最近、1930年公開の『西部戦線異状なし(All Quiet on the Western Front)』という映画を見た。これのリメイクが2022年に公開されたので見てみたいと思っていたところ、1930年版をアマプラで見つけたので、まずこれを見ることにした。
約100年前に公開された映画だが、そのクオリティの高さに驚いた。今はYouTube やアマプラで、戦前の日本やアメリカの戦意高揚映画がたくさん見れるので、そういうのを時々みていた。だから、あのクオリティだと思っていたのだ。ところが全然違った。
技術的には現在のハリウッド映画とは比較にならないくらい質素なものなのだろうと想像するが、全体をつつむ音や映像がまるで詩のように流れる映画だった。
最初に次のような言葉が出てくる。
This story is neither an accusation nor a confession, and least of all an adventure, for death is not an adventure to those who stand face to face with it. It will try simply to tell of a generation of men who, even though they may have escaped its shells, were destroyed by the war…
訳:この物語は、告発でもなければ懺悔でもない。まして冒険談でもない。死と真正面から向き合う者にとって、死は冒険ではあり得ないのだから。ここで語ろうとするのは、砲弾の直撃こそ免れたかもしれないが、戦争によって人生を破壊された一つの世代の若者たちのことである。
これを「戦争映画」という括りに入れるのはあまり適切とは思えない。「史上最大の反戦映画」という修飾もどこかで見たが、それも正確にこの映画の意図を反映しているように思えない。もちろん戦意高揚映画ではないが、かといって、激烈な反戦を訴えている映画でもない。
ただ、戦争と人生について考える機会を与えようとしているとは言えると思う。
戦争映画と言えば、文字通り山ほどあるが、そのうちの何割くらいが、声高な勝者の自画自賛でも、敗者の弁明でもなく、個人の人生について考えさせる映画だろうか。正義の味方と悪漢だけで語られる映画にはどうしても嘘臭さを拭い切れない。
そういう意味では、日本映画もなかなか捨てたものじゃない。いや、むしろハリウッド映画よりマシな傾向があるかもしれない。日本映画界全体で見ると、ハリウッドに比べたら予算が桁違いに少ないという制約の中で頑張ってきたんじゃないだろうか。専門家じゃないので、これ以上のことは言わない方がよさそうだ。
年末に向けて、多少時間が取れたらテレビやSNSから離れてなんか映画見てみようとか本を読んでみようと思う人もいるかもしれない。その中にもし「日本人にとって戦争とは何だったのか」なんてことを考える人がいたら、こういう映画は考える緒(いとぐち)になるかもしれない、という一覧を作った。
『飼育』大島渚(1961)
英語タイトル:The Catch
視聴可能性:アマプラ、TSUTAYA DISCAS、Apple TV。
原作:大江健三郎「飼育」(1958年)
概略:黒人捕虜を「村の問題の責任押し付け先」として利用する日本社会のレイシズムと集団的罪責を描く衝撃作。
内容:
• 日本の田舎の村が、戦争末期に黒人のアメリカ軍パイロットを捕らえ、家畜のように小屋に閉じ込める。村人たちは彼を好奇と憎悪の対象として扱い、村じゅうの問題の「スケープゴート」として利用する。
• 大島は「日本人の被害」ではなく、「日本社会のレイシズムと集団的罪責」をえぐり出す。村の有力者はヒトラーのような口ひげを生やし、捕虜の存在を利用して村の緊張関係を操る。女性は性的に搾取し、男性たちは恐怖で経済を支配する。
• 日本降伏の知らせが来ると、村人は天皇に裏切られたと感じるが、自分たちの行いを反省するのではなく、「目撃者を消して過去を葬る」という方向に進む。
• クライマックスの「埋葬シーン」は、映画史上でも極めてショッキングな場面として語られる。
• 大島の前作『日本の夜と霧』(1960)をめぐる騒動のあと、松竹はこの作品から距離を取り、海外配給会社も露骨な人種差別描写を嫌って扱おうとしなかったため、長く上映機会がほとんどなかった。
• 批評家は「もっとも苛烈で優れた作品」と高く評価する一方、そのあまりの残酷さゆえ「観るに耐えない」とも評した。多くの戦後日本映画が「日本人の被害」を描くのに対し、この作品は「日本人の加害と罪」を真正面から突きつけたため、観客は準備ができていなかった。
