明けましておめでとう、2025!

原文のタイトルを忠実に訳すと「明けましておめでとう。私たちの社会は、あなたが疑っている通り、病に侵されています」になるが、日本の正月文化的にはあまりに無粋な気がしたので、上のように単純化した。

これは、『Caitlin’s Newsletter 日本語版』用の記事だが、お正月なので、1月5日まで一般公開にした。

この記事でケイトリンさんが書いている、「はっきりとは分からないが何かおかしい」という感覚は日本でも確実に広がってきていると思う。これを書いている2024年末の日本にそういう感覚があることを確認しておきたい。

しかし、今の日本の何がどうおかしいのかとなると、ケイトリンさんが列挙している以上に、我々全員が同意できるような明確な理解が共有されているわけではない。だから、日常生活で「なんかヘン」以上の話に進むことが難しい。

【Caitlin’s】攻撃が本当に始まるのはどこなのか?にも書いたけれど、「narrative」もしくは「物語」の問題をこの記事でもケイトリンさんは取り上げている。欧米メディア、及びその劣化版としての日本メディアが浴びせかける「narrative / 物語」のシャワーの中で我々は生きている。そして、我々の「世界観」はその「narrative / 物語」の絶え間ない積み上げによって形成される。

この記事では、この過程の興味深い心理的側面に彼女は言及している。以下の部分だ。

This propaganda places ideas in our heads which we are tricked into believing we came up with on our own. These tricks work because they hook onto egoic tendencies within our psyches whose nature we are largely unconscious of.
訳:このプロパガンダは、私たちの頭の中に考えを植え付けるのだが、それを自分自身で考え出したと信じ込むように私たちは仕組まれている。これらの策略が機能するのは、私たちがほとんど意識していない精神のエゴ的な傾向に食い込んでいるからだ。

とても日本語にしにくい部分だが、意味が外れないように構文を分解して訳した。興味深いと書いたのは、「他人から得た考えを自分で考え出したと信じ込む」現象をプロパガンダの拡散と関係づけているところだ。

僕もこの現象に出会うことが時々あるが、たいていの読者も同様の経験があるのではないだろうか。例えば、こんなことがあった。誰かに僕がある本の紹介をした。その人はその本について全然知らなかったが、ざっくりとした僕の紹介に関心を持ち、読んでみると言って、その場は終了する。そして、数年後またその人に会う。彼は愛読書の話を持ち出す。ずっと若い頃から何度も読んでいるその本を僕にも読めと薦める。しかし、その本は数年前に僕が彼に紹介した本だった。

とても奇妙なのだが、彼がどうやってその本に出会ったのか、彼の記憶には本当に無いようなのだ。そして、彼の頭の中には長い間その本とともに過ごしてきたという物語が出来上がっていて、彼にはそれが彼自身の作り話であるという意識もまったく無い。意図的に嘘をついているようにも見えない。あまりに奇妙だし、気持ちも悪いので、僕は何も指摘せず、彼が語る物語を聞いている。

彼の中に記憶の錯誤が起きているのだと思う。そして、それが真実となって彼の世界観が構築される。記憶の錯誤は、自分も含めて誰にでもあるものだと思う。それが自分の自我の安定に必要不可欠なパーツとして、物語に組み込まれ、世界観がそれによって構成されると、単なる錯誤がとてつもなく大きな力となってしまう。

この例はたわいのない話かもしれない。しかし、本題に戻ると、誰かが吹聴する「ナラティブ/物語」、あるいは「権力がばらまくプロパガンダ」が人の頭の中に入り、それがまるで生き物のように成長して、その人を動かしている例を見ないだろうか。僕はSNSでそのようなケースが大量にあると感じている。

「ナラティブ/物語」は、「世界観」と表裏一体なのだが、外から植え付けられた「ナラティブ/物語」を自前のものであると信じ込むことのB面は、そもそも自分の世界観がどうやって形成されたのかについての意識がまったくないということだ。次の一節は、そのことを言っている。

We live our whole lives marinating in power-serving narratives about the world and our place in it. It’s all we’ve ever known, so we think it’s normal. It almost never occurs to anyone to question how their worldview got into their heads in the first place; to most of us it just looks like truth and common sense.
訳:私たちは、世界とその中での私たちの位置について、権力に奉仕する物語(power-serving narratives)に浸りながら一生を過ごす。それが私たちが知るすべてなので、それが普通のことだと私たちは考える。そもそも、自分の世界観がどのようにして自分の頭に入ったのかを疑問に思うことはほとんどない。ほとんどの人にとって、それはただ真実であり、常識のように見える。

