇宙戦争は、名前は聞いた事はありましたが、 高校時代に詳しく習っていません。(又高校しか出ておりません。憧れの大学で学んでいれば少しは違ったかもしれません)

歴史の授業と言えば年表を覚えておく事(先生によっては違うのかも知れません)だけで面白くなかったです。自分で調べる事もしなかったのは反省ですね。

自分が子供を育てるにつれ、又、学校と関わると学校や教師の真剣度や態度が分かり初めます。残念ながらテストで点を取るだけのある意味日本らしい教え方の教師が少なくない事。こういう点を取る事だけの教育だと自分で思考し自分の意見を述べる事は難しいでしょう。

Yoshi先生のLiveは生徒を飽きさせない工夫が随所に感じられます。視聴者にさりげなく考える機会も与えてくださいます。

もの凄い内容の濃さでした。歴史年表もとても分かりやすく映画や音楽の紹介もあり、 深く掘り下げて自分で考えたいと思います。

『私達の望むものは』岡林信康さんの曲はしみました、又早速キューブリックの映画を途中まで観ました😊

Yoshi先生Liveのを子供と討論したいと思います。 深夜に本当にありがとうございました。

素晴らしいの一言でした。

戦争をはじめ当時の情勢の枠組みの中で、人々の考え方は制約を受け変化していく。様々な出来事を通した国々の思惑や状況、そこに生きる人々の心の変遷。よしログさんの超豊富な知識と分析に裏付けられた、感受性豊かで明快&繊細、オモロいわかりやすい言葉での解説に、まるで上質なドキュメンタリーエンターテイメントに触れたような贅沢な時間でした。

織り込まれた映像(編集素晴らしいです)と音楽に包まれて、私の心情も当時のメンタリティに少しだけシンクロできたように思います。

世界と同期したあの瞬間。そこで日本の人々の思想が留まらず、別の道を歩んでいたらと思いを馳せずにはいられません。

貴重すぎる歴史の授業、次回も楽しみにしています。 (インタラクティブな年表、重宝します。後ほど折を見て#で感想拡散させて頂きます)

ヨシさん、ありがとうございました!

『最近「戦後」と言わなくなった』

気づいたら、そうでした。80年代ぐらいまでは、テレビでも学校の授業でも、戦後という言葉をよく聞いた気がします。 この言葉を使わなくなったのは、冷戦が終わってからかもしれないなと考えていました。

私は、「若者が世界と繋がっていた」終盤の68年に産まれたのですが、冷戦を肌で感じた最後の世代かもしれません。

原子力爆弾、ロケット、月面着陸、バイオ、スパイ活動、サイコメトラー  etc…

何かとアメリカとソ連が争っている構図をニュースや、映画・漫画で目にした時代でした。

学校の授業で「今、大きな戦争が起きていないのは、東西のバランスが取れているからだ」と歴史の先生がおっしゃっていたのを思い出します。(小さい子にわかりやすく説明するためだったのか、今、考えると、違うでしょと突っ込みたくなるのですが。。。)

そんな中、ベルリンの壁崩壊はとても印象に残っています。

平和になるのか、それとも、戦争が起きるのか、どっちに転ぶんだろう?と、少し不安になったのも覚えています。

なぜ、戦争が起きると感じたのか。

冷戦は、西と東の均衡から実戦争が勃発しなかったとの認識があったからです。 その均衡が崩れる⇨戦争が始まる ・・・ 幼稚な考えですね😅 すでに、いろんなところで、戦争はあったのに。

ベトナム戦争、朝鮮戦争、中東戦争、キューバ危機

どれも、日本の外の話しで、軽くしか考えていませんでした。 これが、「世界と繋がっていない」の現象なんだと反省しています。

現場を知らないので、緊張感などは想像しかできませんが、今後もできる限り、勉強していきたいと思います。

ベトナム戦争が第二次世界大戦以前から火種があったことを、今回のYoshilogLiveで初めて知りました。

アメリカでは、ベトナム戦争の戦場画像をメディアで流して、その悲惨さを報道したため、ヒッピーのような社会運動が始まったと聞いたことがあります。 それ以降、戦地の映像は報道されたくなったと聞きました。

17の時、映画「キリング・フィールド」を観て、戦争の悲惨さや理不尽さ、思考が異常になる世界を感じました。

パンフレットの「実際は、この映像以上に悲惨だった」との記載を読み、戦争に対するなんとも言えない嫌悪感が湧いてきたのを思い出します。

その時、戦争が起こる理由についてもっと深く考え、本を読むに至らなかったことに対し、今更ながら、反省と後悔をしています。 (映画館の近くに、地元で大きな本屋さんがあったのに。。。)

「世界と繋がる」 若者ではありませんが、意識しようと思います。

ありがとうございました!

次回のYoshilogLive、楽しみにしています!

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