Live 26「戦争と人道:基礎2」レビュー

案内

今回は、難民という概念を正面から取り上げます。制度としての難民、法概念としての難民、人間としての難民に出会えるように。

目次

4. ネーション・ビルディング
 1) Nation-building vs  State-building
 2) ネーション・ビルディングの現実
 3) Peace Keeping Operation との関係

5. 難民
 1) 難民条約とUNHCR
 2) OAU Convention とCartagena 宣言
 3) Asylum Seekers, Refugees, Returnees, IDPs
 4) 難民問題の3つの解決

6. 占領と人道
 1) 再びジュネーブ条約ー戦時国際法・武力紛争法・国際人道法
 2) 占領国の責任
 3) 国家の承認

下は参加するための必読記事。

援助プロジェクトに関する覚書

僕の母への歌(A Song for My Mother)

7月31日まで全録画半額セール中。クーポンコード:GJU8HNTS

レビュー

アフガニスタンの約4千万人の国民の明日を考えたら、受講後、涙が止まりませんでした。一人でも多くの方に、この講座を聞いてもらい、『国際社会の知性』を高めてもらいたいです。

その意味でも、中高生対象の講座は是非開催していただきたいです。その際に、一人ひとりの受講者が身近に思える様に、ヨシさんが持っているエピソードを、是非一緒に聞かせていただきたいです。

報道を見ても「なんで?」とわからず思考停止していたので、今回お話ししてくださったことで、何がどんな枠組みで動いているのかなどが多少わかるようになったと気がします。それでも、まだまだ分かりやすく説明してくださったことの上澄みのいっちょかみの知識にすぎないので、継続して学んでいきたいです。今回の内容を知らずに社会を見ること語ることは危険だと思いました。

参加できてよかったです。ありがとうございました。

基本的なことの概説に加えて一般の人が知らない情報も列挙され非常に勉強になりました。

1951年の難民条約は頭にありましたが、1969年のOAU難民条約や1984年のDECLARACIÓN DE CARTAGENA SOBRE REFUGIADOSは完全に抜け落ちていました。

毎日、新聞に目を通し、ネットで検索し、書物を読み込んでいても、知らないことばかりだと痛感しました。ここから深めていきたいと思いました。そういった意味で大変有意義な2回の講義でした。

法と組織、支援を行う先の人々、これらの間で人道支援を行っていくというのはもう思いも及ばないありとあらゆる苦労があるのだろうなと感じられました。

また、今回難民の定義を改めて学んだのですが、一括りに難民と思っていた人々も4種に分かれるという事を知り、日本で昨今表面化してきている入管収容されている人達が、今日の難民の定義からすると明らかに難民となり得るのでは無いかと思われる人々が難民認定されずにいるのか、この辺りをもっと探り、改めて難民について勉強してみようと思いました。

勉強になりました。ありがとうございました。

開催ありがとうございました!

難民の定義など、初めて知ったことがたくさんありました。

日本の報道では曖昧に言葉が使用されているのだと思いました(私が理解できていなかっただけかもしれませんが)

平和維持活動についても日本での報道のされ方は国際的な視点と乖離しているのだと感じました。

また、これから学習し続けるためにも、英語で主体的に情報が取りに行けるようになる必要があると痛感しました。

yoshilogLiveは参加するたびに自分の無知を知り、学びへの意欲が湧き上がります。

前回に続き今回も参加しました。濃い内容でしたがこの2回でまだ「基礎」ということで、とても奥深いものであることを改めて認識しました。

ありがとうございます。

戦争状態から平時の国へ持っていくための話は、日本の戦後に話そのものとして聞きました。たしかにそうです。それは一応成功したように見えますが、いうほど成功してないと思います。今までの日本の戦後の話を一つ上の層から捉えることができました。

話を聞くことがきできてよかったです。

今日はありがとうございました。大変勉強になりました。

四方丸く収まる解決法はなく、ディレンマを抱えてそれでも日々状況がより良くなるようにと働く方々の姿が垣間見えたように思いました。

新帝国主義のお話、西洋の思想の押し付けをせず、その国の背景や文化を尊重すべき、色々なカラーの国があって然るべきと私も思いますが、同時にどの国の国民になるかも、もっと自由に選べれば良いのにと思います。その国に生まれたからってその国の文化が好きとは限らないと。