自分でない誰か他の人に、例えば、世間に、テレビに、新聞に、推しのタレントに、好きなお笑い芸人に、大金持ちのインフルエンサーに、エンタメ学者に、あるいは権力にあてがわれた「ナラティブ/物語」をそのまま空気のように吸い込み、それを基にして出来上がった「世界観」をもって生きている人たちも、社会に不満や怒りを持ってもおかしくない。

しかし、その不満や怒りが現状を変えるのではなく、現状を固める方向へ向かうかもしれない。なぜなら、彼らの世界観は、現状を固定することによって自分たちの利益を最大化することが出来る層が与えたものだからだ。例えば、「身を切る改革」とか「日本を豊かに強くする」とか「世界に大調和を生む」とか「政権交代こそ政治改革」いう気持ちよくしてくれる「ナラティブ/物語」を与えられたら、たとえ実際の中身は現状の固定か悪化に向かうものであったとしても、またそれに乗ってしまう。

政治への不満が増大する時には、どこの国でも多くの新興勢力が現れる。小さな政党が乱立する。現状の不正な体制の打破に取り組む政党がある一方で、一般の不満を吸収して現状固定のために利用される「反体制」政党もあるだろう。日本では、多くの国民がこの見極めが出来ないために、次から次に体制権力補完政党が登場して一定の人気をさらっていく。この大きなトリックに、日本国民がほとんど無力な理由こそ、体制権力に配給された世界観の本当の恐ろしさなのだ。

そのことをケイトリンさんは次の一節で書いているのだが、次の表現に彼女の悔しさが滲みでているように思う。

“herd the public into supporting the status quo”

herd というのは、羊飼いが羊の群れを一方向に誘導する時などに使う動詞だ。つまり、一般人(the public)が、現状(the status quo)を支持する(support)ように誘導する(herd)。羊のように飼い慣らされた我々の状態に対するケイトリンさんの揶揄、自嘲、悲嘆をherdに感じざるを得ない。

This discontentment is currently being funneled by the powerful into faux populist movements designed to herd the public into supporting the status quo while allowing them to feel as though they are waging a brave revolution against the establishment.
訳:この不満は現在、権力者たちによって、国民を現状維持を支持するように誘導し、自分たちは体制に勇敢に立ち向かう革命を遂行しているかのように感じさせることを目的とした偽りの大衆運動に利用されている。

最後の一節で、ケイトリンさんは、我々のやるべきことを書いている。

Our job at this point in history is to try to steer this growing restlessness toward health and clarity.
訳:この歴史の転換期における私たちの役割は、この高まりつつある不安を健全で明晰な方向へと導くことだ。

この文に続いて、彼女は具体例を4つ列挙しているが、これらは他の言葉を使って言い換えれば、与えられた「ナラティブ/物語」から目を覚まし、自分の「世界観」を再考し、世界の再構築に向かうことを促すということだ。

世界観を意図的に変えるというのは難しい。あるいは不可能かもしれない。「私の世界観はABCです」というような作文を作ることは可能だが、そういう記述で説明し尽くせるものでもない。小さな無数のパーツの積み上げで、自生的に出来上がるものだろう。

だからこそ、外から供給される「ナラティブ/物語」には厳重な警戒心を持つ必要がある。そして、世界を見直す。自分の世界観の正体を自分の意識に晒す。それが、人間が羊にとどまらず、人間の個として成長する過程に必要な作業だ。

ケイトリンさんが私たちのやるべきこととして書いている「高まりつつある不安を健全で明晰な方向へ向ける」こと、それが激しい無力感を味わいながらも、Ray of Letters でやるべきことだと思っているし、それによってやがて世界の再構築に向かう扉を明けることが出来たら、その時本当に「明けましておめでとう」と言いたい。

明けましておめでとう。
私たちの社会は、あなたが疑っている通り、病に侵されています by Caitlin Johnstone

[原文情報]
タイトル:Happy New Year. Our Society Is Every Bit As Diseased As You Suspect It Is.
著者:Caitlin Johnstone
配信日:Dec 19, 2024
著作権:こちらをご覧ください。
原文の朗読:こちらで聴けます。