『日本のいちばん長い日』岡本喜八監督(1967)
英語タイトル:Japan’s Longest Day
視聴可能性:アマプラ、U-Next、TSUTAYA DISCAS、Apple TV。
原作:半藤一利『日本のいちばん長い日』(1965年)
概略:玉音放送前夜の24時間を、クーデター未遂・政府内部の混乱・指導者の無責任を徹底的に描き、当局が警戒した歴史大作。
内容:
• ポツダム宣言受諾から玉音放送に至る「最後の24時間」を、政治中枢と軍部・若手将校のクーデター未遂を絡めて描いた政治ドラマ。
• 徹底した時系列再現と群像劇によって、政府内部の混乱、嘘と責任逃れ、そして兵士たちの無駄死にが容赦なく描写される。
• 若手将校によるクーデター計画や、上官殺害を含む暴走が描かれており、戦後の公式な「美しい終戦物語」とは異なる、きわめて不格好で危うい「降伏」の姿が浮かび上がる。
• 史料調査と専門家の監修により、多くの場面が実際の記録に基づいていることが明らかになると、当局は「国の威信や皇室の権威を損なう」と懸念し、海外公開の制限など、非公式な圧力をかけた。
• それでも作品は批評的には高い評価を受け、「単純な善悪図式ではなく、制度や人間の弱さを描いた終戦映画」として、日本国内外で重要な位置を占めるようになった。
• 「政府が協力して資料を提供した結果、自らの無能さが白日の下にさらされる」という逆説的な事態が起きたことも含めて、歴史映画の役割の大きさが指摘された。
『肉弾』岡本喜八監督(1968)
英語タイトル:The Human Bullet
視聴可能性:アマプラ、TSUTAYA DISCAS、Apple TV。
原作:野上龍雄『肉弾』
概略:特攻兵器要員に選ばれたドジな兵士を通じ、特攻を「感動的犠牲」ではなく「官僚的愚行」としてブラック・コメディで描く。
内容:
• ドジな兵士が特攻兵器の要員に選ばれてしまうブラック・コメディ。
• 特攻を「気高い自己犠牲」としてではなく、「官僚主義と軍の無能さが生み出したバカげたシステム」として、笑いと風刺で描く。
• 戦没者への冒瀆だとして、元軍人や保守派から激しい抗議が寄せられ、岡本監督自身に「死ね」と言わんばかりの脅迫が届いた。
• 海外配給会社も「自爆攻撃を笑いの対象にするのは観客が受け入れない」と消極的で、限定的なアートシアター上映にとどまったが、日本各地で「英霊を侮辱するな」といった抗議デモが起きた。
• しかし評論家の多くは、このブラック・ユーモアこそが特攻という制度の不条理さと人命軽視をもっとも鋭く暴いていると評価する。
• 「笑い」が軍国神話を解体するもっとも強力な武器になり得ること、そして多くの日本人がいまだに「ロマンチックな特攻像」を好み、実際の行政的・官僚的な残酷さを見たがらないことが、この作品への反発によく表れている。
『激動の昭和史 軍閥』堀川弘通監督(1970)
英語タイトル:The Militarists
視聴可能性:アマプラ、U-Next、TSUTAYA DISCAS、Lemino、DMM TV、Rakuten TV、Apple TV。
原作:児島襄『軍閥』(1967)、児島襄『昭和陸軍』(1969)などを組み合わせたシナリオ。
概略:日本軍国主義の台頭を、社会全体の共犯性と構造的暴走として捉え、資料映像と劇映画を組み合わせて描く。
内容:
• 1930年代から敗戦までの日本の軍国主義の台頭を、一般市民も含めた社会全体の「共犯性」に焦点を当てて描く。
• ドキュメンタリー的なナレーションや資料映像と、ドラマ部分を組み合わせ、「個人の悪人」を追及するのではなく、国家や社会構造そのものがどうやって侵略戦争へ向かったかを示そうとする。
• 政府の検閲当局や右派団体は、「日本のイメージを損なう反日プロパガンダだ」として制作段階から妨害し、出演者への脅迫もあった。
• 海外では「自己批判的な歴史映画」として高く評価された一方、日本国内では上映館が限られ、多くの観客がそもそも観る機会を与えられなかった。
• 歴史学者の間では「軍国主義が外部から押しつけられたものではなく、日本社会の内部から生まれ、拡大していった過程をリアルに描いている」という評価がある一方、大衆レベルでは「そこまで責任を考えたくない」という抵抗が根強かった。
『激動の昭和史 沖縄決戦』岡本喜八監督(1971)
英語タイトル:Battle of Okinawa
視聴可能性:アマプラ、U-Next、TSUTAYA DISCAS、Lemino、Rakuten TV、Apple TV。