戦争と人道:基礎1 基礎2について学ばせていただきました。

正直、自分は今まで何を学んできたのか?本なども読まなかったのか!馬鹿者!!というのが一番の感想です。本当に情けない。偏向報道にまんまと騙されて。自分が子供を持ってやっと気がつく、世の中のプロパガンダや、理不尽。

若い頃は、真面目に親の指示に従いなんの疑いもなく過ごしていました。

高齢者の親も私程理不尽には感じていないと思います。なのですぐに騙される。

繰り返しになりますが、若い時は気がつかないのです。だって、親も気がつかないから。言い訳かもしれませんね。

若くて、脳が潤滑に活発に働く時に学んでいれば。吸収力も違うだろうと、日に日に衰える身体機能に悲しくなります。記憶力、集中力。😩

子供によし先生の講義の事を何度か今まで話しています。理解度が早いです。 又。コミュニケーションになり、良い機会をいただいております。

Z世代に伝承し彼らの身となり知性となり生きる上での道しるべになれば良いですね。

本日もありがとうございました。

中高生向けだと50分ぐらいで、一章のみが良いのかもしれません。あくまで個人的な意見です。

難しい問題をわかりやすく解説いただき有難うございました。

一番印象に残ったのは「アフガンの女性問題のみに着目してタリバンを認めないことによる、アフガン女性問題の悪化の懸念」です。前回例に挙げられてた「日本だってジェンダー平等は遅れているけど、それは政権が変わったら突然すべて解決する問題ではない」でも思いましたが、多面的な問題の一面だけを取り上げることの危険性は、この問題に限らずあるということを理解するのに説得力がありました。

また、前半の平和維持活動について、あらゆる省庁機能を持ったNation packageがわーっとやってきたら、去り方が重要になるということもよくわかりました。

いわゆる先進国やG7の価値観と、そうでない独自の文化を持つ地域とのお互いを尊重しあう共存は永遠のテーマなのだと思いますが、それでも難民の定義がUpdateされたり、解決策として隣国以外でも負担を分かち合う、など国際社会で助け合う機能構築は希望が持てました。日本もその責任と役割をもう少し自覚できる人に国をリードしてほしいと思いました。

本日もたくさんの学びと、わかりやすい資料をご準備頂き、有難うございました。

戦争が始まり終結してからの援助活動にまつわる事を広く学べてよかったです。今まで細切れにされたどこか一部分しか見ていなかったことがよくわかりました。他所者が統治することの難しさと国連の複雑さに暗い気持ちで入った「休憩」で流れたEverything’s gonna be alrightで、自分は諦めるのが早過ぎると反省し、気を引き締めて後半に臨めました。

二週にわたってのお話で、戦争と人道というテーマでは無関係と思っていた知性教養教育の重要性が、未来への希望という形で私に残りました。改めて時間を作って復習したいと思います。

ところで、エンディングの選曲は興味深いなあ、と。あれは国連が失恋したのでしょうか。YoshilogさんがUNに失恋したのでしょうか。またはアメリカか。無粋だなと思いつつ書かずにおれませんでした。そして私も今失恋した気分です。(いや、新たな希望を見つけたけど)

日本でこういったことが知られていないのは、メディア、企業、支配層が勉強していないからではないかと推測します。本イベントやその発展形をパッケージ化して、お金のない若者には廉価に、知っているべきメディアや官僚や世界的に展開する企業などからは十分な対価を取って提供するといいんじゃないかと思いました。

今日のライブは今までの中で最も高濃度に知識として持っていなかった名称、定義、歴史とその背景に及び、非常に勉強になりました。

すでに2時間にサマライズされてもこの情報量と解像度で、これをどのようにして多くの人々の基礎知識として伝えられるかは非常に悩ましいなあと。かなり興味をもっていないとついてゆけない、しかしながら日々のニュースを批評的に理解するためには、このトピックに限らず基本的知識を学んだことがあるかがやはり問われる。

アンケートの中に「中高生向け」というプログラムの可能性を示唆する部分がありましたが、社会への好奇心を持っている一種のアーリーアダプターから、かつ文字通りアーリーな年齢から基礎を知ってもらう機会を作ってゆくことは非常に意義があることだとおもいます。

広く一般にではなくリベラルエリートの養成だろうというような見え方もされるでしょうが、そもそもそうしたエリートが全くもって足りていないという状況が現実であって、知のトリクルダウンなどというものがあるわけではないにしろ、もはやスタートラインにすら立てていないところまで後退した知性の立て直しとして、その計画は重要な布石だとおもいます。