私たちの社会が深刻な病に侵されていることは、誰もが何となく感じている。感じ取っているのだ。何が間違っているのかについては激しい意見の相違があるが、誰もが、異常で不自然なことが起こっていると感じている。

この病気の原因は一見しただけでは明らかではないため、私たちに病を感じさせる原因について、数え切れないほどの説明が聞かれる。

  • ある人は、私たちの生活に宗教が十分でないからだと言う。
  • またある人は、宗教が多過ぎるからだと言う。
  • またある人は、この国民の半分が間違った政治的イデオロギーを持っているからだと言う。
  • またある人は、トランスジェンダーや移民が多すぎるからだと言う。
  • またある人は、人類そのものが生まれつき腐っているからだと言う。
  • またある人は、ユダヤ人やフリーメイソンやネオ・マルクス主義のテクノクラートの邪悪な陰謀に社会が支配されているからだと言う。

誰もがこのジレンマの本質については意見が分かれるが、何かが非常に間違っているということについてはほぼ全員が同意できる。

問題の根源を特定することが難しいのは、そのすべてが隠蔽されるように設計されているからだ。私たちは、選挙で選ばれていない富裕層や帝国の経営者たちに支配されており、彼らは支配者であることを積極的に隠そうとしている。 これらの寡頭制の支配者たち(oligarchs)は、ニュースや信頼できる情報源を装ったプロパガンダを駆使して、私たちの心を操ろうと絶えず画策している。

このプロパガンダは、私たちの頭の中に考えを植え付けるのだが、それを自分自身で考え出したと信じ込むように私たちは仕組まれている。これらの策略が機能するのは、私たちがほとんど意識していない精神のエゴ的な傾向に食い込んでいるからだ。

これらがすべて組み合わさって、一般の人々の利益にはならないシステムを容認するように仕向ける。そして、そのほとんどは、すぐには見えないように隠されている。

私たちは、自分が自由であると思い込みながら(なぜなら、その支配の仕組みは私たちには隠されているから)、金持ちや権力者が望む通りにほぼ正確に考え、話し、投票し、働き、買い物をし、お金を使い、行動するようマインドコントロールされたディストピアに身を置いていることに気づく。

私たちが物事を考え理解できる年齢に達するとすぐに、私たちの思考や理解は、これまでに考案された中でも最も洗練された大規模な心理操作システムによって、権力者たちによって形作られる。

私たちは、世界とその中での私たちの位置について、権力に奉仕する物語(narratives)に浸りながら一生を過ごす。それが私たちが知るすべてなので、それが普通のことだと私たちは考える。そもそも、自分の世界観がどのようにして自分の頭に入ったのかを疑問に思うことはほとんどない。ほとんどの人にとって、それはただ真実であり、常識のように見える。

しかし、私たちは富裕層や権力者層が一般市民を犠牲にして利益を得るように設計されたシステムの下で暮らしているため、現状のやり方が本当に機能していないことを誰もが痛感している。資本主義に内在する不正や不公正がますます悪質になるにつれ、この「何かがおかしい」という感覚はますます広がり、深刻化していく。この不満は現在、権力者たちによって、国民を現状維持を支持するように誘導し、自分たちは体制に勇敢に立ち向かう革命を遂行しているかのように感じさせることを目的とした偽りの大衆運動に利用されている。

一般市民は、何かがおかしいと感じながらも、それが何なのかをうまく言えないため、尿路感染症を患う認知症患者のようにますます不安になり、苛立ちを募らせていく。この不安は、狂気じみたものから極めて明晰なものまで、ヘイトクライムや人種差別運動から大量虐殺に対する抗議運動、そしてより良い世界は可能だという認識の拡大まで、さまざまな形で噴出しています。

この歴史の転換期における私たちの役割は、この高まりつつある不安を健全で明晰な方向へと導くことだ。

  • 人々が真の悪者がどこにいるのかを理解する手助けをすること。
  • 悪用や不正なシステムを明らかにすること。
  • 人々が「何かが非常に間違っている」という感覚を深めていることは絶対的に正しいことなのだと念を押してあげること。
  • その原因を正確に理解できるよう手助けすること。

新しい年を迎えるにあたり、人類がより良い未来への道を見つけられるよう、私たちは皆で取り組むべきだ。

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