原作:なし。
概略:沖縄戦を日本軍・アメリカ軍・民間人の視点から壮大に再現。凄惨な戦闘シーンが各国で検閲の対象となった。
内容:
• 太平洋戦争で最も凄惨だった地上戦とも言われる沖縄戦を、日本軍・アメリカ軍・民間人の視点から大規模に再現した作品。
• 戦闘シーンは手足が吹き飛び、民間人の大量虐殺、焼夷弾や砲撃による破壊などを非常に生々しく描いており、上映中に気分が悪くなり退席する観客が続出した。
• 一部の国では検閲当局が「過度に残虐」として大幅カットを要求し、イギリスでは約47分削られたバージョンでしか認可されなかった。
• アメリカ軍による民間人射殺や捕虜殺害も描かれているため、アメリカ側からも反発があり、「連合国=完全な正義」という従来のナラティブに疑問を投げかける作品と位置づけられている。
• 岡本監督は日本軍もアメリカ軍も「善悪の単純な対立」として描かず、双方の残虐さと人間性を併存させることで、「戦争そのものが人間社会を破壊する」というメッセージを前面に出している。
• そのリアルさゆえに、商業的には成功しなかったが、戦争映画としての技術水準の高さと、容赦のない視点は高く評価されている。
『軍旗はためく下に』深作欣二監督(1972)
英語タイトル:Under the Flag of the Rising Sun
視聴可能性:アマプラ、TSUTAYA DISCAS、Lemino、J:COM STREAM
原作:結城昌治『軍旗はためく下に』(1963)
概略:未亡人が夫の死の真相を探る過程で、日本軍の崩壊と戦場の隠された真実(人肉食、負傷兵殺害など)が暴かれる。
内容:
• フィリピン戦線で夫を失った未亡人サキが、真相を探る過程で「日本軍の名誉ある戦い」という神話が崩壊していく物語。
• インタビュー形式と残酷な回想シーンが組み合わされ、生き残りの兵士たちは「人肉食」「負傷兵の殺害」「規律崩壊」など、教科書には載らない戦場の実態を語る。
• 深作監督は一切「マイルド化」せず、兵士が生き延びるために人間の肉を食べる場面や、上官が部下を処刑する場面などをそのまま見せる。
• とりわけ当局が恐れたのは、「カメラの前で話しているのが本物の元兵士である」という点だったとされ、制作段階から政府の圧力や、元兵士団体・右翼団体の抗議、上映館への脅迫などがあった。
• 一部の劇場は脅迫を受けて上映を取りやめた。
• 海外の批評家は、深作の勇気と作品の正直さを絶賛する一方、日本の当局や保守的勢力は「非愛国的」と非難した。
• 多くの戦争映画が「崇高な犠牲」や「美化された敗戦」へ物語を収束させるのに対し、この作品は日本軍の崩壊と戦争犯罪を直視させ、戦後30年たってもなお「真実は危険なまま」であることを示した。
『戦場のメリー・クリスマス』大島渚監督(1983)
英語タイトル:Merry Christmas, Mr. Lawrence
視聴可能性:アマプラ、U-NEXT、TSUTAYA DISCAS、Apple TV、FOD、TELASA、Rakuten TV
原作:Sir Laurens Jan van der Post, “The Seed and the Sower ” (1963), “The Night of the New Moon” (US title: “The Prisoner and the Bomb” ) (1970).
概略:日本軍捕虜収容所を舞台に、残虐行為・心理的暴力・文化的衝突を国際スターを起用して描き、世界的議論を呼んだ。
内容:
• デヴィッド・ボウイや坂本龍一、トム・コンティら国際的スターを起用し、日本軍捕虜収容所での暴力と支配関係を描いた作品。
• 日本側の残虐行為(拷問・処刑・心理的虐待など)をスター俳優が登場する大作で真正面から描いたため、海外では強いインパクトを与え、日本の「戦争責任」認識への関心を再燃させた。
• 性的な緊張関係や同性愛的な要素も含まれており、その点でも検閲やカット要請の対象となった国があった。
• 日本国内では、経済成長と国際イメージの改善を進めていた時期に「また戦争犯罪の話を世界に広めるのか」と懸念され、当初は公開に慎重だった。
• 実際の捕虜経験者が制作に協力し、その証言が描写の正確さを裏づけたため、「誇張されたフィクション」として片付けられなくなった。
• 英国の元捕虜団体は当初反発したが、後に「歴史的にかなり正確だ」として支持に転じた一方、日本の元軍人団体は終始反対を続けた。
• 批評家たちは、単純な「善悪二元論」ではなく、加害者・被害者双方の複雑な心理を描きつつ、史実として確認された残虐行為は隠さないバランスを高く評価している。