これだけのスライド資料をまとめることのモチベーションとその労力に、感服と感謝と感動をいただきました。いつもありがとうございます。

Yoshiさん、今日もありがとうございました。

Yoshilog Live No.26 戦争と人道:基礎1に引き続き2も充実の内容でした。今回は戦後の国の立て直しの部分でした。nasion buildingとstate buildingの違いとその内容についての詳しい説明で、PKOや国連の支援の組織がどのように破壊された国の再建に関わってプロジェクトを遂行するのかよくわかりました。

基礎2に参加するにあたって、Yoshiさんから参考記事がたくさん出て、その記事を読んだことで、今日の説明がその内容の大事な骨組みだということが理解できました。

人道支援は、人と人の間で行われるもので、国や地域によって文化や考え方も違う中で、多方面で多くの人にとって特に一番困っている人たちにとって最善の方法を考えて実施されていることがわかりました。最善の方法と思っても成功するとは限らず、常に挑戦と再考を繰り返しながら、困っている人々の生活のために尽力されていることも知りました。

Yoshiさんはその中でリーダーとしてプロジェクトを立ち上げて実際に多くのアフガニスタンの人々の支援をされてきたということを改めて知り、感激しています。私は、子育てで、たくさん努力してきたと思っていますが、努力が全く役に立たないこともあり、人は複雑で子供を育てる難しさを感じることがあります。

その人と人との人間関係は単純であるはずがなく、それがいろんな国、地域、民族など多種多様な人々を相手にした人道支援の場になったら、どれだけ複雑で難しい問題が起こっているのか想像するのは難くありません。

難民とは何か、難民の解決とは何か、占領国家の責任、国家承認とは、これらのお話を聴きながら、必須課題「僕の母への歌(A Song for My Mather)」と「援助プロジェクトに関する覚書」の内容を思い起こしました。難民という大きなくくりの言葉の中に一人一人の人間の生があることを胸に刻みました。

Yoshiさん、今日も遅くまでありがとうございました。お疲れ様でした。

今回も大変な量なのだと思われるテーマの内容を、私のような何も知らないものにも分かりやすく説明して下さりありがとうございました。もっと若い時にこういうことを勉強したかった。

いつも学びの機会をありがとうございます。

今回特に驚いたのが「占領」と言う決まり。私が日頃思っていた「占領」は国の制度も変えてしまうものでした。国土や国民をそのままに宗教も変える事が出来ないとは。これも歴史から制度化されたものですよね。nationとstateの違い。実際、何かをしようとすると分離は難しいものなんでしょうね。そして難民についても。先ずは、アフガニスタンが早急に国と認められ独自の国を建設していって欲しいです。

腐敗した政府を持つ日本としても選挙という武器を活用し政権交代するよう頑張らねばと。そしてアジアの一員として国際社会に貢献して行きたいです。難民を受け入れ共にお互いの文化を育てて行ければと思います。 いつも纏まりのない文ですみません。

今日もありがとうございました!

戦争や紛争によって国という機能が無くなった時に何が起こるのか。国際的な援助の仕組みを体系的に学ぶ機会はこれまで全くなかったため、非常に勉強になりました。組織図を見るだけでその中で成果を出していく困難さが想像され、そのような中で仕事に取り組む人々がいることに尊敬の念を感じます。このような活動があることを、日本の若い人たちにも知ってもらえたら、将来外に飛び出して活躍してみたいと思う若者も増えるのではないでしょうか。

難民に関しては、何よりも日本の受け入れ態勢がないことが残念で恥ずかしいです。島国ニッポンでは、自国から難民を出すことなど全く想定していないのでしょうか。共感力のかけらも感じられず、成熟した大人の国から程遠いです。将来、自分が難民になるとしたら、どういうシナリオなのか、その時自分にできることは何なのか、シミュレートする上でも(利己的な動機ですが)勉強を続けたいと思います。

今日の資料は英語メインで、無粋な直訳日本語よりは、自分には明快で、本質的な意味を把握するのに助かりました。直訳の日本語攻撃だったら、相当辛かったと思います。

911のとき アメリカは深い恨みを買っていることに気づくのだろうか…と思いました。しかし圧倒的な経済力を背景にした軍事力での解決を図ったことから 気付きは無かったのだろうと思いました。本土を攻撃されたことがなかったので ショックが大きかったのでしょうが…。ビンラディンを仕留めたときに撤退せず いったい何をするんだろうと思いました。

