LESSON 5 集団的自衛権
このビデオでは、集団的自衛権がどうして問題なのかを話しています。集団的自衛権という概念は、日本国憲法の平和主義と真っ向から矛盾する問題を孕んでいます。端的に結論だけ言うと、集団的自衛権の行使は、日本国憲法では許されないのです。違憲です。
ところが、LESSON 2 自民党の改憲戦略で見たように、2014年の閣議決定による解釈改憲に基づいて、2015年に集団的自衛権を合法とする平和安全法制が強行採決によって成立してしまいました。それ以来、我々は違憲状態の中にいます。
2014年の閣議決定の後、内閣官房のホームページには次のような記述が掲載されています。
【問1】 集団的自衛権とは何か?
【答】 集団的自衛権とは、国際法上、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止することが正当化される権利です。しかし、政府としては、憲法がこのような活動の全てを許しているとは考えていません。今回の閣議決定は、あくまでも国の存立を全うし、国民の命と平和な暮らしを守るための必要最小限度の自衛の措置を認めるだけです。他国の防衛それ自体を目的とするものではありません。
黄色い字の部分が、政府の考える集団的自衛権です。それに続く文は、言い訳がましく聞こえます。これの何が問題なのでしょうか?
次の資料は、平成 16 年(2004年) 4 月 22 日(木)の衆議院憲法調査会安全保障及び国際協力等に関する調査小委員会で、「地域安全保障(憲法の視点からの FTA 問題を含む)」をテーマとする参考人質疑及び委員間の自由討議を行うに当たって、小委員の便宜に供するため、衆議院憲法調査会事務局において作成したもので、衆憲資第 49 号というインデックスが付いています。ここから引用します。
国連の集団安全保障制度が拒否権行使、特別協定の未締結、加盟国の自衛権行使等によって、現実には機能不全に陥っているのに対し、加盟国間において、集団的自衛権を根拠にして、北大西洋条約機構(NATO)(1949 年)やワルシャワ条約機構(1955 年)等の軍事的機構や、安全保障条約が相次いで創設・締結された。戦後締結されたこのような地域的な相互援助の取極等は、国連憲章 51 条を援用し、締約国への武力攻撃に対する個別的・集団的自衛権を行使するための条約であることを謳っていることから、国連の安全保障体制を骨抜きにし、
その分裂を深めた、あるいは、国際連盟成立以前の 19 世紀的同盟体制、勢力均衡制度の実質的な復活といえるものであったと評される。これに対し、こうした共同防衛条約の体制は、条約上、国連の目的と原則の尊重を掲げ、また、条約当事国が国連加盟国であるため、国連憲章上の義務から免れず、安保理が適当な措置をとった後には自衛権の行使をやめなくてはならないことから、防衛的な性格のものであって従来の同盟と異なるとする見解もある。(同資料8頁)
資料の性質上、常に両論併記を心がけているのが分かりますが、ビデオの中で説明しているように、19世紀的な同盟対同盟による戦争拡大を防止するために作られた集団安全保障体制が、集団的自衛権の行使によって骨抜きにされ、元の木阿弥の同盟対同盟に戻ってしまったことが説明されています。
集団安全保障体制と日本国憲法
同資料に、1994年の内閣法制局長官の集団安全保障と日本国憲法の関係についての答弁が引用されています。
集団安全保障とは、国際法上武力の行使を一般的に禁止する一方、紛争を平和的に解決すべきことを定め、これに反して平和に対する脅威、平和の破壊または侵略行為が発生したような場合に、国際社会が一致協力してこのような行為を行った者に対して適切な措置をとることにより平和を回復しようとする概念であり、国連憲章にはそのための具体的な措置が定められております。
ところで、憲法には集団安全保障へ参加すべきである旨の規定は直接明示されていないところであります。ただ、憲法前文には、憲法の基本原則の一つである平和主義、国際協調主義の理念がうたわれており、このような平和主義、国際協調主義の理念は、国際紛争を平和的手段により解決することを基本とする国連憲章と相通ずるものがあると考えられます。
我が国は、憲法の平和主義、国際協調主義の理念を踏まえて国連に加盟し、国連憲章には集団安全保障の枠組みが定められていることは御承知のとおりであります。
したがいまして、我が国としては最高法規である憲法に反しない範囲内で憲法第98 条第 2 項に従い国連憲章上の責務を果たしていくことになりますが、もとより集団安全保障に係る措置のうち憲法第 9 条によって禁じられている武力の行使または武力による威嚇に当たる行為については、我が国としてこれを行うことが許されないのは当然のことであります。 (平 6.6.13 (1994年)参・予算委 大出内閣法制局長官)
集団安全保障体制の一環であっても、日本国憲法第9条は武力の行使または武力による威嚇に当たる行為を許さないと言明しています。
集団的自衛権と日本国憲法
同資料に1981年の政府答弁書が引用されています。ここには集団的自衛権と日本国憲法の関係が説明されています。
国際法上、国家は、集団的自衛権、すなわち、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利を有しているものとされている。
我が国が、国際法上、このような集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上、当然であるが、憲法第 9 条の下において許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されないと考えている。
