何かが終わった。

数日前、Xをたらたら見ていたら、僕のお気に入りのbluesharp (@bluezharp)という垢から、この声(⬇︎)が飛び込んできた。この曲は、I’d Rather Go Blindという曲なのだが、日本で知られた曲かどうか分からない。ブルースとかソウルというカテゴリーでは、クラシックになっている曲なので、曲名は知らなくても、どこかで耳にしているかもしれない。このポストの動画では、Beth Hart がメロディも歌詞も分からなくなるくらい彼女ふうにアレンジしているが、彼女が歌っているのは、確かにI’d Rather Go Blindだった。

この曲は、歌詞の詩的なクオリティも評価されていて、偉大な両面シングルの一つだと称賛する批評家もいる。なぜ両面なのかというと、この詩の歌い手が、失った子を慕う母親とも、別れた恋人を慕う女性とも解釈できるからだそうだ。あなたはどう解釈するでしょうか。下に歌詞を載せておきます。

Something told me it was over
When I saw you and her talkin’
Something deep down in my soul said, ‘Cry, girl’
When I saw you and that girl walkin’ around

Whoo, I would rather, I would rather go blind, boy
Than to see you walk away from me, child, no

Whoo, so you see, I love you so much
That I don’t wanna watch you leave me, baby
Most of all, I just don’t, I just don’t wanna be free, no

Whoo, whoo, I was just, I was just, I was just
Sittin here thinkin’, of your kiss and your warm embrace, yeah
When the reflection in the glass that I held to my lips now, baby
Revealed the tears that was on my face, yeah

Whoo and baby, baby, I’d rather, I’d rather be blind, boy
Then to see you walk away, see you walk away from me, yeah
Whoo, baby, baby, baby, I’d rather be blind… 

何かがもう終わりだと告げた
君と彼女が話しているのを見たとき
心の奥底で何かが言った、「泣けよ、お嬢さん 」って
君とあの娘が歩いているのを見たとき

目が見えなくなる方がまし
君が僕から離れていくのを見るよりは

君を愛してる
あなたが私から去っていくのを見たくない
自由にはなりたくない

Whoo, whoo, I was just, I was just, I was just
あなたのキスと温かい抱擁を思いながら、ここに座っている。
唇に当てたグラスに映ったのは
私の顔に浮かんでいた涙が

私は盲目でいたい
君が私から離れていくのを見る
ウー、ベイビー、ベイビー、それなら盲目の方がましだ… 

bluesharpという垢からは、好みの曲なんていくらでも出てくるので、それについて全部書いてたら、毎日音楽の話をするはめになるので、めったに音楽の話は書かない。今回例外的に書き残しておきたいと思ったのは、歌詞の初っ端の Something told me it was over を聞いた時、「あっ、これだ」と思ったからだった。

逐語訳すると、「何かがそれは終わったと伝えた」になる。「それ」が子供を失ったということなのか、恋人と別れたということなのか、あるいはまったく違うことなのかは、聞き手しだいなのだけど、僕は瞬間的にハッと思ったのは、今という時代のことだった。この「it」が何であるのかは、人によっていろんな説明になるだろうと思うが、「何かが終わった」と感じている人は少なくないのではないだろうか。

今までそこにあるのが当たり前だと思っていたもの、誰もが当たり前と信じていたもの、そういうものが無くなったという気分が今の時代を代表する気分だと僕は感じている。もちろん、そんなこと何にも感じない人もたくさんいるとは思う。だから、Something told me it was overと聞こえてきても、それが耳を素通りしていく人もいるだろう。「何かが終わった」と感じている人の中には哲学者もいる。それが「ヨーロッパの死」という言葉に代表される。その場合、この歌詞が言う失ったものは、子供でも恋人でもなく、人類の思想のすべての積み上げということになる。哲学者も今、I’d Rather Go Blind(見えない方がまし)と思っているのではないだろうか。

この曲のオリジナルは、1967年にエタ・ジェイムズによって初めてレコーディングされ、あの年1968年にリリースされた。

この動画のタイトルでは、なぜか曲名がAll I Could Do Was Cryとなっている。”All I Could Do Was Cry”もエタ・ジェイムズが歌った曲なので間違えたのかもしれない。ビヨンセがここで歌ってる曲は、確実にI’d Rather Go Blind。

2008年の映画『キャデラック・レコード 音楽でアメリカを変えた人々の物語』(現代は、Cadillac Records)で、エタ・ジェイムズ役をビヨンセがやり、この曲を歌っている。

投げ銭

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コメント

コメント一覧 (2)

  • なぜか横にそれて、恋人と別れる歌といえばラブ・イズ・オーヴァー/欧陽菲菲が思い浮かびました。
    歌詞の翻訳ありがとうございます。
    ご紹介の歌詞は本当に表現が詞でなく詩に感じます。深い…。
    歌詞の翻訳を一度拝読した時、夫婦の離婚による幼い娘とのとの別れの際の父親の心境のように私は感じました。
    何回読んでも、父親が母に連れられて行く幼い娘との回想とともなる叫びのように私は感じます。
    当たり前というのは失われて初めて当たり前の意義を知り実感します。
    「当たり前やん」という言葉も個人の意思表示であり事象の当たり前でもなく。
    当たり前は儚いもの尊いものと知り得るのは心身に痛みを生じたとき。喪失ですね。

    狂気に満ちたイスラエルの戦争犯罪を、世界で無視無関心でいられる人々が絶望的に多く、それが人類の終わりを意味することまで気づけてない人も多い。
    今は、人類「として」何か終わった段階。どうすれば?と一個人でもがく毎日です。

    • コメントありがとうございます。
      喪失の詩のように感じます。
      何を失ったかは、読み手/聞き手しだいで色々だと思いますが、
      いっそ見えない方がいいというところに到達する気分は共通かもしれないと。

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