日本はアジア太平洋戦争敗戦で女性にも参政権が認められたり 進歩的なことがありました。昭和30年代後半の私の小学生時代には 大分後退したとはいえ教室には「自分の言いたいことをはっきり言う」などの言葉が書いて貼られていました。私の子供たちの頃は「みんな仲良く」などと書かれていました。個人が考え自分の考えを持つということが大切だという感じではなくなって来て久しいように思います。敗戦後の日本に天皇制を残したことで 統治しやすかった側面はあったのだろうと思います。しかしそれは責任をとらないで済むこともあるという強力なメッセージを残し 過去の亡霊を生き永らえさせ今また台頭しつつあります。

日本であれアフガニスタンであれ 今在るいろいろな問題を知性で粘り強く改善していくしかないのであろうということは解ります。衣食足りて礼節を知るという言葉もあるように 日々の暮らしが安定することがまず求められる事でもありましょうけど。 でも人は正しい意見だからそれに従うのではなく その人のことを「すごい」「いいなぁ」と思うからその意見も取り入れるし そうありたいと願うもののようです。何をもって「すごい」「いいなぁ」と思うのか 危ないところもあると思います。暴力の世紀は20世紀で終わらせたいと思いますが 誰も懲りていないようにも思えます。

知性で解決していくなら 今ならまずcovaxを成功させ 「国連っていいなぁ」「国際社会で認められるようになりたいなぁ」という憧れを持ってもらうことが大切なチャンスなのではないかと思います。「民主主義なんて言っても 口先ばっかりね…」と落胆させることは大きなマイナスになるのではないかと思います。covid19の封じ込めに成功しているように見える中国ですが、ここでアメリカがライバル視する国に先手を打たれては 暴力の時代を継続深化させてしまう心理的な後遺症が出そうです。非暴力で鮮やかな手並を見せることが対話による知性での問題解決に繋がっていくのではないかなどと考えました。

インディアンを蹴散らしてできたアメリカですが 日本の占領で今度は占領することの味を占めたのではないかと思います。変に自信をつけてしまったのではないかと思います。徳川三百年の専制に慣れた私たちは「天皇の赤子」も「戦後民主主義」も 今の「自宅療養という放置」も「ご無理御尤も」と頭を下げてやり過ごそうとしているかのようですが こんな専制に慣れた民はそうそうそこら辺にはいないので 他国でのアメリカご都合主義国家の形成には失敗しています。こんなに専制国家慣れして従順な民がいることは滅多にあることではないので 原爆で脅しつけたりしても言うことを聞かせることはそうそうできるものではないという事にいい加減に気付いてほしいと思いました。そこに気付かないと より強大にならなくてはという強迫観念で過剰に生産消費し温暖化を止めることが出来ず みんな絶滅してしまいそうです。新技術の開発で温室効果を抑制しつつ経済活動は活発にしていく考えには限界がありそうに思えます。人は齷齪し続けるために発生したわけではないでしょうに…などと思いました。

専門知識を持ち合わせていない私にもわかりやすく、興味深い内容で2時間があっという間に過ぎました。このような機会を作っていただき感謝しております。

アフガニスタンを国家として承認することの是非について、ニュースではなかなか理解できませんでしたが、「国家として認められないとどうなるか」という視点をいただき、合点がいきました。

文化や宗教の上から成り立つ価値観を正しいと信じることはアイデンティティを確立するために大事なことではありますが、それを違う背景を持つ他者に強引に押し付けること、自分の正義を振りかざすとどうなるか・・・規模は違えど、個人レベルでも国家レベルでも同じであると改めて考えました。やはり、他者を知ること、根本的な違いを理解すること、そして俯瞰できるようになることが重要であると感じます。

わかりやすい講義だったとはいえ、人に説明できるくらい理解ができているかと聞かれたらまだまだのような気がします。今回の講義を復習しながら、さらに勉強を続けられたらと思います。

そして、中学、高校生である子どもたちにも是非よし先生の講義を聴く機会があると嬉しいです。

「‘’戦争はいけない”と言うだけでは戦争は無くならない。どうしたら無くせるのか考えろ。俺が生きている間は戦争は無くならないと思っている。」

昭和一桁生まれの父が言っている事です。私も日頃それは思っている事ですが、今月、ちょうど良いタイミングでこのイベントをがあり、基礎1に続き参加しました。

初めて聞くことばかりで基礎1からの復習が必要ですが、現時点で印象に残っている事は以下の通りです。

1)私の想像以上に平和維持/人道支援活動の現場が混沌としている事

2)アフガン人はアフガン人としての、パキスタン人はパキスタン人としてのアイデンティティが無い事

3)「難民」の定義の一つが「国籍国の外にいる事」である事!

