これまで、RAY OF LETTERS メンバーシップには、以下の三つのプランがありました。
◾️本の旅プラン
◾️Overseas プラン
◾️Caitlin’s Newsletter 日本語版
2026年1月から、以下の新しいプランが加わります。
◾️日本の近現代史プラン
近現代史についての自分の基礎的な知識について正当な疑いを持っている人を対象に、受験教育による「人物・事件・年代」の記憶の三重苦から解放する試みです。一つの主題につき1万字〜3万字を月に1回から3回に分けて配信します。
教科書を読めばいいではないかという意見にも一理あります。実際、日本の歴史教科書や受験用参考書は、様々な偏向や修正主義が紛れ込んでいると批判されがちですが、実は非常によく出来ています。一冊の中に、あれだけコンパクトにあらゆることを凝縮して整理してあるという意味で非常に質が高い本です。
ところが、自分自身の歴史的観点(Perspective)を身につけるという意味では、ほとんど役に立ちません。それは自分自身の経験でよく知っています。私は日本の教育を終えた後、アメリカに、その後イギリスに留学しました。アメリカでは、ドイツ人、フランス人、スペイン人の仲良しグループが出来、4人でよく飲みにいきました。イギリスではほとんどいつもアメリカ人と飲みに行ってました。そして、延々と話すのは政治であり、同時代に世界で起きていることであり、そして、その背景には必ず歴史の話が出てきました。
『カブール・ノート』にも書いたと思いますが、その頃すぐに気づいたことがあります。それは、自分はなんて「もの知り」なんだということです。冒頓単于やら、キプチャク・ハン国やら、単語だけはやたら知っているのです。日本の教育の”成果”です。そんなこと彼らの間では誰も知りません。
ところが、もう一つ気づいたのは、それがどうした?ということです。人物名やら事件名やら年代はやたら自分の頭に詰まっている。それで日本のテストの点は取れるかもしれないが、それだけでは話にならない。
その人物の名前がどうして残っているのか、その事件の意味はなんだったのか、それが起きた年にはどういう意味があるのか、日本の教科書や参考書にも一通りの”意味”は解説されていますが、それは読者に考えさせる形式を取っていないので、学説はこう言っているという神の御託宣のようなことになってしまう。
結局、学習者が考える手間を省くという意味では効率的かもしれないが、考える訓練の機会を与えない。このやり方では、標準化された人間の大量生産には向いているが、時代が変わり、環境が変わり、新規の事象が起き続ける未来に対応できる世代を作ることが出来るだろうか。
アメリカとイギリスの学生時代に出会った友人たちが、延々と議論を続けているのを聞いて、単に「知っている」ということの意味のなさをつくづく考えることになりました。自分自身の再教育が始まるのですが、その後、職場での世界の現実体験は自分が得た”教育”がさらに一層も二層も塗り替えられる過程でした。
歴史の学習は、道義的糾弾や称賛をする場ではありません。それは「避ける」という意味ではなく、それをするべきは、別の議論の場です。
歴史家は自分の主観から自由にはなり得ず、かつその歴史家の主観は彼/彼女が生きた客観的状況から自由ではなく、その一方、その歴史家による歴史を学ぶ者は、自分の主観から自由にはなり得ず、自分が置かれた客観的状況からも自由ではない。E.H.カーが『歴史とはなにか』で執拗に説得しようとしていたことを強引にまとめるとそういうことになるでしょう。これらの制約条件を探求して初めて自分にとっての歴史観が形を持ち始める。
それを、「日本の近現代史プラン」を書く姿勢とします。
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