『海と毒薬』熊井啓監督(1986)
英語タイトル:The Sea and Poison
視聴可能性:アマプラ、U-NEXT、TSUTAYA DISCAS、Apple TV、DMM TV、Hulu。
原作:遠藤周作『海と毒薬』(1958)
概略:九州大学生体解剖事件を、冷徹な臨床的視線で描いた医療戦争犯罪映画。倫理が崩壊していく若い医師たちを描く。
内容:
• 九州大学で起きた、捕虜のアメリカ兵に対する人体実験(生体解剖事件)を題材にした作品。医学研究の名の下に行われた「組織的な医療殺人」を描く。
• 若い医学生たちが、先輩医師や教授からの圧力と「医者として成功したい」という欲望のなかで、徐々に人間としての倫理を失い、麻酔もせずに生きた人間の臓器を取り出す「実験」に加担していく過程を淡々と追う。
• 熊井監督は、劇的な音楽や感情的な演出を避け、冷たい臨床的視線で撮ることで、逆に恐怖と嫌悪を強めている。観客は、静まり返った手術室で響く悲鳴や呼吸音に直面させられる。
• 日本医師会や医学校は作品に強い拒否反応を示し、上映や教育利用に反対した一方で、海外の医療倫理関係者は高く評価した。
• この作品は、「科学的合理性が倫理と切り離されたとき、普通の人間でもどこまで残酷になれるか」を考える上で重要だという、医史学者のコメントも引用されている。
• 作品は、人物の言い訳やドラマチックな動機づけをあえて提示せず、「できるからやる」「やれと言われたからやる」という空虚さを描くことで、戦時医療犯罪をめぐる日本社会の「見て見ぬふり」を突き崩そうとしている。
『火垂るの墓』高畑勲監督(スタジオジブリ)(1988)
英語タイトル:Grave of the Fireflies
視聴可能性:Netflix、TSUTAYA DISCAS
原作:野坂昭如『火垂るの墓』(1967)
概略:爆撃と飢餓の中で兄妹が衰弱していく様を、絵の美しさゆえにより悲痛な形で描いた反戦アニメーションの傑作。
内容:
• 一見「子ども向けアニメ」に見えるスタジオジブリ作品だが、内容は焼夷弾爆撃と飢餓のなかで孤立していく兄妹を描く極めて重い反戦ドラマ。
• アメリカ軍の都市無差別爆撃、食糧不足、社会的孤立のなかで、兄と幼い妹が徐々に衰弱していく様子を、美しい背景と繊細なアニメーションで描くことで、悲劇性がむしろ増幅されている。
• 欧州のいくつかの国では、アニメでありながら「成人向け作品」として分類され、年齢制限や警告表示が求められた例もある。
• アメリカやイギリスでは、いわゆる「ジブリ=ファンタジー」を期待していた家族連れが衝撃を受け、劇場側が急ぎ内容警告を掲示した。
• 批評的には世界的な高評価を受けつつも、「あまりに感情的衝撃が大きく、教育目的で子どもに見せるには慎重さが必要だ」とする声も多い。
• きわめてリアルな歴史再現と情感豊かなアニメーションとの組み合わせが、通常の戦争映画以上に観客を打ちのめす例として語られている。
『プライド・運命の瞬間』伊藤俊也監督(1998)
英語タイトル:Pride: The Fateful Moment
視聴可能性:アマプラ、U-NEXT、TSUTAYA DISCAS、Apple TV。
原作:なし。
概略:東条英機を「誤解された愛国者」として描き、東京裁判を批判的に再構成。アジア諸国との外交問題に発展した。
内容:
• 東条英機を主人公にした伝記ドラマで、彼を「誤解された愛国者」として描き、極東軍事裁判を「勝者による見せ物裁判」として批判する内容。
• 中国・韓国などアジア諸国からは、「戦争犯罪人の美化」「危険な歴史修正主義」として、制作段階から厳しい抗議が寄せられた。
• とくに問題視されたのは、東京裁判の実際のニュース映像・法廷映像を編集し直し、「東条=被害者・西側=加害者」という印象を与えるように使っている点。
• 日本国内では右派団体が熱烈に支持し、リベラル派・市民団体が抗議するという、政治的対立構図が鮮明になった。劇場前でのデモや衝突もあった。
• 興行的には日本国内で大きな成功を収めた一方、海外配給会社は外交問題や抗議運動を恐れてほとんど取り扱わず、日本以外ではほぼ受け入れられなかった。
• 批評家の多くは、「映画としての技術や演技の水準は高いが、歴史認識の歪みと倫理的問題は看過できない」と評価を二分している。
• 結果として、この映画は「戦争責任をどう記憶するか」をめぐる日本社会の分断と、アジア諸国との歴史認識の溝を象徴する作品になった。


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