アフガニスタンを国家として承認するかどうかというくだりで、Yoshiさんが「国際社会の知性が必要」と仰っていましたが、確かにそうだなと感じました。

まずは仲間として認める。女性の人権問題は本当に難しい事ですが、女性に関わらず人権というものが生死に関わる問題と同等に人間の最重要問題である事を、タリバン政権と市民が理解する為にも、彼らを国家として認める事は急務だと思います。そして「世界は貴方たちを見ている」という態度と共に、こちらも自分達の価値観だけが本当に正しいのかと自問自答する謙虚さも必要かと。双方、特に迎え入れる側に辛抱強さと知性が必要とされるのでしょう。

あとは経済ですね(難問過ぎてこれ以上コメントできず)。

タリバン政権の承認の事を考えていたら、自民一党支配の日本の現状が少し重なりました。「自民党は駄目だけど、他に任せられる党(人)が無い」と言う人には、バイデン氏がアフガン撤退の一因として挙げた「自分たちで戦え」という台詞を献上します。市民が、自らの安全や生活を他人に預けっぱなしではその国は堕落します。ベストでなくとも小さなベターを選択し、進行をチェックする事。選んだ代理人を「国民は貴方たちを見ている」と監視し、育てる事。三流の政治家が多いのは私たち日本市民が未熟で三流だからですが、その気になれば双方とも成長できる筈だと思いたいです。

大相撲初日観賞終了(照ノ富士、豊昇龍、明日も頑張れ)。夕食の片付け終了。これから復習します。今日もこのライブでしか知り得ない話や視点の講義をありがとうございました。この続きも期待しています。

★蛇足 : Lai Youttithamさんのギター、YouTube で聴きまくっております。「あ、ここ弾いてて気持ち良いだろうなあ」と思うと、これまた泣けてきます。

基本概念を丁寧に説明してくださり大変勉強になりました。Nation-building/State-buildingの違いなど、とても興味深いものでした。stateとして国家が成立しても、状況によってnationとしては破綻に向かうこともあるのでしょうか(というのも私自身が国家への帰属意識が薄いと感じるため)。

必読記事の「援助プロジェクトに関する覚書」を読むことで、今日の講義内容の理解が深まると思います。中高生向けもケーススタディの導入部があればよいと思います。

今後の勉強のための、または場合により現場の仕事に応用していくための出発点として必要な事柄や課題を教えていただいたと思います。個人的に新しいことももちろん多くありましたので全くの「うすうす」とは思いませんでしたが、それぞれの項目について、やはりそれぞれ間口も奥行きも高さもとても大きいであろうことを容易に想像するところでしたので、もっと突っ込んだお話も聞いてみたかったのが個人的な感想です。

事前資料と見比べながら拝聴したところもありました。援助は人間相手に行うことであり、アフガニスタンならアフガニスタンの人々がいかに人間として善く生きるためのサポートを行うか、ということにフォーカスしない援助はやはり失敗に終わるのですよね。少なくとも自給自足の原始社会ではない以上、どこまでも経済の論理がついて回る。物を作ることはできても、それを売ってお金に代えなければ意味がないので、その意味ではマーケットのリサーチから始めて新しいビジネスモデルを作っていくような起業家の精神と実践が援助活動にこそ求められるのでしょう。それも当事者のためにはなるべく成功する必要があるので、援助は援助する側の自己満足や学習のためではなく、結果をもって評価を行うプロの世界の仕事、というふうに自分の中では腑に落ちています。

