CHAPTER 7 日本の憲法2

LESSON 6 緊急事態条項

緊急事態条項の一般論については、本編で詳しく話していますが、このビデオでは、特に日本の文脈において、自民党憲法改正草案で緊急事態条項に相当する第98条と第99条について話しています。まず、条文を見て見ましょう。

第98条(緊急事態の宣言)

第九十八条(緊急事態の宣言)
内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる。


緊急事態の宣言は、法律の定めるところにより、事前又は事後に国会の承認を得なければならない。


内閣総理大臣は、前項の場合において不承認の議決があったとき、国会が緊急事態の宣言を解除すべき旨を議決したとき、又は事態の推移により当該宣言を継続する必要がないと認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、当該宣言を速やかに解除しなければならない。
また、百日を超えて緊急事態の宣言を継続しようとするときは、百日を超えるごとに、事前に国会の承認を得なければならない。


第二項及び前項後段の国会の承認については、第六十条第二項の規定を準用する。
この場合において、同項中「三十日以内」とあるのは、「五日以内」と読み替えるものとする。

第98条が規定しているのは、いつ誰が緊急事態条項を宣言することが出来るかということです。「いつ」に関しては、外部からの武力攻撃、社会秩序の混乱、大規模な自然災害などが言及されていますが、これらは例として挙げられているだけで、よく読めば「閣議にかけて」「内閣総理大臣」が宣言することが出来るのですから、なんでもありということです。緊急事態宣言の要件としては、極めてゆるいものです。

第99条(緊急事態の宣言の効果)

次の第99条では、緊急事態が宣言されたら何が起きるかということを規定しています。第一項に次のように書かれています。

第九十九条(緊急事態の宣言の効果)
緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる。


前項の政令の制定及び処分については、法律の定めるところにより、事後に国会の承認を得なければならない。


緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない。
この場合においても、第十四条、第十八条、第十九条、第二十一条その他の基本的人権に関する規定は、最大限に尊重されなければならない。


緊急事態の宣言が発せられた場合においては、法律の定めるところにより、その宣言が効力を有する期間、衆議院は解散されないものとし、両議院の議員の任期及びその選挙期日の特例を設けることができる。

内閣総理大臣の権限

「内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる」

これはどういうことなのでしょうか?平たい言葉で言えば、

  1. 「内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができる」➡️内閣が法律(政令)を作る。国会は要らない。
  2. 「内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い」➡️内閣総理大臣がお金の使い道を決める。
  3. 「地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる」➡️自治体の長は内閣総理大臣の手下になって働く。地方自治は要らない。

ということです。つまり、緊急事態の宣言は、強大な権限を内閣総理大臣に付与するということです。

人権はどうなるか?

第3項にとても重要なことが規定されています。

「この場合においても、第十四条、第十八条、第十九条、第二十一条その他の基本的人権に関する規定は、最大限に尊重されなければならない。」

ここに具体的に挙げられている4条は、以下のようなものです。

第十四条:人種・信条・性別・社会的身分の法の下での平等
第十八条:奴隷的拘束及び苦役の禁止
第十九条:思想及び良心の自由
第二十一条:表現の自由

「尊重されなければならない」というのは、どういう意味でしょうか?ただの願望です。しかも、いったい誰の願望なのでしょうか?

もう一度、憲法とは何かということに立ち戻って考えてみましょう。憲法は、国民から国家権力に対する命令なのです。ということは、ここで憲法が明示的に規定するべきことは、「尊重されなければならない」ではなく、何があってもこのような基本的人権を「制限してはいけない」ということになるはずです。

「尊重されなければならない」というのは、受動態の表現です。隠れた主語は、国民であると取ることも出来る。「国民によって尊重されなければならない」と。あるいは、隠れた主語は、国家であると取ることも出来る。「国家によって尊重されなければならない」と。前者であれば、それはもう憲法ではありません。後者であるはずなのですが、これを曖昧に表現する必要があるでしょうか。「国家は、このような基本的人権を制限してはならない」と書かない理由は、自民党の憲法改正草案に一貫している彼らの憲法観が180度転倒していることをよく表しています。

現行ボン基本法

第二次世界大戦後に西ドイツで作られたボン基本法(ドイツ連邦共和国基本法)には、緊急事態条項が含まれていませんでした。これは、ワイマール憲法の緊急事態条項(第48条)を利用してナチスが独裁政権を成立させたことに対する反省があれば当然のことだったでしょう。

しかし、その後ドイツは冷戦下で1956年に再軍備を開始し、1968年のボン基本法改正で緊急事態条項を導入させます。ところが、それはワイマール憲法の第48条とは似ても似つかぬものです。読んでみて下さい。