なお、我が国は、自衛権の行使に当たっては我が国を防衛するため必要最小限度の実力を行使することを旨としているのであるから、集団的自衛権の行使が憲法上許されないことによって不利益が生じるというようなものではない。(政府答弁書 昭 56.5.29)
集団的自衛権を行使することは、憲法上許されないというのが政府答弁の主旨です。
防衛白書
毎年発表される『防衛白書』には、自衛隊と日本国憲法の関係が必ず説明されています。2014年7月1日、第二次安倍政権が閣議決定によって解釈改憲を行う直前の2013年(平成25年)の『防衛白書』には、次のように書かれています。
3 自衛権を行使できる地理的範囲
わが国が自衛権の行使としてわが国を防衛するため必要最小限度の実力を行使できる地理的範囲は、必ずしもわが国の領土、領海、領空に限られないが、それが具体的にどこまで及ぶかは、個々の状況に応じて異なるので、一概には言えない。
しかし、武力行使の目的をもって武装した部隊を他国の領土、領海、領空に派遣するいわゆる海外派兵は、一般に自衛のための必要最小限度を超えるものであり、憲法上許されないと考えている。
4 集団的自衛権
国際法上、国家は、集団的自衛権、すなわち、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利を有するとされている。わが国は、主権国家である以上、国際法上、当然に集団的自衛権を有しているが、これを行使して、わが国が直接攻撃されていないにもかかわらず他国に加えられた武力攻撃を実力で阻止することは、憲法第9条のもとで許容される実力の行使の範囲を超えるものであり、許されないと考えている。
解釈改憲のあった年、2014年(平成26年)の『防衛白書』では、以下のように書かれました。
2 憲法第9条のもとで許容される自衛の措置
今般、14(平成26)年7月1日の閣議決定(次節にて記述)において、憲法第9条のもとで許容される自衛の措置について、次のとおりとされた。
憲法第9条はその文言からすると、国際関係における「武力の行使」を一切禁じているように見えるが、憲法前文で確認している「国民の平和的生存権」や憲法第13条が「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」は国政の上で最大の尊重を必要とする旨定めている趣旨を踏まえて考えると、憲法第9条が、わが国が自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置を採ることを禁じているとは到底解されない。一方、この自衛の措置は、あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るためのやむを得ない措置として初めて容認されるものであり、そのための必要最小限度の「武力の行使」は許容される。これが、憲法第9条のもとで例外的に許容される「武力の行使」について、従来から政府が一貫して表明してきた見解の根幹、いわば基本的な論理であり、72(昭和47)年10月14日に参議院決算委員会に対し政府から提出された資料「集団的自衛権と憲法との関係」に明確に示されているところである。
この基本的な論理は、憲法第9条のもとでは今後とも維持されなければならない。
これまで政府は、この基本的な論理のもと、「武力の行使」が許容されるのは、わが国に対する武力攻撃が発生した場合に限られると考えてきた。しかし、パワーバランスの変化や技術革新の急速な進展、大量破壊兵器などの脅威などによりわが国を取り巻く安全保障環境が根本的に変容し、変化し続けている状況を踏まえれば、今後他国に対して発生する武力攻撃であったとしても、その目的、規模、態様などによっては、わが国の存立を脅かすことも現実に起こり得る。
わが国としては、紛争が生じた場合にはこれを平和的に解決するために最大限の外交努力を尽くすとともに、これまでの憲法解釈に基づいて整備されてきた既存の国内法令による対応や当該憲法解釈の枠内で可能な法整備などあらゆる必要な対応を採ることは当然であるが、それでもなおわが国の存立を全うし、国民を守るために万全を期す必要がある。
こうした問題意識のもとに、現在の安全保障環境に照らして慎重に検討した結果、わが国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、これを排除し、わが国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、必要最小限度の実力を行使することは、従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として、憲法上許容されると考えるべきであると判断するに至った。
わが国による「武力の行使」が国際法を遵守して行われることは当然であるが、国際法上の根拠と憲法解釈は区別して理解する必要がある。憲法上許容される上記の「武力の行使」は、国際法上は、集団的自衛権が根拠となる場合がある。この「武力の行使」には、他国に対する武力攻撃が発生した場合を契機とするものが含まれるが、憲法上は、あくまでもわが国の存立を全うし、国民を守るため、すなわち、わが国を防衛するためのやむを得ない自衛の措置として初めて許容されるものである。
「憲法上許容されると考えるべきであると判断するに至った」ーこれが解釈改憲と呼ばれるものの実態です。そして、これを法制化したのが、2015年に成立した平和安全法制と呼ばれる法律です。いつの間にか、日本国憲法は、数人の意思によって変えられれ、そしてそれに基づいた立法が行われたということです。白昼堂々と衆人環視の下で泥棒が窃盗を働いたのとどう違うのでしょうか?