人道について語る時、国家とは、社会とは、国民とは、という近代政治学の基本が問題になるのも、さもありなん、と思います。例えば、自国にいて政治的な理由から恐怖を感じる人は逃げていい、という難民の定義の原則や精神は、人はそれぞれの一度きりの人生における幸福を追求していい、という近代精神の賜物を見る気がします。人道を規定するものは個人の尊厳の尊重であると私は思いますが、これは人類がその歴史において見出し、幾度もの戦いを経て勝ち取ってきた輝かしい普遍的成果であり一般原則であって、今また戦いの中で誰かがそれを失おうとしている時には、その一般原則に基づいて手を差し伸べるのが(具体的な主体と方法は別にして)人道援助、ということになるのかな、と理解しています。

感想なりなんなり、いくらでも書けそうな気がします。いつもありがとうございます。

やはり9月11日ということもあって、どうしてもアフガニスタンのことばかり思い出してしまっていましたが、 今までよく分かっていなかった戦後のプロセスについて、 再び、非常に分かりやすく説明して頂き、 これまではいまひとつ腑におちていなかったような事柄も、 そういうことだったのかと納得出来ることが沢山ありました。

WaPoによるThe Afghanistan Papersの記事、及び先日のThe New Yorker誌による”The Other Afghan Women”という記事を読み、 アメリカのいわゆる「アフガニスタン民主化」の大失敗っぷりに衝撃を受け(ダメだろうなとは思っていましたが、まさかあそこまでとは思っておらず)、 一体全体何をどうすればこんなことになってしまうのだろうと心底不可解に感じていだところだったので、 戦後のいわゆる”Nation Building”がどれほど難しいのか、いかに多くの問題を孕んでいるか、またその理由について、 改めて詳しくかつわかりやすく解説して頂くことが出来たことはとても大きかったです。

また、日本もかつてはアメリカにState Buildingされた国であるという話も非常に興味深かったです。 日本の民主主義(の不在)について、全く新しい視点で見ることが出来、 今までいまひとつ理解できなかったことが繋がっていくようで、とても新鮮です。

このような視点での話は日本ではほとんどされておらず、 日本での民主化が未だ進まないどころか後退しつつある理由も、 なんとなく日本人の精神性か、せいぜい高齢化もしくはアメリカと中国のパワーバランス程度の話で片付けられており、 私もいまひとつ納得出来ないままそういうものかなと思っていただけでしたが、 今改めて、そのような精神面に偏った、もしくは歴史的視点の欠けた説明ぐらいしか見受けられないこと自体、私たち日本人の民主主義(の自己チェック機能)が未熟ということではないだろうか、そして実際はそもそもの戦後体制の構造的な要因も大きいのかもしれないのではないかと感じています。 ご説明頂いたような、憲法と実際の政権の間にねじれがあるということ、非常に興味深いお話でしたし、もっとその辺りのことも勉強したいと思いました。

また、とにかくYoshilogさんのリラックスしていてかつ論理的なお話にとても魅了されました。 こんな授業が大学時代に受けられたらどれほど良かっただろうと思います。

長々と失礼いたしました。この時期にこの講座を開いてくださったことに心から感謝しております。 ありがとうございました。

日本政府の情報を受け売りするメディアに惑わされないように全体を俯瞰するという趣旨はよかったです。基礎編1ではそのメッセージがとくに強く伝わってきました。そして、最初のスライドは参考になりました。

質問:17世紀の正戦論と20世紀のそれはどう違うのかなというのがあります。17世紀のそれは「戦時に法は沈黙する」ということに反対し、やはり理性に対する信頼があったように思います。20世紀のそれは結局、安易に中立に立てなくして、「敵」を無条件降伏まで追いつめて正義をはっきりさせるので、戦争が大規模化し、かつ容赦ないものになる危険性をはらんでいるように思いますが、この危険性を国連はどうやって回避しうるのでしょうか。

ともかく、カブール・ノート以後のお話が少し聞けてよかったです。お礼申し上げます。くれぐれもご自愛ください。

戦争と難民問題について、人道支援というジレンマにまで踏み込んだ話は聞いた事がなく、事前の資料の濃い内容と相まって胸が締め付けられる思いでした。 私自身の中国の家族や韓国の友人と一緒にいる中で、戦争の傷から回復するには世代を越えて一歩一歩の繰り返しがある事を改めて感じていたところでした。「僕の母への歌」の動画は涙なしに観られませんでした。 MP3を中高生の息子達とみるつもりですが、中高生向けのLiveもぜひぜひ開催をお願いします。