ワイマール憲法48条第2項
ドイツ国内において、公共の安全および秩序に著しい障害が生じ、又はその虞れがあるときは、ライヒ大統領は、公共の安全及び秩序を回復させるために必要な措置をとることができ、必要な場合には、武装兵力を用いて介入することができる。この目的のために、ライヒ大統領は、一時的に第114条、第115条、第117条、第118条、第123条、第124条、及び第153条に定められている基本権の全部又は一部を停止することができる。

既視感がありませんか?似てますよね、自民党憲法改正草案と。

ところが、1968年にボン基本法に導入された緊急事態条項は、非常に厳格な制限がついています。(詳しくは本編で扱っていますが、ここでは概略だけを書きます)。ボン基本法では、緊急事態においても、政府の独裁が発生しないように様々な制限が設けられています。

まず、緊急事態をざっくりと規定するのではなく、国内の反乱や災害等の対内的緊急事態と、外国からの侵略等の対外的緊急事態に分けて規定しています。さらに、前者の対内的緊急事態を連邦・州の存立に対する急迫事態災害事態に、後者の対外的緊急事態を緊迫事態防衛事態同盟事態の3種に分けています。緊急事態という大雑把な定義を厳密化することによって、濫用を予防するということです。緊急事態宣言の要件がなんでもありという事態を避けなければいけないという学習が生かされています。

1968年の改正で、緊急事態条項の導入と同時に抵抗権がボン基本法に明記されました。抵抗権とは、不当な国家権力の行使に対して抵抗しうる国民の権利のことです。これは憲法の最後の砦ともいうべきものです。つまり、ドイツ人は、自分たちの憲法に緊急事態条項と抵抗権をワンセットで入れることによって、独裁化への防波堤を築いたのです。

第20条 [国家秩序の基礎、抵抗権]
(1) ドイツ連邦共和国は、民主的かつ社会的連邦国家である。
(2) すべての国家権力は、国民より発する。国家権力は、国民により、選挙および投票によって、ならびに立法、執行権および司法の特別の機関を通じて行使される。
(3) 立法は、憲法的秩序に拘束され、執行権および司法は、法律および法に拘束される。
(4) すべてのドイツ人は、この秩序を除去しようと企てる何人に対しても、他の救済手段が存在しないときは、抵抗権を有する。

ボン基本法には元々、永久条項と呼ばれるものが含まれています。絶対に改正できない条項のことです。改正に関する次の条文を見て下さい。

第79条 [基本法の改正]
(1) 基本法は、基本法の文言を明文で改正または補充する法律によってのみ改正することができる。講和の規律、講和の規律の準備もしくは占領法秩序の解除を対象とする国際条約、または連邦共和国の防衛に役立つことが確実な国際条約の場合には、基本法の規定が条約の締結および発効に反しないことを明らかにするには、そのことを明らかにするだけの基本法の文言の補充で足りる。

(2) このような法律は、連邦議会議員の3分の2および連邦参議院の表決数の3分の2の賛成を必要とする。

(3) 連邦制によるラントの編成、立法における諸ラントの原則的協力、または第1条および第20条に定められている諸原則に抵触するような、この基本法の改正は、許されない。

第3項で、改正が許されない条項を明確に規定しています。前半の「連邦制によるラントの編成、立法における諸ラントの原則的協力」というのは国家の構成に関することです。それを変えることは許されないというのが前半の趣旨です。後半の第1条と第20条とは何なのか?

第1条 [人間の尊厳、基本権による国家権力の拘束]
(1) 人間の尊厳は不可侵である。これを尊重し、および保護することは、すべての国家権力の義務である。
(2) ドイツ国民は、それゆえに、侵すことのできない、かつ譲り渡すことのできない人権を、世界のあらゆる人間社会、平和および正義の基礎として認める。
(3) 以下の基本権は、直接に妥当する法として、立法、執行権および司法を拘束する。

憲法が国家権力を縛るものである、国民のために国家は働かなければいけない、ということがはっきりします。人権こそが、立法、執行権(行政)および司法を拘束するものであると規定されています。そして、上記の第79条は、これを変えることは出来ないと念を押しているのです。

そして、第20条は上に引用したように、この秩序(憲法秩序)を除去しようと企てる何人に対しても、他の救済手段が存在しないときは、抵抗権を有する

ボン基本法は、1949年の成立以来、60回以上の改正がなされてきたことをあげて、日本国憲法が一回も改正されていないのはおかしいという人がいますが、それがボン基本法における改正に対する縛りを全く考慮していない意見であることが、以上のボン基本法の成り立ちを見れば分かると思います。ボン基本法の根本的な思想に変更を加えるような改正は許されないと釘をさし、さらに最後の手段として抵抗権まで明記しているのがボン基本法です。

自民党憲法改正草案はどうでしょうか?よく見て下さい。人権規定から、防衛、緊急事態条項の導入まで、そこを変えたら憲法ではなくなるという根本的な憲法の柱を改正しようとしています。これとボン基本の改正歴を同列に語るのはもはやお笑いです。