基礎編1に続いての参加でした。今回も基礎的なお話(私にとっては新しいことばかりなのですが)から伺えて面白かったのですが、設問でもありましたが、まだ私には濃い内容で、後でまた資料を見つつ復習しないと消化できていない状態です。Nation buildingとState builingの違い、占領国家の義務、難民の定義など知らないことばかりでした。難民の定義を聞きつつ、迫害はされないまでも、国民の命を守る気のない日本政府を考えると、今の日本から他国へ逃げていきたい日本人はいっぱいいるよなぁと思っておりました。

基礎1に続いて、基礎2でも、アフガニスタンを始めとした、世界で起こっていることを理解するために必要な基礎を学べる講座でした。現実には、全てがルール通りに進まないでしょうが、例えば難民条約という国際ルールがあることを知っていることは、難民についてのニュースがあった際に、見えてくるものが変わってくると思います。

YoshilogLiveを通じて知識を得ながら、一番学んだことは、こうした視座を持つことが本当に大切だということです。

文民の保護、復活、再生、決意は意識の問題ですが、意図的に行うことはできないか? 私は、アフガニスタンの限界状況と疲れを感じる状況を呑み込みましたが。残酷さに制限はありません。彼女たちのレジリアンスは破壊行動ではなく、国家の構築です。 基礎2

今回も数年単位の内容をあれだけ分かりやすくお話して頂き感謝しております。ありがとうございました。とはいうものの、やはりついていくのに必死でした。いきなり難民の話から入られたらきっと理解がいまいちできなかったと思いますが、ネーション・ビルディングとは?からお話をしてくれたお陰で、次の難民に関わる人・機関・定義・解決策などの基礎的な部分が分かりました。そして知れば知るほど自分が何も知らなかった事に再度気づかされたと同時に学びたいとい気持ちに刺激をもらいましたので今後もこのようなテーマがあれば参加したいです。

国家とは?平和とは?何ができるのか?人間のコアを作るアイデンティティについて、そして帝国主義へと傲慢になっていく人類の大きな意志。戦場の現場で、ひとりひとりを血の通った目線で、その尊厳を大切に支援活動をされたよしログさんの“声”で語られるこの内容が、大変貴重で学びの多い時間でした。全人類に必聴のライブラリーとなれば、と妄想します。

犬たちが騒ぎ散歩のため席を外さざるを得なかったので、楽しみにしていた難民については、また前半についても、録画を拝見後、続きを書かせていただきます。

ところで、インターミッションのG線上のアリア上のヒップホップ、秀逸でした。 紛争下の人々の苦しみの中の強さのようでもあり、大丈夫だよ、という大国の偽善の声のようでもあり、弦の音はさらにそれを上から見つめる神のような存在からのメッセージのようでもあり。その何重もの構造の皮肉。そんな中でも、私たち人間には愛や尊厳や希望がある、ということを感じられた歌でした。(今調べて、SweetBoxというドイツのバンド+アメリカのラッパーによる、911を4年後に控えた97年のヒット曲”Everything’s Gonna Be Alright”だと知りました。)

この2回のLiveで一番印象に残っていることは、『戦争は違法である。』ということです。

では、『戦争をしないためにはどうすればいいのか?』

私は常々日本は「スイスのように永世中立国になればいい」と思っていました。

しかし前回Yoshiさんが、第二次世界大戦の時スイスが中立を守るために、「自国の領空を飛び交う戦闘機の両方をひたすら撃墜した」とおっしゃっていて正直爆笑しました。そして改めてスイス人の意志の強さを知り、尊敬の念を抱きました。「そこまでしないと中立を保つことは困難なんだ」と思い知らされ、こういう強い『国家の意志』を持つことは日本人が一番苦手とすることのように思え、日本には向いていないのだと考えが改まりました。(しかし私の中の永世中立国に対する憧れは永遠に変わりませんが・・・。)

では、『戦争が起きないようにするにはどうすればいいのか?』

まず、『国境を無くす。』

そして、『人々がどこに住んでもいいようにする。』

そのためには、『世界政府』を樹立する。

そして、世界政府が一部の人による独裁政権化しないために、権力を集中させないために、ブロックチェーンの考え方を応用する・・・。等いろいろと浮かんできたのでした。

そして結論。 ジョン・レノンはすごいなと。 彼はすでにイマジンで言っていたではないですか。 「And the world will live as one」と。 翔空                             

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